量子優位性とその先を見据えた拡張

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量子優位性とその先を見据えた拡張

IBM®はQuantum Developer Conference 2025で、アルゴリズム、ハードウェア、ソフトウェアの画期的な進歩を紹介しましたが、これらはコミュニティーが力を合わせて量子優位性を達成できるようにするためのものです。

量子優位性は、量子コンピューティング・マラソンのゴールではありません。実際のところ、これはむしろスタートに近いものです。量子優位性とは、証明可能な方法で、量子+古典のハイブリッド手法が純粋に古典的な手法を凌ぐことを意味します。そのような量子優位性が得られようとしている今、その先の有用な量子コンピューティングをゴールとして、私たちは、量子優位性とそのためのシステムをさらにスケールアップする準備を整えておかなければなりません。

2025年11月上旬に行われたQuantum Developers Conference(QDC)のキックオフで、私たちは毎年恒例となった進捗発表として、コミュニティーが量子優位性を達成し、さらにスケールアップするのに役立つ新しいツールと研究を発表しました。この中で、ロードマップ上に予定されていた新しいプロセッサーとソフトウェアの進歩には、予定されていた通りのチェックマークを入れることができました。そして、私たちはまた、コンピューティング自体の未来をどのように構築するかについてのビジョンも提示しました。

では、具体的にどのような発表があったのでしょうか。ユーザーの皆様はどのようにしてメリットが受けられるでしょうか。詳細について以下をお読みください。

量子優位性の3候補

昨年、IBM Researchのディレクターである Jay Gambettaは、量子コミュニティーと HPCコミュニティーが協力すれば、2026年末までに量子優位性が実現するだろうと述べました。まさに今、量子コミュニティーは、最初となる量子優位性の信頼できる宣言をし始めています。

今年の初めに、私たちは量子優位性時代にいつどのように入ったかを厳密に測定するためのフレームワークを発表しました。今日、私たちは量子技術の歴史においてエキサイティングな時代を迎えています。私たちはすでに、企業が実用的な古典ソリューションに代わる潜在的な有用性を持った、量子で稼働する代替手段を構築しつつある実例を目の当たりにしています。同時に、理論科学者たちは、信頼できる古典手法に対して量子回路の実装を検証することにより、厳密な量子優位性の証明を進めています。

IBMのチームは、古典計算と比較して、厳密に検証できるような分離(separation)を示す回路を見つけることに取り組んできました。 QDCでは量子優位性実験の候補として三種類を発表しました。すなわち、オブザーバブルの推定、変分アルゴリズム、効率的な古典的検証が可能な問題です。しかし私たちは、コミュニティーはまだ量子優位性を達成していないと考えています。それは、前述の量子優位性の枠組みで定めた重要な基準がまだ満たされていないからです。それらの基準とは(a) 量子計算の厳密な検証(b) 効率、費用対効果、精度、またはその三つの組み合わせの観点から測定され明らかになった量子分離です。

そこで、IBM、Flatiron、BlueQubit、Algorithmiq は、コミュニティー主導でオープンな量子優位性トラッカーに貢献しました。このトラッカーにより、ユーザーは量子優位性の有望な候補を体系的にモニター・評価し、これらの候補を主要な古典手法と比較して評価することができます。

こちらで、新しく発表されたQuantum Advantage Tracker上に、最新の量子優位性候補の詳細をご確認ください。

量子優位性をスケールアップするための新機能

一方、IBMの仕事は、量子回路で量子優位性を検証するユーザーから、量子でアプリケーションを高速化しようとしているユーザーまで含めた量子コミュニティーが、量子優位性を見つけてスケールアップできるようにするツールを構築することです。

IBM Quantum Nighthawkチップ

まず、量子優位性には高性能なハードウェアが必要です。今年IBMは、120量子ビットのIBM Quantum Nighthawkを発表しました。Nighthawkは、正方形型の量子ビット・トポロジーを備えた最初のチップであり、カプラーの数を Heronの 176個から 218個に増やしました。これにより開発者は、より少ないスワップ・ゲートで30%複雑な回路を設計できるようになり、より大規模な問題に取り組むことができます。

Nighthawkは、モジュール式構造と個別の性能の両方の方法で拡張できるように設計されています。IBMは、Nighthawkシリーズのチップを改良し、5,000、7,500、10,000、そして最終的には 15,000量子ゲートを含む回路を実行できるリビジョン(機能更新版)を実装する予定です。私たちは、2025年末までに5,000ゲートを稼働できるNighthawkをマイルストーン上で予定していますが、そのマイルストーンは達成可能であると予想しています。

こちらで新しい IBM Quantum Nighthawk を詳しくご覧ください。IBM Quantum Nighthawkの量子ビット・プレーンには、正方形の格子状に配置された120個の量子ビットが含まれています。

