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クオンタム・ビジネス――Q2B 2018 report:Winner Takes Allに向けた戦いは始まっている

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西林泰如

西林泰如
日本アイ・ビー・エム株式会社
戦略コンサルティング&デザイン統括
マネージング・コンサルタント


総合電機メーカー、米国系戦略コンサルティングを経て、IBM に参画。専門はビジネス・テクノロジー両輪に関する、経営企画・経営戦略、事業開発・事業戦略、提携・投資/M&A、海外進出(米国シリコンバレー、シンガポールなどでの海外駐在経験)、情報通信・インターネット技術(日米120件超の特許の筆頭発明者)。IBMでは、Global Digital Strategy Groupに所属。IBMがリードする破壊的テクノロジーによる革新をテーマに、経営戦略・事業戦略、デジタル戦略、オペレーション戦略、組織チェンジ・マネージメント、テクノロジー・データ戦略の戦略業務に従事している。工学修士(MEng)、および、経営管理修士(MBA)。

 

橋本光弘

橋本光弘
日本アイ・ビー・エム株式会社
戦略コンサルティング&デザイン統括
マネージング・コンサルタント


日本学術振興会特別研究員(DC1)、国内大手電機メーカー研究員(中央研究所、米国研究所他)としてストレージデバイスの研究開発に従事。その後、米国系戦略コンサルティングファーム及びIBMにて、電機、機械、エネルギー、金融業界のコンサルティングに従事。専門領域は全社戦略(中期経営計画、ポートフォリオ戦略、シナリオプランニング)、新規事業戦略、M&A(ビジネスデューデリジェンス・PMI)、オペレーション改革、組織再編。近年は特にIoT・AI・ブロックチェーンなどのテクノロジーを活用した新規事業戦略策定やオペレーション改革をテーマにしたプロジェクトを多数手掛けている。博士(工学)。

 

前回、IBM THINK Businessで2018年11月28日に発行された寄稿文「クオンタム・ビジネス――量子コンピューティングによるインパクトと可能性」において、著者らは、量子コンピューティングの概要や、量子コンピューティングが企業経営・事業にもたらすインパクト、量子コンピューティング活用に向けた協創の基盤とユースケース開発、企業経営者が採るべき最初のステップなどについて述べた。

重要な点は、量子コンピューティングを企業経営・事業に活かすための議論・取り組みは、もはや一部の企業の活動にとどまらず、業界の垣根を越えて大きく加速していることにある。この世界では、強力なユースケースをいち早く開発して自社のビジネスモデルに組み込んだ先行者が圧倒的な競争力を獲得する“Winner Takes All”の構図が成立し、後発参入者は意味をなさない。事実、量子コンピューティングのリーディングカンファレンスであるQ2Bカンファレンス(Quantum Computing for Business:IBM、Microsoft、Googleがゴールドスポンサーとして運営に参画)においても、危機意識の高い企業はこの本質を理解し、いち早く取り組んでいることが伺える。本稿では、最新のQ2Bカンファレンスにて明らかにされた主要企業の最新事例・動向を交えつつ、量子コンピューティングを経営・事業に活かすための取り組みのあり方を具体的に追求していきたい。

 

1. Q2Bカンファレンス2018の概要

Q2Bは量子コンピューティングのビジネス応用の加速を目的としたカンファレンスであり、米国QC Ware社が主催している。量子アルゴリズムと量子コンピューティングリソースを使用したアプリケーション開発の促進を目的とし、各業界のビジネスリーダーが有望なアプローチについて研究者やプラクティショナーと協力し、実用的な可能性を理解する場などが提供されており、さまざまな業界・団体が参画し、活発な議論が行なわれている。

最新のQ2Bカンファレンスは、2018年12月10〜12日、米国シリコンバレー(Mountain View, California)にて開催された。2018年度は、2017年度に続き、通算2回目の開催であったが、その参加者の規模は急拡大している。今回の参加者は合計366名、17カ国、156の企業、30の大学、13の政府組織にまで達している。国別の参加者において、日本は米国に次いで2番目に多く、量子コンピューティングにすでに取り組んでいる企業・組織や、これから取り組もうとしている企業・組織など、数十名が現地に足を運んでいる。

