おやすみ

いつか宇宙に吸い込まれたりしないかしら? | ありがとうおふくろ

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先週、おふくろが亡くなりました。

「調子がかなり悪くなっているらしい。今週か来週顔を見に行こう。ひょっとしたらこれが意識があるうちの最後の顔合わせになるかも?」という話をお姉ちゃんとして、「じゃあ明日、施設に電話して弘前行きの日程決めよう」なんて話をしたのが先週の月曜、9月7日の夜でした。

翌朝8日の8時過ぎに、叔父から「残念だけど…」と電話をもらいました。

無念。

…なんだけど、思っていたほどひどく打ちひしがれる感じではないです。その日から2〜3日はやっぱり悲しくて悲してく、ちょっとしたきっかけでおふくろのことを思い出し涙が出てきていたんだけれど、今はかなり冷静に思い出せるようになりました。

まだ思い出す内容によっては涙が出てくることもあるけど、むしろ「悲しい」という気持ちより「ありがとう」という気持ちの方が前に出てきます。おかげで思い出すと、笑顔になることが多くなってきたんじゃないかな。

おふくろは、お金と酒にはちょっとだらしないところのある時代もあったけど、それで誰かに大きな迷惑をかけることはなかったと思います。…いや、数年に1回くらいはあったかも? ww

でもそれを補って余りあるくらい笑顔(それも大爆笑の)や優しい気持ちや、なにか大切なものを与えてくれる人でした。

おれは本当にたくさんおふくろから貰いました。それはもう本当にたくさん。たくさんの宝物を。

これは多分、おれやかみさん、お姉ちゃん夫婦、そして親類やこれまでに出会ってきたたくさんの人も同じなんじゃないかな? 息子として、すごく誇らしいです。

おれもおふくろのように与えられる人になりたいです。タイプは相当違うけれども。

今回、おふくろの元に着いた8日から、簡易な葬儀を済ませた11日まで、お姉ちゃんと話をする時間がいっぱいありお互いが思い出したことをいろいろと伝えあいました。

その中からいくつか「そう言えば…!」と思ったことがあったので、ここに書いておきます。

おれが小学生低学年のとき、2度ほど「おれの知らない人」が家に数泊していくことがありました。誰なのかを両親に尋ねると、昔住んでいた街のご近所さんとのこと。

当時、うちは狭い団地に3〜4人暮らし(親父は同居している時期と別居している時期があった)で、決してスペースに余裕があった訳ではなかったし、お金もどうにかこうにかやりくりして暮らしていたけれど、「知らない人」にはお客様用の布団に寝てもらい、食事を提供して一緒に食卓を囲んでいた。

…と、ここまではおれも覚えていました。でも、お姉ちゃんに聞いて知ったのは、その人の「お金を貸して欲しい」というお願いに、おふくろがきっぱり「No」と答えていたらしいこと。

「食事も寝床も少しくらい融通してあげられるけど、お金は貸せません」。
— 貸せる現金が手元になかっただけかもしれないけど、それでも「そこはしっかりしているんだな」とお姉ちゃんは感心したって。

おれもその話を聞いて感心した。そして「数年の近所付き合い」であっても、そこまで大事にできることにも感心しました。時代が違うとはいえ、そこまで縁を大事にできていないな。

同じ頃、おふくろとお姉ちゃんと3人で、近所の犢橋貝塚公園で一晩中流れ星を見ながら過ごしたことがありました。多分、これも数回あった気がする。外で一晩過ごせる時期に「なんとか流星群」が来ると行ってたのかな?

ゴザひいて、タオルケット持って(おれが子どもの頃は「ブランケット」なんておしゃれなものは無かったのよ)、枕持って、ゴロッと芝生の上に横になって、一晩中流れ星を探してはお願いする。いろいろおしゃべりしながら。

「眠くならないように」って、ポットにコーヒーを入れて持って行った気がする。おれはたいてい夜中にうつらうつらして、明け方明るくなるまで起きていたことはなかったかも。はて、おれは何をお願いしていたのだろう?

お姉ちゃんによると、おふくろは星空を眺めながら「宇宙って不思議よね。難しいことは分からないけど、こうやって見てたら、いつか宇宙に吸い込まれたりしないかしら?」みたいなことを目をキラキラさせながら言っていたらしいです。

そういう人でした。

おふくろにはおもしろおかしい話も一杯あって。

プロボクサーと付き合ってたけど、減量が始まるとデートでも水しか飲まないのでつまらなかったって話。

トルコ風呂がどんなところか知りたくてお店に行き、初の女性客として驚かれたけど、すっかり働いている人と仲良くなった話。

他にも、なかなかここには書きづらい話もあるな。

それから超本気でどやしつけられたことも何度かあった。小さな頃1度、馬乗りになって叩かれたこともあったっけ。

あれはおれが外で、xxxxxにマッチで火を付けて遊んでたとき。どこで話を聞いたのか、それともたまたま通りがかったのか、その姿を見つけると吹っ飛んできて、馬乗りになって火遊びがどれだけ危ないことか、人の命を奪う可能性があるかを大声で聞かされた。そしてふてくされて黙るおれが「もう2度としません」と言うまで両手を強く押さえつけられた。

これはずいぶんと昔に書いたろくな大人と同じ頃だったのかな? それよりもう数年前だったか…?

ちょうど20年前、おれはかみさん(ってまだ結婚はしていなかったけど)とワーキングホリデーでバンクーバーに行きそこで1年暮らし、日本に帰る前にひと月ほどかけてアメリカをぐるっと旅行してた。帰国まで残り10日ほどになった頃、お姉ちゃんからメールが届き、そこにはおふくろが脳溢血で倒れて助かるかどうかは分からないと書かれていた。

あのとき、おれはものすごく(多分、今回以上に)大泣きして、いろいろ考えたけれど結局日本には帰らず、そのままアメリカ旅行の残りを楽しむことにした。

理由は…いくつかのことが複雑に絡まっていてうまく言語化できないけれど、簡単に言えば「急いで帰ることで何か変わるものがあるとしたら、それはおれの気持ちだけだ」とそのとき思ったから。それに嘆き悲しみに暮れるのであれば、かみさんしか周りにいないアメリカの方がいいと、そのときのおれは思ったんだよね…。

結局旅行を続けてそれなりに楽しみながら、嫌な知らせが届いていないことを祈りながら宿に帰ってeメールを開いていた。あの頃、海外でもやりとりできるケータイなんてなかったからね。

あのとき一度、おふくろの死を決定的に覚悟して過ごしたことが、今回、自分でも意外なほど素直な気持ちでそれを受け入れられていることにつながっているのかなって思う。

おれの人生をおもしろくしてくれてありがとうおふくろ。これからもニコニコしながら思い出すね。ありがとう!!

Happy Collaboration!

コラボレーション・エナジャイザー

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