量子優位性の夜明け

量子コンピューター

量子優位性の夜明け

量子優位性(Quantum Advantage)を達成したという主張が出現し始めています。しかし、実際に実現されているかどうかはどうやって判断することができるのでしょうか?IBM®と量子スタートアップPasqalの研究者は、arXivに最近公開された新しいホワイトペーパーで、この疑問やその他の疑問を考察しています。

量子コンピューティングは、量子優位性の時代という重要な段階に突入しようとしています。量子優位性を達成したという主張が出現し始めているのです。これから数年の間、量子優位性について説得力のある仮説が、研究者や開発者からいくつも提示されるものと予想されます。提示された仮説はそれぞれ、より広範なコミュニティーから提示される最先端の技術で反証されるか、それとも反論に耐えてその量子優位性が維持されるかのどちらかになります。

量子優位性とは、簡単に言えば、量子コンピューターが古典コンピューターと比較して、より正確、より安価、またはより効率的に計算を実行できることを意味します。現在から 2026年末までの間に、量子コミュニティーが最初の量子優位性を見出すだろうと私たちIBMは予測しています。これに関連して知っていただきたいことは他にもあります。

量子コンピューティングは、近似を用いずに厳密解を求める古典アルゴリズムには実行できないレベルの計算を実行できるという有用な科学ツールになりました。そしてさらにIBMとIBMのパートナーは、トップレベルの古典近似手法と比べても遜色のないさまざまな実験をすでに量子コンピューターで行っています。同時に、計算科学の研究者は、革新的な新しい古典アプローチを用いて、量子優位性の主張を検証しています。

しかし、量子優位性が達成されたかどうか、また、いつ達成されたかはどうやって判断することができるでしょうか?

私たちは、スタートアップのPasqalと共同で、量子優位性を定義し、量子優位性の主張を科学的に検証する方法、およびそれを達成するための潜在的な方法を概説した新しいホワイトペーパーを公開しました。

量子優位性とは?

このホワイトペーパーでは、量子優位性を、二つの重要な基準を満たすやり方で量子コンピューター上でタスクを実行する能力と定義しています。第一に、その量子コンピューターの出力の正確性を厳密に検証できること。第二に、古典計算手法だけで達成できるよりも優れた効率、費用対効果、または精度を示すという、量子分離(quantum separation)をもってタスクが実行されること。

この定義にはいくつかの示唆があります。まず私たちIBMは、量子コンピューターが単独で動作することによって量子優位性が達成されるとは期待していないということです。そうではなく、量子優位性は量子コンピューターを活用して古典ワークフローを強化するユースケースから生まれます。つまり、量子優位性とは、「量子+古典」が古典単独を凌ぐことを意味します。

私たちが目指す理想的なベンチマークは無条件量子分離、つまり、量子コンピューターと古典コンピューターのアルゴリズム的パフォーマンスを比較した時に、その間に明確で証明可能な差が生じることです。量子分離は典型的には、計算複雑性における理論的な仮定に基づくか、最良であると知られている古典アルゴリズムとの直接的な比較から導き出されます。いくつかのケースで、そのような分離が存在する潜在的可能性を研究者はすでに特定しています。しかし、これまでに知られた結果のほとんどは、量子コンピューターがまもなくもたらすと期待される指数的パフォーマンス優位性は示していません。

こういった定義を考慮した結果、最初の量子優位性の実現は、サンプリング問題、変分問題、観測量の期待値計算という三つの問題領域のいずれかで起こるものと私たちは予想しています。

ただし、量子優位性が実現したことを厳密に確認するのは容易なことではありません。古典計算を用いて結果を検証することができるケースや、後述する変分原理を用いるケースは別ですが、常にこれらのケースが当てはまるとは限りません。そうでない場合には、計算の各部分をそれぞれ個別に検証していく必要が生じます。これはエラー検出とエラー緩和の、信頼性ある手法を使えば可能になります。