3日間のカンファレンスの中では、量子コンピューティングの主要プラットフォーマーからのハードウェアやアルゴリズム、プログラミング環境(開発ツールのプラットフォーム)などの鍵となる技術の最新動向の紹介に加えて、各業界を代表する企業のビジネスリーダーにおけるパネルディスカッションやプレゼンテーションが行なわれた。すでに量子コンピューティングを自社の事業に活かすための取り組みを全社レベルで推進している大手自動車メーカー、大手航空機製造メーカーなどの事業会社も増えつつあり、自社のビジネスに破壊的な影響を及ぼす可能性に対し早期の能力獲得を進め、来るべき時代に向け備えているといった様相である。

 

2. 主要な業界・企業の動向

本章においては、Q2Bカンファレンス2018における主要な業界・企業の動向の全体像について紹介する。

量子コンピューティングに関わるプラットフォーマー主要3社(IBM、Microsoft、Google)から各々、ソフトウェア・フレームワークやハードウェアの要素技術の研究開発動向、インダストリー・プレイヤー(事業会社)の各社エコシステムへの巻き込み、新規ユースケース・アプリケーション創造に係る取り組みの現状が紹介された。

また、量子コンピューティングを活用するインダストリー・プレイヤーとしては、特に前出の大手自動車メーカーや大手航空機製造メーカーが、量子コンピューティングに対する全社レベルの取り組みの有用な事例を紹介。大手自動車メーカーは、2年前から量子コンピューティングに対する取り組みに着手しており、技術探索・検証・PoCなどを経て、現在は全社レベルの技術・知財戦略の施策の中核に反映させている。また、大手航空機製造メーカーにおいても大手自動車メーカーと同様の取り組みを進めてきたことに加えて、さらに一歩踏み込んだ取り組みとして、量子コンピューティングに関するオープン・イノベーションの施策の構想を発表。この構想は自社の経営・ビジネスオペレーションにとって、大きな影響のある領域を特定し、それら課題を解決する量子アルゴリズムの公募・ファンディングを行なうものである。

この他、米国においては、政府・商務省直下のNIST(National Institute of Standards and Technology)主導でのコンソーシアムQEDC(Quantum Economic Development Consortium)の発足がQ2Bカンファレンス2018の中で紹介された。かつて、スマートグリッド分野の黎明期において、同様の取り組みが、NIST SGIP(Smart Grid Interoperability Panel)の中でのエコシステム構築(標準化も含まれる)という形で進められたが、量子コンピューティングにおけるさまざまなプレイヤーの協創、業界活性化の加速が一段と見込まれている。

次章では、これらを踏まえて、量子コンピューティングに対する事業会社のケイパビリティ拡大(クオンタム・レディからクオンタム・アドバンテージの世界への展開)を大手自動車メーカーの事例、同じく、エコシステム拡大(クオンタム・エコシステムとオープン・イノベーション)を大手航空機製造メーカーの事例の紹介を交えながら、インダストリー・プレイヤーが今何を準備しなければならないのかの重要論点・要件について明らかにしていきたい。

 

3. クオンタム・レディからクオンタム・アドバンテージの世界へ~大手自動車メーカーの事例~

古典コンピューティングでは解決が困難と考えられるいくつかの重要なビジネス上の課題を量子コンピューティングによって解決することのできる世界、「クオンタム・アドバンテージ」の時代はもう間もなく到来しようとしている。以下の図面に示すように、このようなクオンタム・アドバンテージは、ユースケースの創造から商用化までの段階に合わせて、段階的に具現化範囲が広がっていくものである。クオンタム・アドバンテージの世界が顕在化する時期や効果は業界によって異なる一方で、市場調査会社Markets & Marketsの調査によれば、今後5年間で約5億ドルから最大約290億ドルまでの経済効果をもたらすことが期待されている。

出典:『Coming soon to your business – Quantum computing』, IBM Institute for Business Value

それでは、なぜインダストリー・プレイヤーは、今このタイミングで量子コンピューティングに取り組む必要があるのだろうか。これは、量子コンピューティングの世界においては、世間一般に予想されているよりも格段に早く、テクノロジー進化が進み、また業界・企業間の協創環境の形成が進んでいることにある。また特に、以下に示すような量子コンピューティングが固有に抱える特徴も考慮しなくてはならないだろう。

