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THINK Business

[変革者インタビュー vol.3]デジタル立国を目指し、“世界の中心でアーキテクチャを叫ぶ”経済産業省の想い

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西山 圭太

経済産業省
商務情報政策局長
西山圭太 氏

東京大学法学部卒業。1985年通商産業省(現経済産業省)入省。1992年オックスフォード大学卒業。通商政策局情報調査課長、通商政策局アジア大洋州課長、経済産業政策局産業構造課長を歴任。株式会社産業革新機構 執行役員、内閣官房東京電力経営・財務調査タスクフォース事務局事務局長、株式会社産業革新機構 専務執行役員を経て、2012年経済産業省に復帰。大臣官房審議官(経済社会政策担当)、大臣官房審議官(経済産業政策局担当)、東京電力ホールディングス株式会社 取締役、2018年より現職。

 

小林 弘人

株式会社インフォバーン代表取締役
Chief Visionary Officer
小林弘人 氏

1994年、日本のインターネット黎明期に「WIRED」日本語版を創刊し、1998年に株式会社インフォバーンを設立。オウンドメディア、コンテンツマーケティングの先駆として活躍。2007年、「GIZMODO JAPAN」を立ち上げる。自著、監修本多数。監修と解説を担当した「フリー」「シェア」(NHK出版)は多くの起業家の愛読書に。2016年にドイツ・ベルリン市主催のAPW2016で日本人スピーカーとして参加し、その後、ベルリン最大のテック・カンファレンスTOAの公式日本パートナーとなる。現在は企業内イノベーターのためのイノベーションハブ「Unchained」を立ち上げ、ブロックチェーンを活用したビジネス立案の支援および、欧州、アジアのイノベーターたちとの橋渡しを行っている。

 

日本政府が2016年にSociety5.0を提唱したことに表れているとおり、「人類史上5つ目の社会」と言うほど劇的な変化が起こり、法律よりもコードが市場に対して大きな影響力を持つような状況が生まれている。ソフトウェアが支配的になりつつある社会を制御するためには、政府もガバナンスをイノベートして、今までとは異なる制御の仕組みを設計する必要があり、公共サービスや規制の新しいあり方、プラットフォーマーへの対応など、政府そのものの役割も変革が求められている。

経済産業省 商務情報政策局長の西山圭太氏は、コンピューターがプログラムを理解する方法と、人間が世の中を認知する方法が異なることを前提として、「人間がソフトウェアに対してガバナンスを効かせるためには、アーキテクチャが必要だ」と語る。西山氏と、ブロックチェーンビジネスに注力している小林弘人氏との対話を通して、Society5.0における政府の新たな役割や、日本社会が目指すべき方向を探った。

 

“人類史上5つ目の社会”がもたらす想像を超える変化

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小林 「Society 5.0」を一言で言い表すとすると、人はもちろんですが、これまでになかった社会の新しいアクターであるAIやIoTも含めた新しい関係性、および、それらの協働によりどのような社会的なアーキテクチャを構築するかを提唱している、という理解で間違いないでしょうか。

西山 そうですね。Society 5.0は多面的なのでなかなか一言では説明できないのですが、「人類史上5つ目の社会」と言っているくらいですから、ドラスティックにものごとが変わることは明白です。

 

Society1.0から5.0までに起こった社会構造の変化

新たな社会Society 5.0

Society 5.0による変化を大きく3つご紹介します。1つ目は1950〜60年代に始まる情報化社会(Society 4.0)の延長線上ではあるけれど、それとは大きく変わるということです。近年はインターネットの中で起こることが「情報化」と言われてきましたが、Society 5.0はネット上に限りません。実世界とサイバー空間が結びつくサイバーフィジカルが起こります。そして2つ目は、情報化社会よりもさらに昔の工業化社会の頃からあった社会の仕組み、法律や規制が大きく変わるのではないかと見られています。最後に3つ目は、ホモ・デウス*のようなことも言われていますが、人類が誕生してから当然だと思われてきたものすべてが変わる。こうした変化を合わせてSociety 5.0と言っています。今の私のポジションにおいて注目しているのは、1つ目ないし2つ目ですね。3つ目の人類がどうなるかということまではわかりませんから(笑)。

*歴史学者のYuval Noah Harariが著作『ホモ・デウス』で述べた概念で、人類が将来的にテクノロジーを使って不死と幸福と神性の獲得を目指し、自らを神(デウス)にアップグレードする、という考え

 

Society4.0から5.0への移行で生まれる社会変化

Society 4.0---Society 5.0

小林 Society 5.0はスコープとして何年くらい先の未来を捉えていますか。

西山 何年先かはわかりません。1945年に米国のVannevar Bushが雑誌「The Atlantic」で、「As We May Think」という論文を発表しました。情報社会の劈頭(へきとう)にあってコンピューターが普及すると世の中にどんなことが起こるだろうか、を考える内容です。サイバーフィジカルやAIやIoTが出てきた今、「As We May Think」的に考えるとどうなるか。Society 5.0は、当時のVannevar Bushのように考えているということです。

