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JAL再生の立役者が語る、日本企業の課題と解決へのアプローチ

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※このコンテンツは2016年12月に日本経済新聞 電子版の広告特集「グローバル経営層スタディ、世界をリードする経営者たちの声」に掲載した内容の抜粋で、取材対象者の役職はインタビューを行った時点のものです。
 

長期にわたる経済停滞を経て、日本企業のチャレンジする意欲や創造力は薄れてしまったのだろうか。日本経済の競争力をさらに高めグローバル競争に打ち勝つために経営者が目指すべきアプローチは何か? 日本航空(JAL)の再生をけん引した現会長の大西賢氏に聞いた。

 

お客さまへの「感謝の心」を持ち、期待を先取りすることが成長を促す

大西会長は2010年から社長、会長として、企業文化や財務体質などの変革をリードし、自己資本比率は11年3月期の16.5%から16年3月期の53.4%にまで改善した。

── まず日本航空の取り組みをお尋ねします。大西会長の「革新」とは、どのようなものだったのでしょうか。

日本航空株式会社 取締役会長 大西 賢 氏

              日本航空株式会社 取締役会長 大西 賢 氏

大西 賢 氏 日本航空株式会社(以下、大西氏):
過去との決別を図り、稲盛和夫前会長にご指導いただいた「感謝の心」を出発点に意識改革を進めたことが重要な土台になったと思います。社員1人ひとりがお客さまをはじめ関係するすべての方々に対して感謝の気持ちを持つことで、日常生活やお客さまとの接客を含め行動が変わり、企業文化が変わります。お客さまと日々向き合うB2C企業は、企業文化の浸透が速い環境といえるかもしれません。

経営破綻のニュースが飛び交っていた時期、厳しいお声ももちろんありましたが、その中でも「頑張って」「応援しているよ」と声をかけてくださるお客さまがいらっしゃいました。そのようなエピソードは社員から社員へと広がります。その一言に私たちがどれだけ励まされたことか。社員1人ひとりの中に、感謝の心が自然と浸み込んでいったように思います。

加えて、全員経営の仕掛けを導入したことも大きな影響をもたらしました。「アメーバ経営」という言葉が有名ですが、当社では「部門別採算制度」と呼んでいます。少人数のビジネスユニットが自分たちで目標を立て、その達成度を評価する。1人の社員の頑張りはビジネスユニットの成果に大きく反映されます。この仕掛けにより、1人ひとりの目標と会社の目標を近づけることができました。

これらの取り組みを通じて、私たちは企業の文化と構造をつくり直してきました。ただ、さらなる成長に向けて課題も数多くあると考えています。

── さらなる成長への課題として、広く日本企業のイノベーションへの取り組みについて伺います。『創造と破壊の力学』*によると、「イノベーションを追求」していると回答した日本企業の経営者・役員は80%に上ります。ただ、56%の経営者・役員がイノベーション活動の目的を「業界内の競争や脅威への対策」と答えた一方で、「新たな業界への進出」との回答は25%にとどまりました。日本企業はイノベーションにはかなり意欲的ですが、攻めではなく守りを目的としているように見えます。

大西氏:
本当に守り切ることができれば、その企業は勝ち抜くことができます。やがて攻めに転じることもできるでしょう。自分たちのコアコンピタンスをマーケットで見つけ、守り切ることができれば、新たなマーケットへの展開も可能です。コアビジネスを守るために外部と連携することも重要でしょう。

ただし、マーケットは常に動いています。変化し続けるお客さまの期待に応えなければ、守り切ることはできません。ショートサイクルで試行錯誤を繰り返してお客さまの反応を確かめながら、私たち自身が変化し続ける必要があります。同じ場所に座しているだけの守りでは、生き残ることはできません。

* IBMのビジネス・シンクタンクであるIBM Institute for Business Valueは、日本経済の抱える諸問題や日本企業の課題について、日本における17業種の企業・行政組織の経営層1,151名を対象にアンケート調査を実施。その結果を先ごろ、『創造と破壊の力学』と題するレポートとして発表した。