  • 量子コンピューティングにおけるテクノロジー(実装・評価・運用に関わるノウハウも含まれる)の革新は極めて早い速度で進み、競争関係にある競合企業が先駆者となりディスラプションを仕掛けられた時点で、戦いの勝敗は決する。今このタイミングで着手しなければ、競争優位の源泉を自ら手放すようなものである。
  • また、量子コンピューティングの世界では、一つの企業・組織だけで、必要ケイパビリティの構築を完結させることは困難である。古典コンピューティングの世界で、MicrosoftとIntelが協業したように、さまざまな協創プレイヤーとビジネスエコシステムを形成しつつ、競争優位を持つ自社ケイパビリティの構築(クオンタム・センター・オブ・コンピテンシーも含まれる)を進める検討は、今まさに着手しなければならない。

このような前提事項を踏まえると、以下に示すような5段階のステップを踏むことは、これから取り組みに着手するインダストリー・プレイヤーにとって非常に重要な戦略となりうる。

<クオンタム・アドバンテージに到達するための5段階の戦略>
(I)量子コンピューティングに関する検討責任者(クオンタム・チャンピオン)をアサインする。その責任者の活動を通じて、量子コンピューティングのさまざまなエコシステムや自社に対するインパクト理解することが重要である。
(II)自社においてインパクトの大きい重要な経営・オペレーション課題の特定とユースケースの見極めを行う。特に、古典コンピューティングでは解決困難な課題を解決し、量子コンピューティングが価値を発揮しうるユースケースを創出することは重要である。IBMのクオンタム・バリュー・アセスメント(QVA)も助けとなるだろう。
(III)実際のクオンタム・コンピューティングの実機で、ユースケースに対する解決策(アルゴリズム)の適用を行い、具体的効果を検証する。机上検討と実機評価で得られる示唆には雲泥の差が生まれるためである。
(IV)そのうえで、自社における研究開発・事業ロードマップの中で、量子コンピューティングがどう位置づけられるかを明確化し、必要となる体制・組織のあり方を含め、トップレベルで事業化のアプローチを決定する(この段階で、企業は、クオンタム・レディからクオンタム・アドバンテージに進化することが可能となる)。
(V)クオンタム・アドバンテージの世界に到達した企業は、ロードマップに即したアクションプランを進める中で、あらゆる外部・内部環境の変化にフレキシブルに対応しなくてはならない。革新は目を見張る速度で進んでおり、また、協創プレイヤーを含むエコシステムや競争環境も日々大きく変容が進むためである。

Q2Bカンファレンス2018の実際の企業の事例を見ると、前出の大手自動車メーカーや大手航空機製造メーカーは、まさに上述の観点から量子コンピューティングに関する先進的な取り組みを戦略的に進めていることが分かる。例えば、カンファレンスにおける大手自動車メーカーによるプレゼンテーションでは、2017年6月に技術探索の取り組みに着手し、2018年1月に社内経営トップへの報告に関わるプレリミナリレポート(自社にとって有用な領域とユースケースの方向性も含まれる)を策定。その後、並行して進めていたクオンタム・コンピューティング実機での検証(PoC:Proof of Concept)を同年9月までに行い、一次評価を完了させている。それを受けて、2018年12月には、量子コンピューティングの自社内における導入・活用計画を全社の研究・知財戦略に反映させ、組織化を行なっている。まさに、大手自動車メーカーは、来るべき時代に備える形で量子コンピューティングに関するケイパビリティの拡充を2年がかりで進め、クオンタム・レディからクオンタム・アドバンテージの領域に向けて進み始めている。

 

4. クオンタム・エコシステムとオープン・イノベーション~大手航空機製造メーカー社の事例~

前述のように、量子コンピューティングにおけるテクノロジー(実装・評価・運用に関わるノウハウも含まれる)の革新は極めて早い速度で進み、学習曲線も急勾配である。事実、以下に示すように、テクノロジーの構成要素に関するケイパビリティを企業一社が全て保有することは難しい。量子コンピューティングが解決しうる課題と効果が大きければ大きいほど、入念な準備を行ない、自社のケイパビリティを構築することが重要となってくるため、実際は以下図面に示すように、さまざまな業界・協創プレイヤーとのエコシステム構築が必須となってくる。