量子優位性を厳密に検証するという要件は、現実に起きる流れとしては、研究グループが量子優位性を実現したという仮説を立て、さらに自分たちでその結果の検証を試みることを意味します。それと同時に、研究コミュニティーはその仮説を支持する、あるいは否定しようとする試みで反応します。このやり取りは、コンセンサスに達するまで続きます。この際の、問題の検証しやすさを考えると、変分問題と期待値計算が、証明された量子優位性を最初にもたらす可能性が高いと私たちは考えています。

このことは、量子優位性はある一回の時点に起きるのではないという重要なポイントにもつながります。そうではなくて、最終的に量子優位性が実現したというコンセンサスにコミュニティーが達するまで、いくつもの仮説が検証されることになるものと思われます。

そして、それもまだほんの始まりにすぎません。というのは、量子優位性の探求は最初の主張が認められた後も終わらないからです。私たちは、有用な量子コンピューティングを世界にもたらすアルゴリズムを開発し続けなければなりません。この探究は、大規模でフォールト・トレラントな量子コンピューターがリリースされた後も続いていくでしょうが、それは、コンピューター科学者が今日の古典コンピューティングの分野を前進させているのとほぼ同じやり方になります。

ここで再度、明確にしておきましょう。量子優位性の最初の実現に関してコミュニティーは来年末までにコンセンサスに達するものと私たちは予測しています。その時点から先も、量子コンピューターからさらなる価値を引き出す新しいアルゴリズムの模索は続いていきます。

量子優位性への明確な道筋

長い期間にわたってIBMは、量子優位性に至る道を明確にした上で、一歩一歩押し進めてきました。私たちは、量子回路から正確で価値のある出力を取り出すために、量子コンピューティング・ハードウェアの革新を推進しています。同時に、IBMと量子コミュニティーのドメイン専門家や開発者は、価値のある量子計算アルゴリズムを探究しています。

この流れの中で、2023年にIBMは量子有用性(quantum utility)という重要なマイルストーンを達成しました。量子有用性は、量子コンピューターが、量子回路の愚直な古典シミュレーション手法を超えて、大規模で信頼性の高い計算を実行できるという実証でした。それに対してこれからの量子優位性とは、すべての古典手法を超えることを意味します。

その道を進めるには、三つの主要な点でハードウェアとインフラストラクチャーの要素を改善する必要があります。すなわち、(1) 高性能の量子ハードウェア、(2) 古典リソースと量子リソース間で同期されたプログラムを実行するインフラストラクチャー、そして (3) 正確な量子回路を実行するための方法です。その三つ目については、私たちのパートナーが貴重な支援を提供しています。

長期的に量子優位性を達成するための、短期的将来のエラー緩和技術

完全なフォールト・トレラント量子コンピューティングを実現するには、エラー訂正を実装する必要がありますが、その実現の前に、量子回路のノイズによって引き起こされる期待値計算のバイアスを軽減および排除できる新しい一連の技術が登場しました。エラー緩和と呼ばれるそれらの技術は、ノイズの影響を「緩和」します。エラー緩和は、2026年末までに量子優位性を達成するために不可欠であり、初期のフォールト・トレラント時代において重要な役割を果たすものと予想されます。

今日のエラー緩和手法の中には、古典計算を用いた後処理を行うものもあり、それらは指数的な計算オーバーヘッドを必要とします。それでも短期的将来の量子実験において、古典シミュレーション手法よりもはるかに有利にスケールするということで活躍するだけでなく、ハードウェアの改善とともにそのスケーリングは改善され続けるものと期待されます。

IBMの多くのパートナー企業が強力なエラー緩和手法を構築しており、それらの手法はQiskit Functions Catalogを介したサービスとしてアクセスできます。たとえば、AlgorithmiqTensor Network Error Mitigation (TEM) サーキット・ファンクションは、QPU(量子処理装置)の使用量を削減しながら、ソフトウェア的後処理でノイズに対処します。これからIBM Quantumのロードマップに沿って量子システムはますます大規模なものが利用可能になっていきますが、Algorithmiqの TEMファンクションなどのエラー緩和サービスを組み込めば、古典HPCを使用して、現在の量子コンピューターでできることは広がっていきます。そのような古典HPCと量子コンピューターを統合したこのアーキテクチャーは、量子中心のスーパーコンピューティング(QCSC、Quantum-centric Super Computing)と呼ばれます。TEMのような技術は、研究コミュニティーが新しい計算領域を開拓し、量子優位性への推進を促進する量子アルゴリズムを発見するのに役立つことが期待されます。

