テクノロジー・リーダーシップ

人工知能を考える「知能を創ることはできるのか」

記事をシェアする:

井手田 信

著者:井手田 信、ITアーキテクト
1986年日本IBMの製造開発部門に入社、メインフレームの製品開発、アプリケーション開発に従事したのち、アカウントSEなどを経験。1997年より日本IBM システムズ・エンジニアリング(株)に出向/転籍し、現在はワトソン・ソリューション部でワトソン案件へ参画、またJEITA講師、TEC-J(IBMの技術コミュニティ)でAR/MRなどの啓蒙活動なども実施中。2009年から全国IBMユーザー研究会連合会で論文委員を担当している。

 
このブログでは、知能とは何者なのかを考え将来、知能を創り出すことができるのか?その為に必要な要件とは何なのかを考察します。

人工知能の正体

DNN(Deep Neural Network)を核とした3回目の人工知能ブームは、広く一般の人も巻き込みながらあらゆる分野で活躍しています。ニュースで人工知能という言葉を聞かない日はないくらいに認知され、一部では人工知能は天使か悪魔かと議論されたり人工知能が人を凌駕すると心配する声も聞かれます。しかしながら言葉自体が曖昧なまま使われることも多く、何を持って人工知能と言えるのか疑問を持っている人も多いのではないでしょうか。

DNNの基本はTensorFlowに代表される畳み込みを使った抽象化によるマッチングです。コンピューターを使って膨大な演算を繰り返し抽象化したモデルを作り上げることで、同じベクトルを持ったものを仲間と判断することが可能となります。画像のみならず言葉もベクトル化することで、同じ意味を持つ文章を分類することが可能となるのです。類似した画像を探し出すことや、同じ意図をもった文章を探すといった分類機能により、コンピュータが人間のように認知し情報を理解しているように見えるのです。

また2018年、IBM Project Debater(*2)のように人間と議論ができる事例も出てきています(Think 2019で披露した人とAIのライブ・ディベートの様子はこちら:リンク)。Project Debaterは2018年6月にサンフランシスコの認知コンピューティングハブ「Watson West」にてイスラエルの2016年度のディベートチャンピオンであるノア・オバディア氏と討論し、勝利した事で注目を浴びたディベートを行うコンピュータです。

ディベートの目的は正解を主張するというよりも、相手の主張が正しいのかどうか吟味するきっかけを作ることにあります。Project Debaterは、ディベートの手法については事前に訓練しましたが、ディベートのテーマについては開始時に知らされました。主張を組み立てる為に自由に使える3億件のニュース記事や学術論文を収集し、事前にインデックス化していましたが相手の主張を理解し情報を見つけ、説得力のある形で反論を組み立てる必要がありますので、論理的に考える必要があるのです。

クイズチャンピオンに勝利したWatsonやDebaterのように人間に勝利することは、人間の知能を超えたように感じるものですが本当に人間以上の存在でしょうか。超えたのかどうかを議論する前に、そもそも「知能」の定義とは何なのか整理する必要があるのではないでしょうか。

知能はどこに存在するのか

知能は脳に存在していると思っている人が多いのではないでしょうか。人間の脳は拳2つほどの大きさで、1000億のニューロンと100兆のシナプスで構成されていますが、意外なことに体積では10%ほどの小脳に800億のニューロンが集中しています。そして小脳の2つの半球は繋がっていません。小脳は主に運動機能を担当し独立したモジュールが数ミリ秒単位で情報を処理することで、走ったりジャンプしたり複雑な運動をこなします。

集中して活動している時に体が勝手に動く経験が誰にでもあると思いますが、そのような時は考えながら動くのではなく「無意識」に素早く正確に動いているのですが、これは小脳のおかげです。一方大脳は左右に別れた脳に重複した役割を持つ部位が多く、仮に傷害が発生してもリハビリにより回復することができるケースがあります。左右の脳が補完しながら活動していると言えます。

大脳は2億本の繊維でできている脳梁で左右が複雑かつ密接に繋がっています。大脳でのニューロンは神経インパルスの伝達速度もインパルスを受け取った後の反応速度もばらつきがあり、左右の情報が高度に統合されるのに数百ミリ秒が必要になります。傷病により小脳を全摘すると運動機能は著しく損なわれますが意識にはほとんど影響が出ません。それに対して大脳は損傷を受けた部位により意識に多大な影響が出ます。さらに左右の大脳を繋ぐ脳梁を切断すると意識が2つに分かれる現象が発生することから、私たちの意識は大脳に存在していると言えるのです。