<量子コンピューティングのテクノロジー構成要素と必要なケイパビリティの例>

  • テクニカルサービス:一般的なIT技術の知識・専門能力
  • アプリケーション:アプリケーションのアーキテクチャ設計および開発の知識・専門能力
  • ユースケースに特化したライブラリ:業界・ドメイン固有の知識・専門能力
  • パフォーマンスライブラリ:量子アルゴリズムの知識・専門能力
  • コンパイラ・オプティマイザー:高度な数学・量子情報科学の知識・専門能力
  • アセンブリ言語・ドライバー:量子力学・物理学の知識・専門能力
  • ハードウェア:量子ハードウェア・エンジニアリングの知識・専門能力

出典:『Building your quantum capability』, IBM Institute for Business Value

Q2Bカンファレンス2018の実際の企業の事例をみると、大手航空機製造メーカーはインダストリー・プレイヤーの中でも先進的な取り組みを進め、量子コンピューティングに関する自社ケイパビリティの拡大(クオンタム・レディからクオンタム・アドバンテージへの進展)の実現だけでなく、エコシステム構築やオープン・イノベーションを含めた協創の自社事業への活用を進めており、講演の中でも大きな注目を集めていた。

大手航空機製造メーカーはQ2Bカンファレンス2018の中で、自社におけるビジネス価値・テクノロジー価値の大きい領域を特定・精査したうえで、その課題を解決するアイデア(量子アルゴリズム)を外部から公募する仕組みを発表している。元々、同社は自社の経営・オペレーションの根幹である機体の設計・製造に関わるシミュレーションなど、ハイパフォーマンスコンピューティングの領域に積極的に投資を行っており、量子コンピューティングもこの点から有望なテクノロジーとして着目している。

今回の公募は、2019年1月から12月までアイデアを受け付け、大手航空機製造メーカーやアカデミア、各種エキスパートによる審査・評価を経て、最終的にファンディング対象の提案を決定する。また、今回の対象は、以下のように大手航空機製造メーカーのビジネス・パフォーマンスに大きな影響を持つ5領域を精査・特定のうえ、公募対象としている。

  • 課題1:航空機運行のコスト効率設計の最適化(Aircraft Climb Optimization)
  • 課題2:航空流体力学に関する機体シミュレーション(Computational Fluid Dynamics)
  • 課題3:航空機機体(例:尾翼)設計の最適化(Wing Box Design Optimization)
  • 課題4:航空機機の機体シミュレーション(ニューラルネットワーク、非線形微分方程式の解法)(Quantum Neural Networks for Solving Partial Differential Equations)
  • 課題5:航空機の積荷作業オペレーションの最適化(Aircraft Loading Optimization)

以上のように、インダストリー・プレイヤーが量子コンピューティングに対してどのように向かい合い、また、将来の破壊的な創造に関わる価値の獲得に向け、どのようなステップを踏んでいくべきかを参照するうえで、大手航空機製造メーカーがQ2Bカンファレンス2018において発表した内容は、非常に多くの示唆を含んでいる。量子コンピューティングに関する取り組みを進めるべきは、今まさにこのタイミングに他ならないのである。

 

クオンタム・ディスラプション:業界変革の先駆者としてクオンタム・ビジネスのさまざまな価値を享受するために

本稿で述べたように、量子コンピューティングによる非常に大きな恩恵を享受・獲得するためには、各インダストリー・プレイヤーが直面している経営・事業課題に即した強力なユースケース開発が重要である。また、そのようなユースケース開発には、量子コンピューティング(古典コンピューティングも含まれる)に関するテクノロジーとビジネス戦略を、適切な時間軸を含めて見極めることが肝要である。IBMでは、このような複雑な変数を理解しつつ、インダストリー・プレイヤーの戦略策定に際し有用な示唆を、クオンタム・バリュー・アセスメント(QVA)と呼ぶオファリングを通じて提供することが可能である。貴社における量子コンピューティングの取り組みに対し、ぜひご支援させていただきたい。

photo:Getty Images