また、これまでで最も高性能な IBM Quantum Heronもリリースしました。これでリビジョン3となったHeronは、2量子ビット・ゲートのエラー率について、これまでで最も低い中央値を持つことを特徴としています。176個の可能な 2量子ビット結合のうち、57個は、1,000回の操作ごとに生じるエラーの回数が 1回未満になっています。さらに、Heronフリート全体の計算能力として、2024年末は200,000 CLOPSだったのに対して、330,000 CLOPSという新記録を達成しました。これによって量子ユーティリティー実験を60分以内に実行できますが、これは2023年の能力の 100倍をはるかに超える速さです。また、コミュニティーへのコミットメントとして、QDCの参加者にはカンファレンス中にibm_boston Heron r3チップへの独占アクセスが提供されました。QPUの詳細についてはIBM Quantum Platformでご確認ください。

量子優位性を実現するワークロードにおいてハードウェアと同程度に重要なのは、高性能なソフトウェア開発キットです。オープンソースのQiskit SDKは、引き続き最も高性能なオープンソース量子SDKとして選ばれています。最新のベンチマーク結果によれば、Qiskit SDK v2.2はトランスパイルが Tket 2.6.0より83倍高速です。

Qiskit SDK v2.2の詳細については、IBM Quantum ブログを参照するか、リリース・ノートをご参照ください。

一方、量子優位性を発見して検証するためには、開発者が回路を構築して最適化する際に高度なコントロールが必要です。Qiskit v2.1では、ユーザーが回路の一部リージョンにフラグを追加できるボックス・アノテーションが有効になっています。Samplomaticパッケージでは、これらのリージョンにカスタマイズを追加できるようになりました。次に、これらのカスタマイズをテンプレートと、回路のランダム化にセマンティクスを提供する samplex と呼ばれる新しいオブジェクトに変換します。ユーザーは、回路テンプレートとsamplexを新しいexecutor primitiveに渡すことで、高度で組み合わせ可能なエラー緩和手法を適用するためのはるかに効率的な方法が利用可能です(Samplomatic GitHubパッケージの使用を開始するにはこちらをご覧ください)。

アノテーションを使用すると、スケーラブルな動的回路(ダイナミック・サーキット)の構築と実行など、回路の改善も可能になります。 動的回路は、回路の実行途中に古典的な演算を組み込み、回路の中間測定で得られた情報をフィード・フォワードして、回路の後続部分に条件付きで変更を加えます。回路アノテーションにより、ユーザーはゲート実行の遅延や、間隔を調整(ストレッチ)できるようになります。QDCでは、ストレッチ機能を使用して、測定とフィード・フォワード操作中に、アイドル状態だった他の量子ビットに動的デカップリングを追加するデモを紹介しました。

そのデモでは、100量子ビット以上の実験規模で 2量子ビット・ゲートが 58% 削減でき、最大で25%精度の高い結果が得られました。これは、8トロッター・ステップと46サイトを持つイジングモデル・シミュレーションを含んだ静的回路と動的回路を比較した結果になります。言い換えれば、動的回路を実用規模で実行することが可能になり静的回路に比較して具体的な利点が得られているということです(実用規模の動的回路の詳細についてはドキュメントをご参照ください)。

さらに、samplomaticにより、ユーザーは高度な古典エラー緩和ツールを実行する際に、より多くのコントロールと柔軟性を得ることができます。 確率的エラー・キャンセル (PEC、Probabilistic error cancellation) は、ノイズのある量子回路からバイアスを除去し、ノイズのない期待値を得られるようにするエラー緩和手法ですが、かなりのサンプリング・オーバーヘッドが必要になるという問題がありました。それに対し、samplomaticが提供する改善されたコントロールは、高度な古典エラー緩和手法を回路に用いて、PEC のサンプリング・オーバーヘッドを1/100に削減できます。(新しいpropagated noise absorptionアドオンと、shaded lightconesアドオンによって高度な古典エラー緩和手法を回路に追加してみてください。)

私たちIBMは、量子優位性は、量子と古典が連携して初めて得られると常に主張してきました。今年は、量子コミュニティーが HPC(ハイ・パフォーマンス・コンピューティング)に進出した多くの例が世界で見られました。しかし、科学分野のプログラマーは主にC++のようなコンパイル型言語で作業しているのに対して、Qiskitはもともとインタプリタ言語であるPythonで構築されていました。

そこで、Qiskit v2.xでは、 外部関数インターフェイスを活用して、コンパイル型言語とインタープリタ言語のどちらであっても他のプログラミング言語との結合が可能になる C言語APIを導入しました。Qiskitは C言語 APIを用いることでHPCシステムとのより深い統合を実現し、量子・古典ハイブリッドのワークロードでそれぞれの部分が効率的に実行できるようになります。私たちは最近、このC言語API の上に C++言語インターフェイスを構築しました。これについては今年の QDC と IBM Quantum ブログと新しい量子+HPCワークフロー・デモで取り上げました。(詳細については、GitHub上でQiskit C++ やGitHub上の新しい量子+HPCワークフロー・デモをご覧いただくか、C言語APIドキュメントをご参照ください。)