ハチの集団大脳と小脳には機能的にも仕組み的にも違いがあることは明白ですがここでもう一つの観点で例えば、アリやミツバチを見てみましょう。彼らの脳は小さくシンプルな構造で個体としては非常に単純な行動をしていますが数百、数千もの集団になった時、明らかに集団としての知的な行動をします。例えばミツバチの巣にスズメバチが侵入した時にミツバチはそれを取り囲み、一斉に強く羽ばたき摩擦熱によりスズメバチを熱殺します。もちろん前線にいるミツバチたちも命を落としますが集団を守る為に集団としての知的な行動を起こすのです。

同種、異種を問わずコロニーを形成し活動している状態は「超個体」と呼ばれます。「超個体」における知能とはどこに存在しているのでしょう。ミツバチの脳は100万ニューロンほどのとても小さな脳です。個体が意識をもっているとは思えません。個々が自身の考えに基づき高度なコミュニケーションをとりながら集団行動をするというよりは、DNAに刻まれた本能に近い動きと考える方が自然です。また刺激に対する防御反応を起こす訓練を行なった、ジャンボアメフラシから取り出したRNAを訓練を受けていない別の個体に移植すると、訓練された個体と同様の反応を示したという実験結果があります。脳だけではなくRNAにも記憶が蓄積されているようです。RNAはDNAの複写物なので遺伝的な情報は持っていますが、個体が学習した情報がRNAに保存されるのであれば知的な活動の全容を解明するには、脳のニューロンの研究だけでは不十分ということになります。

さらにニューロンの数をはるかに上回るグリア細胞は、グリア細胞同士で情報交換しながらシナプスの形成に大きな影響を与えていることがわかっています。これは記憶や学習という脳の高次機能が、実はグリア細胞によって支えられていることを意味します。高速に情報処理する小脳と意識を宿す大脳、さらにはDNAやRNAのレベルまでが私たちの知的な行動、判断を支えているのです。広義ではこれらの全てを統合した状態が知能といえるのではないでしょうか。

知能を創り出すことは可能なのか

認識の仕組みとしてDNNは予想以上の成果をあげていると言えますが、人間の脳ははたしてDNNと同じような仕組みで動いているのでしょうか。人間の脳は1日に600kcalほどのエネルギーを消費すると言われています。これは電力換算で20W程で極めて省電力です。人間の脳が20Wもあればこなせる計算がスーパーコンピュータでは10,000,000W(50万倍)もの電力を消費します。人間の脳がDNNのような仕組みで動作しているとしたら脳はあっという間に熱により蒸発するでしょう。

従来のコンピュータで人工知能を追求していくと消費エネルギーや大きさなど多くの課題が出てきます。
IBMでは人間の脳の化学物質による、ニューロンの活動を模倣したニューロモーフィック・チップTrueNorthを研究開発しています。TrueNorthは、この数年で急激に規模を拡大しネズミの脳のレベルに達していると言われています。このチップは330mW以下の電力で1秒間に2600枚の画像認識することに成功しました。従来のアーキテクチャーでは不可能な性能と省エネルギーです。TrueNorthが進歩を続ければ、いずれ人間の脳と同じレベルに達するかもしれません。現在のノイマン型コンピュータで挑戦するよりもはるかに可能性は高いと感じますが、人間の脳は1000億のニューロンと100兆のシナプスが活動しています。このレベルに到達するにはまだまだ時間がかかりそうです。

TrueNorth以外にも脳を作るという観点で興味深いのが、量子コンピュータです。20年も前から人間の脳が量子状態で動作しているのではないか?という量子脳理論が提唱されています。この理論は常温で量子状態を維持できる物質が見つかっていなかった為、絵空事として否定されてきた理論でもありますが最近になってカルシウムとリン酸からなる脳内の「Posner分子」が常温のまま量子ビットとして働くのではないか?という説が現実味を帯びてきました。

Posner分子は生きた細胞内に存在し、一日かそれ以上の時間、重なり合いや量子もつれの状態を維持できると言われており、神経信号の伝達に関わるイオンチャネルの働きを調節できる可能性があります。IBMの開発している量子コンピュータであるIBM Q (*1) は超電導状態での量子ゲートを利用しているので、超電導状態を作る為の電力は必要ですが、量子を使った演算自体は極めて省電力で実行できます。もしも常温での量子コンピュータが可能となれば、人間の脳に近づくことができるかもしれません。