エラー緩和のもう一つの成功例は、Qedma量子エラー抑制およびエラー緩和(QESEM)サーキット・ファンクションであり、これもQiskit Functions Catalogで入手可能です。QESEMは、量子エラー抑制とエラー緩和を組み合わせてハードウェア・レベルのエラーを低減し量子計算の信頼性を向上させる、リソース効率の高いサービスを提供します。これを利用するQESEMユーザーは、実用規模の回路を実行する精度が向上し、今現在ないし短期的将来に利用可能な量子コンピューティングからより大きな価値を引き出すことができます。

これらは、エラー緩和技術を改善し、使いやすくすることが、有用な量子コンピューティングを短期的に実現するための鍵であることを強調する多くの例のうちの二つにすぎません。Qiskit Functions Catalogの機能が拡張されるにつれて、現在から2029年までの間、より複雑な問題の解決にますますいろいろな形でエラー緩和は役立っていくものと考えられます。

エラーへの対処ができたとして次に必要なのは、量子分離を実現するアルゴリズムです。

量子優位性の種

量子コンピューターを使用する研究者は、量子優位性を達成できる可能性の高い道筋をすでに明らかにしています。これらのアルゴリズムは、古典計算だけでは実現することができないアプリケーションを調査する研究の計算ツールとして量子を使用しています。

そのような、量子優位性を初めて実証する研究は、IBM Quantumのユーザーによってすでに行われており、量子優位性の仮説を提案する論文はすでに執筆され、コミュニティーに発表されています。すなわち、量子優位性の種はすでに蒔かれているのです。

つい最近、スタートアップの Kipu Quantumの研究者は、実行時の量子優位性を主張しました。高密度の高次無制約バイナリ (HUBO、Higher-Order Unconstrained Binary) 最適化問題に対して、量子アルゴリズムが特定目的の古典ソルバーよりも高速に実行できるという主張です。彼らは、CPLEXやシミュレーテッド・アニーリングなどの手法では困難な問題インスタンスを特定し、量子ハードウェアでBF-DCQO量子アルゴリズムを実行すれば、より高速な近似解が得られることを発見しました。彼らは、ハードウェアが進歩し続けるにつれて、ランタイムが間もなく桁違いに速くなることを期待しています。さらにKipuチームは、量子アニーリングやLR-QAOAと比較してBF-DCQOを評価しました。その結果、BF-DCQOは、テストされた問題インスタンスにおいて、精度、実行時間、リソースについて、これら両方の代替手法よりも優れていることを発見しました。量子アニーリングに対しては量子ビット・オーバーヘッドの点で、LR-QAOAに対しては回路深さの点でリソースの利点があります。

また、スタートアップの Q-CTRLは、最適化問題について、古典、量子アニーリング、およびイオントラップ技術に対して IBM Quantum システムをベンチマークしました。その結果、解決可能な問題サイズを 4倍以上に増やして、一般的に使用される古典ローカル・ソルバーよりも優れた性能を発揮することができました。この機能は、Q-CTRLのOptimization Solverアプリケーション・ファンクションとして利用可能です。また、スケジューリング・ソリューションに関するNetwork Railとの最近の協業では、(Optimization Solver機能を強化した)Q-CTRLのPerformance Managementサーキット・ファンクションにより、制約付き量子最適化の過去最大のデモが可能になり、実用的な量子優位性へ大きく前進しました。Performance Managementサーキット・ファンクションは、Optimization Solver機能を強化します。別のデモンストレーションでは、75量子ビットのもつれ状態を生成しました。これは、量子もつれを作るCNOTゲートを実行するための新しい方法と、軽量のエラー検出スキームの助けを借りて達成されました。その結果、驚異的な長距離量子もつれと計算ゲイン (40量子ビットで 85%+ 忠実度)が得られました。

一方、量子計算リソースと古典計算リソースを組み合わせて、化学および材料科学の主要な古典近似手法に匹敵する精度で解を返すことができる、一群のアルゴリズムがあります。これらのアルゴリズムは、関数の最小値または最大値を計算することによって系を理解できる原理である変分原理に従います。