日本企業は、イノベーションの破壊的側面に関する認識・理解を持ちつつも、攻めではなく守りを目的とする傾向が見られる

── 顧客の動きを察知または先取りするために、日本航空ではどのようなことに取り組んでいますか。

大西氏:
毎回お客さまを(良い意味で)裏切り続ける、言い換えれば、お客さまの期待を常に上回るサービスを提供する必要があります。あるとき素晴らしい体験に感動したお客さまにとっては、そのレベルが次回のサービスを評価する基準になります。上昇するばかりの期待値のバーを、私たちは越え続けなければなりません。それは極めて難しいことですが、エンドレスの努力を継続するほかありません。

例えば、当社は従来から日本各地の観光資源のプロモーションに注力してきました。日本には多くの眠った観光資源があり、そこには大きな潜在力があります。地元の人にとっては慣れ親しんでいて良さが分らなくなっていても、「若者」「よそ者」の多様な視点がそれらを発掘し、発信していく。そのようなやり方によってこれまでの活動をさらに拡大し、観光を通じて地域の活性化に貢献したいと考えています。こうした需要創造につながる取り組みも、ある意味ではニーズの先取りといえるかもしれません。

 

テクノロジーは重要、しかし差別化の鍵はデータの質と量

── テクノロジーの活用について伺います。同レポートでは日本企業が脅威と感じる競合の特徴として「テクノロジーを用いて破壊をもたらす」と答えた経営者・役員は26%に過ぎません。日本企業はテクノロジーの脅威を軽視する傾向があるのでしょうか?

日本のリーダー層は、「テクノロジーを用いて破壊をもたらす能力」を世界の競合が持つ能力の中で最も抹消的で些細なものと見積もっており、テクノロジーの破壊的側面に対する認識が弱い

大西氏:
当社はサービス業として人との接点を大事にしていますが、その企業文化を十分浸透させ、同じ思いを皆で共有したら、次のステップとして自由な発想を促進していくためにテクノロジーを活用します。

データも非常に重要です。当社はデータをたくさん持っていると思われがちですが、そんなことはありません。宿泊業でもそうだと思いますが、航空会社の特性として、非常に長い間お客さまに近い場所にいられるということがあります。機内で過ごす数時間について、ここに極めて重要なデータがあるはずですが、現状はまだあまり多くのデータを収集できているとは言えません。もっとプリミティブには、空港カウンターで起きた事柄が客室乗務員にリアルタイムで伝わっているかというとそんなことはありません。データベースは分かれてしまっており、サービス提供者視点になってしまっていると言わざるを得ません。少なくともお客さまの物理的な移動より速く、生きたデータとして次の接点に運ばれる必要があります。一貫したデータとして持つことで初めて分析ができるものだと思います。

私たちにとって最も重要なことの1つは、様々なサービスに対するお客さまの反応を知ることです。

例えばラウンジをご利用いただいているお客さまの振る舞いは、そのお客さまの嗜好を測るには絶好のデータソースと言えます。いかに自然にお客さまのデータを収集するか。これは難しいですが極めて重要です。従来からアンケート調査などを実施してきましたが、そこには限界があります。それがアンケートだと分かった瞬間に身構えてしまい、お客さまの回答にバイアスがかかるからです。どれだけ良質なデータを取れるかということも重要です。良質なデータこそ差別化の要素であり、質の低いデータはテクノロジーが扱えるように変換することができません。

テクノロジーが扱えるデータを収集すること、そのデータの量と質を確保すること。そのうえで、お客さまの潜在的なニーズを先取りし、新たなビジネスの展開を図っていきたいと考えています。

 

データをオープンにし多様な視点を持ち込むことがイノベーションを産む

── 同じレポートによると、「新事業の企画・開発プロセスは社内に複数設けてオープンにしており、誰でも参加することができる」と答えた経営者・役員はわずか15%。「社外から持ち込まれる事業企画のアイデアを積極的に採用している」との回答も22%に過ぎません。