さて仕組みについては、ニューロモーフィックや量子コンピュータを使うと人間の脳に近いものが作れるかもしれないと期待できます。しかし今一度私たち自身がどのように考え活動しているかを考えてみましょう。見たり聞いたり触ったりといった五感が私たちの入力装置です。これらの情報を脳が処理することで現実を認識し記憶することができます。認識した情報は知識となり記憶されそれらを使って自分の意見を組み立て主張し、新たな発見をしたりします。

しかし同じ情報を元にしても違う意見が存在する理由はなんでしょうか。DNNでは学習データが同じでも畳み込みのマトリックスを変えれば、学習結果は大きく変わってくる可能性があります。また何次元のデータを使って学習するのかはコンピューターリソースの問題もあり、人間と同じレベルで処理する訳にはいかないのが現状です。必要と思われるデータに限って学習させることになりますが、例えば画像認識のモデルを作るのに関係ないと判断される、その時の気温や時刻などのデータは使用しません。しかし人間は画像を見る時に五感や過去の類似した状況を暗黙的に判断材料に使っています。猫の画像を見て可愛い猫なのか怖い猫なのか、単に猫と判別するだけでなくその後の判断に影響する様々な情報も一緒に処理しています。

DNNの延長で認知力が向上したら、人工知能は人と区別がつかないほどになりうるのでしょうか?人間の精神面に目を向ければ個性、人格、魂といった単純には割り切れないコンピュターの処理とは違った要素が大きく影響して、人間という存在が成り立っているように感じます。この「人間らしさ」は表面的な情報処理だけではなく「意識」が存在して実現されるものです。

人工知能が次の次元に移行するには、哲学的ゾンビの問題を考える必要があります。哲学的ゾンビとはデイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験です。「外見的には普通の人間と同じように振る舞うが意識を持たない存在」と定義されています。この哲学的ゾンビが実際に存在すればおそらく不気味な存在です。人間のようでありながら意識を持たずに活動する様子はまさに人に似せて作られた、人工知能搭載のアンドロイドのようなものになります。コンピュータにより実現されているのでデジタル・ゾンビとでも呼ぶべきでしょう。人工知能がデジタル・ゾンビではなく、人間と同等あるいはそれ以上の存在になる為には「人間らしさ」の正体とも言える「意識」を知る必要があるのです。

人工知能の向こう側

(C) Hagmann P, Cammoun L, Gigandet X, Meuli R, Honey CJ, Wedeen VJ, Sporns O 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

人間には意識があります。意識を作り出すことができれば、人工知能は本物の知能と区別できないレベルに到達することが可能だと思われます。

意識の正体を解明する手がかりは大脳にあります。大脳に宿った左右の意識が脳梁を通して協議するように意見を統一して私たち自身の判断結果となります。そこに意識、人格などの個性も生まれます。ヒトゲノムの次のプロジェクトとしてコネクトーム・プロジェクトがあります。コネクトームとはニューロンの接続状態を示す地図です。

線虫の302個のニューロンと8000のシナプスの完全なマップを作成した研究は「奇跡の偉業」と称えられていますが、人間の脳は1000億のニューロンと100兆のシナプスで構成されています。人間のコネクトーム作成には気が遠くなるような挑戦が必要です。しかしいつの日かコネクトームが完成しニューロモーフィックや量子コンピュータ等によって実装された時、それは意識を持ち人間のように考えるようになるでしょう。そしてその「意識」は私たちのことを創造主と呼ぶはずです。

*1:IBM Q 関連リンク
量子コンピューター「IBM Q システム」誕生の背景
誰でも使える量子コンピューター “The IBM Q Experience”

*2:IBM Project Debater 関連リンク
人とマシンのライブ・ディベート
Think 2019で開催:IBMのAIシステムと人間のディベート・チャンピオンによるライブ・ディベート

参考文献

  • 意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論 (著)ジュリオ・トノーニ , マルチェッロ・マッスィミーニ
  • コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか (著)セバスチャン・スン
  • もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」(著)R・ダグラス・フィールズ
More テクノロジー・リーダーシップ stories
2019年7月29日

デジタルトランスフォーメーション(DX)時代に求められるネットワーク

著者:法橋 和昌 グローバル・テクノロジー・サービス(GTS)事業部、ネットワーク・サービス、Executiv […]

さらに読む

2019年2月22日

人とマシンのライブ・ディベート

2月11日(米国太平洋標準時)米国サンフランシスコでのThink 2019で、人工知能(AI)システムと、人間 […]

さらに読む

2019年1月28日

IBMリサーチが「Diversity in Faces(顔の多様性)」データ・セットを公開

顔認識システムの公平性の研究を推進 執筆:ジョン・R・スミス(John R. Smith)、IBMフェロー 皆 […]

さらに読む