量子優位性を実現するための回路とアルゴリズムが組み合わさって、最終的には量子アプリケーション・ライブラリが強化されます。IBMはかねてより、2027年までにアプリケーション・ライブラリを実現することを約束しておりました。今年のQDCでは、それらのライブラリを構成すると予想される四つの主要分野において、最先端のアルゴリズムの進歩を示しました。それらの主要分野とはハミルトニアン・シミュレーション、最適化、機械学習、微分方程式です。

その目標に向かって、私たちは2024年初めにQiskit Functionsをデビューさせました。私たちのパートナーであるE.ON、Yonsei、ColibriTDは、Q-CTRLとQunova Computingが提供するQiskit Functionを利用した研究をすでに発表しています。今年は、Qunova Computing、Kipu Quantum、Colibri TD、Global Data Quantum が新しい Qiskit Functionsを提供開始しています。IBM Quantum Platform上でこれらQiskit Functionsをご確認ください。

フォールト・トレラント・アーキテクチャーの構築

IBM Quantumはコミュニティーが量子優位性を達成およびスケールアップできるように進めると同時に、フォールト・トレラント量子コンピューティングの拡張に向けたロードマップの推進にも重点を置いています。この成功のためには、新しいハードウェアをリリースする際、学習サイクルを可能な限り加速して、知見を高めていく必要があります。

学習のサイクルの加速の鍵となっているのは、より多くのチップをより迅速に作成できる新しい製造プロセスです。今年、私たちはチップの背後にある製造プロセスを明らかにしました。IBM Quantumのすべてのチップは、常時稼働で最先端のアルバニー・ナノテック・コンプレックスで製造される300 mm ウェハーから始まります。この設備にはIBM Researchで世界をリードする半導体と量子の専門知識を詰め込んだ 最新300 mmテクノロジーが組み込まれています。そのようなプロセスによって、ウェハーの処理時間を半分に短縮し、最新チップについての研究開発の速度を2倍に加速し、同時に、これまでにリリースしたチップよりも10倍複雑なチップを製造できます。(量子チップの製造に 300mmテクノロジーを使用する理由の詳細については、こちらをご覧ください。)

300mm IBMQuantum Nighthawk ウエハーを持つ IBM 研究者。

そのようにして得られた知見を生かして、IBM Quantum Loon量子プロセッサーの準備は整えられました。Loonは、量子低密度パリティ・チェック (qLDPC) 符号を実装するために必要な主要コンポーネントの多くを実証する概念実証用プロセッサーです。

私たちはこれまでの実証実験で、6方向の量子ビット接続を実現し、チップ表面の配線層を増やし、物理的に長いカプラーを作成し、量子ビットを基底状態にすばやくリセットする機構を構築する能力を個別に実証してきました。Loonでは、新しい電子設計自動化(EDA)ツールの支援を受けて、これまで以上に複雑なアーキテクチャを実現し、これらすべての機能を初めて結合してテストします。

現在、Loonはほぼ製造が終了しており、年末までに組み立てられる予定です。

IBM Quantum Loon 画像のレンダリング。

最後に、ロードマップでの予定よりも1年早く実現された技術をご紹介します。エラー訂正には、リアルタイムでエラーをデコードできるエラー訂正デコーダーが必要です。今年の初めに、柔軟で正確、高速かつコンパクトな復号アルゴリズムであるRelayBPを発表しました。最近では、AMD製のFPGAにRelayBPを実装したことを発表しました。現在、復号タスクを480ns未満で完了できますが、これは他の主要な業界ソリューションの起動コストよりも約1桁高速です。デコーダーを拡張するための作業はまだありますが、この重要なハードルを乗り越えたことを私たちは誇りに思っています。RelayBPのブログはこちらから、最新の論文はこちらからお読みください。

量子優位性を共に

今年私たちが目にしているのは数々の新機能だけではありません。量子優位性が出現しようとしており、ハードウェアの改善によって、古典コンピューティングを凌ぐ決定的な高速化が実現しようとしています。新しいソフトウェア・ツールは、それらの利点を活用し、ユーザーが量子リソースと古典リソースを統合した新しいアルゴリズムを実装し実行できるようにします。IBMがロードマップに沿って新技術の開発を進めていけば、コミュニティーが量子中心のスーパーコンピューティングを実現してくれると確信しています。今必要なのは、より多くのユーザーの皆さんにこの旅に参加していただくことだけです。

この記事は英語版IBM Researchブログ「Scaling for quantum advantage and beyond」(2025年11月12日公開、Ryan Mandelbaum著)を翻訳し一部更新したものです。

著者

堀井 洋

IBM Quantum Japan 統括部長

立花 隆輝

東京基礎研究所 シニア・テクニカル・スタッフ・メンバー