変分原理:量子優位性の実現に有望な方向性

変分原理に従って問題を解く複数の手法が開発・研究されることで、化学や材料科学の分野で実用的な量子優位性が一歩一歩実現に近づいています。これらの問題に対する解は、古典手法とランク付けして比較することができます。そのため、量子で求めた解が、より高い精度またはより低いエネルギーを与えられるならば、厳密に検証することができるという意味でそこには量子優位性の可能性があります。

そのような手法の一つが、量子系のハミルトニアンを表現する、より簡単な方法を見つけることを目的としているSample-based Quantum Diagonalization (SQD) です。ハミルトニアンは、系の総エネルギーを計算するために使用される数学的対象です。ドメイン知識に基づいて定めた初期値から開始して、量子コンピューターと古典コンピューターが連携して、ハミルトニアンを射影できる適切な部分空間を見つけていきます。このアルゴリズムの挙動はまるで量子コンピューターがハミルトニアンの写真を撮っているかのようですが、ここで写真フィルムに相当するのが部分空間です。

先月、理化学研究所とIBMはSQDを使用して、窒素分子と、2種の硫化鉄クラスターとして2Fe-2Sと4Fe-4Sをシミュレーションしました。彼らの実験では、スーパーコンピューター富岳と同時に、IBM Quantum Heronプロセッサーで最大77量子ビットと最大 3,500個の 2量子ビット・ゲートで構成される大規模回路のシミュレーションを実行して、分子をシミュレートしました。これらの量子中心の計算は、近似を用いない古典シミュレーションの限界を超える、いわゆる「ユーティリティー・スケール(実用規模)」で動作しました。特に重要なのは、ハミルトニアンの期待値を精度指標と定めて、Science Advances誌に公表したように、研究者がSQDの出力を古典のみの手法と比較できるようにすることです。

量子優位性を求めて変分法を採用している研究グループは理化学研究所だけではありません。東京大学の研究者らは、クリロフ量子対角化(KQD)と呼ばれるSQDに似た手法を追求しています。Nature Communicationsに掲載されたように、IBMと東京大学のチームは、KQDが同様に、量子コンピューター上に部分空間を作成し、その上に材料科学の計算に適した目的のハミルトニアンを射影することからどのように演算が進むかを示しました。KQDには強力な利点があります。解の間隔に関していくつかの仮定をおけば、初期値にあまり依存しないで最適解に収束することがKQDは保証されています。

量子優位性は始まりにすぎません

これは短距離走ではなくマラソンです。ゴールに辿り着くために、IBMはより高性能な量子コンピューターをリリースし続けていますが、その一方で量子コミュニティーが新しいアルゴリズムを開発し続けることも不可欠です。このすべての量子アプリケーション開発の努力が、この世界に有用な量子コンピューターをもたらすのです。

量子優位性を実現するには、コミュニティーが一連のベストプラクティスを採用することも必要だと私たちは考えています。これらは、まず、問題が適切で公平であることを保証するために、古典計算の専門家の助けを借りて標準化されたベンチマーク問題を定義することです。次に、チームは詳細な方法論とデータセットを公開して、それらを再現できるようにする必要があります。そして第三に、計算パフォーマンスの向上を追跡するために、オープン・アクセスのリーダーボードを維持する必要があります。

コミュニティーが協力してこれらのベストプラクティスを作り、実践するとともに、量子優位性と有用な量子コンピューティングを実現するための探求を続けることを願っています。始めるのに今ほど良い時期はありません。

量子コンピューティングと量子優位性の可能性を探るには、IBM Quantum Learning を始めてください

この記事は英語版IBM Researchブログ「The dawn of quantum advantage」(2025年7月21日公開、Ryan Mandelbaum、Jay Gambetta、Borja Peropadre、Olivia Lanes著)を翻訳し一部更新したものです。

著者

川島 雪生

IBM Quantum スタッフ・リサーチ・サイエンティスト

立花 隆輝

東京基礎研究所 シニア・テクニカル・スタッフ・メンバー