量子コンピューター

ハヤブサが川崎に舞い降りた日〜「IBM Quantum System One」始動

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心配された台風8号の直撃は避けられ、降雨も朝のうちに峠を超えた2021年7月27日の神奈川県川崎市。

プロセッサー・タイプがFalconであることが明示されているサインの一部の画像

実機隣のサインでFalcon プロセッサーであることをハヤブサのイラストとともに明示

鳥類の「ハヤブサ」を表す英語「Falcon」を冠した量子プロセッサー「IBM Quantum Falcon プロセッサー」を搭載する量子コンピューター「IBM Quantum System One」が、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」で稼働を開始しました。

当日は、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」内にある施設「AIRBIC」にて、オープニング・セレモニーおよび記者発表会、そして、デジタル・イベントが開催されました。

本記事では、上述のうち、午後に開催されたデジタル・イベント「IBM Quantum in Japan 2021 & Beyond」を中心に、当日の模様を筆者独自の視点で整理して紹介します。

IBM Quantum System Oneと量子プロセッサー

午前中、オープニング・セレモニーおよび記者発表会を兼ねたイベント「IBM Quantum Building the future together」が開催されました。このイベントで、7月27日という「IBM Quantum System Oneの稼働開始日」および「イベントの開催日」に言及したのは、自由民主党 量子技術推進議員連盟の会長である林芳正 参議院議員でした。実は、「27」という数字は、IBMの量子コンピューティングにとって意味を持つ数字だからです。

「27日という日に、27量子ビットが、ここでスタートできるというご縁も感じながら(以下、略)」

IBM Quantum Falcon プロセッサーの画像

IBM Quantum Falcon プロセッサー (from IBM Research Flickr)

この林芳正 参議院議員の言葉にある通り、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」に設置されたIBM Quantum System Oneが搭載している「IBM Quantum Falcon プロセッサー」は、27量子ビットのプロセッサーなのです。

一足早く、ドイツのフラウンホーファー研究機構に設置されたIBM Quantum System Oneも、同じく27量子ビットのIBM Quantum Falcon プロセッサーを搭載しています。

既に発表されている65量子ビットの「IBM Hummingbird プロセッサー」を、日独のIBM Quantum System Oneが搭載しなかったのは、安定稼働を重視した結果とのことです。

量子プロセッサーのロードマップでは、127量子ビットの「IBM Quantum Eagle プロセッサー」、433量子ビットの「IBM Quantum Osprey プロセッサー」、1,121量子ビットの「IBM Quantum Condor プロセッサー」が計画されています。詳しくは、「IBM、量子技術のスケールアップに向けたロードマップを発表」をご覧ください。

研究は既に始まっている

午後2時から開始したデジタル・イベント「IBM Quantum in Japan 2021 & Beyond」

「 Building the future together with Quantum」 と題した基調講演で、IBM Quantum部門のバイスプレジデントを務めるジェイ・ガンベッタは、進化は「数学自体の飛躍」と「多くの人が使えるように数学を拡張する技術」によって始まる、と語りました。

進化の歴史的事例の1つとして紹介されたのは、計算方法として登場した「アルゴリズム」を、(用途別ではない)汎用コンピューター IBM System/360(現在のIBM Z)に代表される「古典コンピューティング(従来型のコンピューティング)」が拡張して、情報化時代が到来したことでした。

そして、100年前から存在していた量子力学を、現在、量子コンピューターが拡張し始めており、「研究は既に始まっている」として紹介されたのが、IBM Quantum Network Hub @ Keio University(2018年開設)にて取り組まれた「量子コンピューターを用いた有機EL発光材料の性能予測」の研究プロジェクトであり、「量子振幅推定アルゴリズム」の研究プロジェクトでした。

「Quantum computing: A Game Changer for Future Innovation」と題したパネル・ディスカッションには、IBM Quantum Network Hub @ Keio Universityにて研究に携わっている教員および研究員の皆様が登壇し、量子コンピューターの産業応用が議論されました。

パネル・ディスカッションは「有機EL発光材料性能予測に関する研究」の紹介から始まりました。

そして、量子ビット情報のエラー訂正を行わない「ノイズあり量子コンピュータ向けアルゴリズム」ではなく、その「ノイズあり量子コンピュータ向けアルゴリズム」と古典コンピューターをハイブリッドに利用することで比較的少ない量子ゲート数で計算が可能なVQE(Variational Quantum Eigensolver : 変分量子固有値ソルバー)アルゴリズムを使用している理由の解説と具体的な挑戦について語られました。

さらに、量子科学以外の分野として、「データを少ない演算回数で量子計算機に正しく読み込ませる」という課題があった金融関係への取り組みや、ノイズを積極的に利用する量子リザバー計算法の機械学習における取り組みなども紹介されました。

ここまで記述しましたように、実ビジネスへの応用が期待される研究が進んでいるのです。

 