大西氏

大西氏:
日本企業の強さとして「擦り合わせ」が挙げられると思いますが、おそらくそれは小さな改善には非常に効果的ですが、革新的なイノベーションや破壊的な創造は現状の日本の中での、「閉じられた」状況の中では見いだしにくいのではないでしょうか。

しばしば革新を生み出すのは「若者」「ばか者」「よそ者」と言われますが、そのような外部の視点をそろえることが重要であるのに、日本企業はどちらかというと内部に閉じてしまっている。一色(ひといろ)の集団からは何も生まれないと思います。多様性が大切です。日本航空のビジネスは多様性によって成り立っていると言えます。世界各所で気候や習慣、発想や文化に差異があるからこそ観光やビジネスが成り立つのです。日本航空が多様性の中でビジネスを行っているからこそ、他社より少し早くその重要性に気づいたのだと考えています。社内や業界を変革していくにあたり、その多様性を活用していこうとしています。

航空予約システム「SABRE・セーバー」は、航空・鉄道・ホテルなどで使用されているコンピューター予約システムであり、約55,000の旅行業者、400以上の航空会社、88,000以上のホテルなどに利用されています。SABREは成り立ちからしてオープンであることを意識して設計されたと言えます。航空会社が自社内に予約システムを持つと、その予約システムは、自社の守備範囲以上に成長せず、バイアスのかかったブラックボックスのようなものになってしまいます。それを防ぐために、航空業界は、システムを外に出し、他の顧客も利用できるように汎用性を持たせました。

SABREは、閉じ込めるのでなくオープンにすることでシステムが自社を超え、ビジネスチャンスが生まれた良い例です。航空会社が自社内部にあったIT部門をスピンアウトさせることで、予約システムのビジネス化がいち早く進み、個人情報以外のデータが売買されるほどオープンな状態が生まれました。もはやデータを囲い込もうと思ってもできない。航空業界にはそのような状況があるのです。

では、どこで勝負するのか。必然的にデータ活用に注目せざるをえません。オープンに共有されている渡航情報そのものではなく、その情報をどう読み解くか、現在デジタル化されていない情報をどうデジタル化するか、それが個社の真の競争力につながります。

過去数十年の航空産業の構造的な変化を通じて、私たちは何が競争領域で何が非競争領域であるかを真剣に考えざるをえませんでした。その気づきは、おそらく他の産業よりも早かったと思います。データ公開にはデメリットもあるでしょう。しかし、それ以上に多くのものを得られる可能性がある。データ活用力を競争力につなげるためには、オープンな環境は非常に重要です。これは、製造業など他の産業でも同じことが言えるでしょう。ナビゲーションシステムの開発など、どの企業もデータを抱え込んで同じことをやるのではなく、各社が得意な分野に特化することが重要です。

価値を生み出すのはオープンデータだけではありません。別の視点や考え方が大事ですが、当社では今、人材の多様性を高めるために様々な取り組みを実行しています。そこには、オープンな環境づくりを通じてイノベーションを促進したいという狙いがあります。

世界的なイノベーター企業が、イノベーション・プロセスを顧客やパートナーに開放していく傾向にあるのに対して、日本企業のイノベーション・プロセスは従来の単独主義・閉鎖主義を堅持しているように見える

 

コグニティブ・イノベーションセンターでオープンイノベーションを体感する

── データやコグニティブ・テクノロジーの活用に多様な視点をもたらす試みとして、「国立情報学研究所(NII)」は日本IBMの協力のもとで企業連携講座として「コグニティブ・イノベーションセンター(CIC)」を設立しました。CICでは最先端のコグニティブ・テクノロジーを活用し、業界の壁を越えたイノベーションの創出に挑戦しています。日本航空は20社を超える参加企業の一つですが、大西会長はこの取り組みに何を期待していますか。

大西氏:
素晴らしいプラットフォームを提供していただいたと考えています。異業種の皆さんの視点やアイデアを聞いたことは非常に参考になりました。また、業種は異なれど、共通の難しさを共有することができました。CICの活動の中で日本航空が自社のデータを提供して何らかの洞察を見いだすことで、今後、他の参加企業の間でもデータを提供してみようという機運がもっと高まればよいと考えています。

データを共有することで新たな一歩が踏み出せるという具体的な事例を小さいものでも作っていきたいです。簡単ではないですが、試行錯誤を重ねることが次のステップにつながるのです。苦労せずに良いツールが与えられれば次のステップに簡単に進めるかもしれませんが、それではもう一つ先のイノベーションを生み出すことはできないと思います。苦労してこそ生み出す力がつくのです。

イノベーションは意外と泥臭いもので、そんなに簡単ではありません。業種を超えた企業間の連携もそうですが、現在、日本における大学・研究機関と企業との連携は十分ではないと私は考えています。このことは企業が大学に投じる研究開発費のレベルを見ても明らかでしょう。CICに参加したことで、産学連携の重要性や有効性を改めて感じています。

── 最強の経営資源ともいうべきデータを豊富に蓄積していることは、日本航空の大きな強みだと思います。CICでの議論を通じて、データの価値をどのように評価されましたか。あるいは、CICでの議論から、何らかの気づきを得ることはできましたか。

大西氏:
CICに参加して改めて感じたのは、データ収集や活用の難しさです。当社の場合、目的達成のために本当に必要なデータがまだ十分に取れていない。また、デジタル化できていないデータも多く抱えています。それをデジタル化する手段があれば、大きな価値を生む可能性があります。

これらのデータを取り込むための十分なテクノロジーが開発できていないのが現状ですが、「人と自然にかかわり合うシステム」であるコグニティブ・テクノロジーには大いに期待しています。

CICでの活動を通じて先行的にコグニティブ・テクノロジーを体験することができ、大きな知見を得ることができたと思います。データ共有の重要性も実感しましたし、コグニティブ・テクノロジーが「魔法の箱」ではないことも理解できました。

コグニティブ・コンピューティングとは?

コグニティブ・イノベーションセンター(CIC)

国立情報学研究所(NII)の研究施設の1つ。日本IBMと研究契約を結んで同社の支援を得るとともに、幅広い業界の日本を代表する企業の参画により、コグニティブ・テクノロジーによって拓かれるイノベーションの発掘と創出を目的としている。CICの月例会には日本航空を含む20社以上の日本のトップ企業から役員が参加。そこでは最先端のコグニティブ・テクノロジーの活用による、業界の壁を越えたイノベーションの実現について検討が重ねられている。

 

多様性の中に身を置けばその可能性は大きく増大する、それを再生過程で実感

── 最後に、日本企業が再び破壊力を取り戻すためには何が必要だとお考えですか。また、大西会長ご自身は今後、どのような人とどのようなことをやっていきたいとお考えでしょうか。

大西氏

大西氏:
多様性を生かすということに尽きるのではないでしょうか。いかに早くそこに気づいて門戸を開き、文化を開放するかが重要です。日本航空の企業哲学「JALフィロソフィ」の中に、「対極を合わせ持つ」という1項目があります。折衷ではなくて、時と場所、状況に応じて対極に相当する判断をしていく必要があるということ。言うは易く行うは難し、です。個人の中に対極を併せ持つことができるのは、かなりの達人でしょう。ただ、対極の考え方を持つ人と仕事することはできます。

自由な発想を心掛けたとしても、自分の中で全く新しい着想が生まれることはまれです。多様性の中に身を置けば、その可能性は大きく増大します。それを、当社の再生過程で実感しました。厳しい状況の中、「若者」「ばか者」「よそ者」が大いに活躍しました。私にとって忘れられない経験です。