現在、クラウドを経由して利用できる米国IBMの量子コンピューターは、5量子ビットの「IBM Quantum Canary プロセッサー」、27量子ビットの「IBM Quantum Falcon プロセッサー」、65量子ビットの「IBM Hummingbird プロセッサー」のいずれかを搭載しています。

午前中に開催されたオープニング・セレモニーおよび記者発表会を兼ねたイベント「IBM Quantum Building the future together」で、伊藤公平 慶應義塾長は、次のように語っていました。

「最初にアクセスしたアメリカにある量子コンピューターは、生まれたばかりの赤ちゃんのようで、少し何かはできるんですけれど、大したことはできませんでした。それが、私達が一生懸命ソフトウェアやアルゴリズムを開発し、IBMにこういうことを直してほしい、とインタラクションを続けることで、2ヶ月毎に量子コンピューターがどんどん良くなっていく。そして、今に至ってみると、まるで幼稚園児のように、運動会に参加して、かけっこもできるし、大抵の人間ができることはできるようになってきたわけです。この勢いで進んでいくと10年後には、高校生、大学生となり、もう、大変なコンピューターになります」

そう。現時点で、IBMの量子コンピューターは「大抵の人間ができることはできる」レベルに達しているのです。量子コンピューターは「遠い未来」のものではなく、実機を用いた研究は既に始まっています。そして、研究者の皆様が思い描いた「空想」の実現に向けた進化は、「 Building the future together」という言葉をイベントで用いたように、産官学のパートナーシップと国際協力による共創で実現するのです。

実機が日本国内にある意義

「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」で稼働を開始したIBM Quantum System Oneの占有使用権は東京大学が持ち、量子イノベーションイニシアティブ協議会の参加メンバーが利用します。もちろん、IBM Quantum System Oneの利用に際して、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」を訪れる必要はありません。ネットワーク経由で接続して、計算を行うことになります。

ネットワーク経由で利用するのであれば、実機が日本国内にある必然性はないのでは、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

クラウドを経由して利用できる米国IBMの量子コンピューターは、全世界の研究者が利用しています。すなわち、順番待ちが発生して希望したタイミングに計算が行えない場合もあります。また、企業が利用する場合は、国外に持ち出すわけにはいかないデータを用いた計算が行えないことになります。

実機が日本国内にあることで計算時間は増えますし、国外に持ち出せないデータを用いた計算が行えます。そして、日本国内であるがゆえに、ネットワークの遅延が日米間より少なくなります。日本における量子コンピューティングの研究を加速する観点で、実機が日本国内に設置される意義は大きいのです。

IBM Quantum Hardware Test Centerの写真

IBM Quantum Hardware Test Center(ニュースリリースより)

さらに、東京大学は、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」のIBM Quantum System One以外に、IBMと締結した「Japan IBM Quantum Partnership」に基づく「The University of Tokyo – IBM Quantum Hardware Test Center」を、浅野キャンパスに開設しています。

「IBM Quantum in Japan – 日本、そしてアジア初のゲート型量子コンピューターとこれから」と題した対談で、相原博昭 東京大学理事・副学長は、「The University of Tokyo – IBM Quantum Hardware Test Center」について次のように語りました。

「今後の発展を考えた時に、スケーリングしていくためにはどのようなブレークスルーが必要なのかを判断し、実際にブレークスルーを起こすことに取り組むことを可能にするのがハードウェア・テストセンターだと思っています」

「スケーリングに資するものが東大から出れば、誇りに思える成果になると思います。日本のパーツの企業さんの力を借りながら開発していきたい」

 

デジタル・イベントの最後のプログラムは、「テクノロジーと持続可能な未来」と題した対談でした。その対談の冒頭で、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」に設置されたIBM Quantum System Oneの名称が「kawasaki」に決まったことを、日本IBMのCTOである森本典繁が報告しました。

さらに、設置させていただいた側にとって数々の幸運があった、として、次のようなエピソードを紹介し、「川崎への設置は必然だったのかもしれません」と述べました。

  • 精密な機械の設置で重要な環境要因(振動、雑音)の観点における地盤の良さ、そして、「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」は先端研究のために作られた拠点である、ということから導入が容易であった
  • IBM Quantum System Oneを覆っているホウケイ酸ガラス(硬質ガラス)製のケースは、イタリアのGoppion社が手掛けたもので、特殊なスキルが要求される設置と組み立てに対応できるGoppion社のパートナー企業が川崎市にあった

 

本記事の締めくくりとして、福田紀彦 川崎市長が、オープニング・セレモニーおよび記者発表会を兼ねたイベント「IBM Quantum Building the future together」で述べられた言葉を紹介します。この言葉通りの未来となることを、筆者も期待します。

「10年後、20年後、振り返った時に、本日、2021年7月27日が、量子技術によって人々の生活を豊かにし、多くの人に幸せをもたらす契機となる記念すべき日であったと思い返せることができるよう、皆様とともにその普及と発展に取り組んでまいりたいと存じます」

「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」に設置されたIBM Quantum System Oneの画像

「新川崎・創造のもり かわさき新産業創造センター」に設置されたIBM Quantum System One

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