小林 概念を提示しているということですね。

西山 そうです。今すぐには実現しないかもしれないけど、こういう事柄が起きて、それが徹底されたらどうなるだろうか、ということですね。

ただ難しいのは、Society 5.0が実現するような状況をどう評価するかという軸が今はないように思います。経済は基本的に“ものに値段がある”という考え方ですが、データを突き詰めていくと、究極の差別化が起きます。すべてが違うわけです。たとえば販売される商品が全部違ったときに、価格をどういうふうに付ければいいかわからない。デジタライゼーションは人々の欲望を実現します。つまり、一人ひとりの欲望にカスタマイズできてしまう。昔であれば一つのパターンしかなかったサービスを全部カスタマイズすると、大量生産、大量消費の社会にどういう影響を与えるか。今はそれをストーリーとして語ることはできますが、現実問題として捉えて評価する方法がありません。

その結果、経済学者が従来の経済学で説明できないことが最近起こっています。たとえば、1990年代にニューエコノミー論*で主張されたように、各国の中央銀行が異常なまでの金融緩和政策を取っているのに、インフレにならないような事態が起きています。また、新しい技術革新が起きているのに、なかなか生産性が上がらない事態も指摘されています。

*1990年代に米国で主張された経済理論で、情報技術の進歩や経済の国際化によって景気循環が消滅し、インフレーションの起きない経済成長が続くとする考え

 

究極のスマート社会を実現するために必須となるビジョン

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小林 内閣府が公表している「Society 5.0『科学技術イノベーションが拓く新たな社会』(PDF, 1.3MB, IBM外のWebサイトへ)」説明資料には、交通、医療・介護、ものづくりなど、Society 5.0によって実現する新たな価値の事例が挙げられています。

たとえば食品の項目では、コンシューマーの冷蔵庫から消費具合などのデータを取ってAIで解析し、スーパーの在庫データと結びつけてフードロスを削減、また栄養素などの分析を含めて健康管理を行うという事例にもふれられていて興味深く読みました。ビッグデータをAIで解析することで、サプライチェーンの末端から上流までを含めた在庫調整が可能になります。その場合、冷蔵庫メーカー、リテールはもちろん、地域コミュニティなど、さまざまなステークホルダーが接続していないといけません。実現させるにはどのような仕様やプロトコルで各プレイヤーがアクセスするのかなど、難しい課題も多いです。

西山 ただ、スマートホームやスマートシティというものの可能性について、まだ想像力が足りていない気もしています。たとえば、スマート家電だと、冷蔵庫の前に立つと洗濯機の状況がよくわかるといったものがあるとします。ただ、冷蔵庫と洗濯機が連携しているアイデアは、冷蔵庫は冷やすものだというハードウェアの物理的なファンクションからしか発想できていないのではないでしょうか。それは私たちが生活の中で本当に求めていることなのでしょうか。私たちは一日中家電のことばかり考えて生きているわけではありません。

スマートホームにおいて、私たちの生活において求めることの究極的な考え方は、住んでいる人が、この一日をどんなモードで過ごしたいかを選択できることではないかと思うのです。たとえば、今日はハワイみたいな感じとか、シエナみたいな感じとか。もしくは、今日は春みたいにとか、秋みたいにとかです。スマートホームにおいては、そういう選択をできることのほうが大切だと思います。

そのようなスマートホームの機能を実現しようと思えば、個々のデバイスがどういう役割を果たすかを考えたり、データを連携するために共通の基盤を作ったりすることが必要だというのはそのとおり。ただ、単にデータが連携していてもスマートホームにはなりません。

何かを実現するとき、基本的にはその空間でどう過ごしたいかが出発点であるはずだと思います。それを通じて実現される価値についての共通理解がないといけないのです。冒頭でおっしゃられたアーキテクチャとは、そういうことだと思います。

小林 アーキテクチャ、すなわち実現させたいビジョンが先にあって、その上でいろいろなものが実装されていくべきだということですね。本当にその通りだと思います。

 

Society5.0の実現に大切な、抽象と具体を行き来する方法論

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小林 ただ、さまざまなCDOの方のお話を伺うと、今あるアナログデータをどうテキストマイニングするかといったシステムの話になることが多い。アーキテクチャの理解は難しいので、ボトムアップも必要だと思います。

西山 ソフトウェアの発想とハードウェアの発想はかなり違います。

ソフトウェアの発想のことを層構造(layered structure)と言うのですが、基本的にソフトウェアは横に広がる世界です。もともとプログラミング言語もそうなっています。機械言語があって、ハイレベル言語があって各段階の言語がありますが、その生態系自体は社会に共通のものです。

日本の企業は作りこみがちだから垂直統合(stovepipe model)なのです。ハードウェアを作って、その上にソフトウェアを載せて縦にはどんどん伸びるけど、横には広がらない。縦型ビジネスをしている人は自社の構造だけしか見ないので、自分の世界の外側に横につながっているものや社会全体の構造を見ようとはあまり考えません。日本企業は具体的なものごとをよりきめ細かく実現することで競争に勝ってきた成功体験があるので、今あなたが行っていることを客観的に他人にわかるように語ってくださいと言ってもなかなかできません。

だからこそ、ある程度の抽象化の能力、ものごとを引いて見る力が必要になります。会社の部門内のさらにチームの中を細かく見ると同時に、自分の会社以外のシステムも引いて見ないといけません。そこがチャレンジですね。抽象と具体を行ったり来たりするためのメソドロジー(方法論)がアーキテクチャだと思うのです。

結局、GAFAがすごくうまくいっている理由は、周辺のアーキテクチャを自社にとって有利になるように展開しているからです。たとえば、Googleの構造は、インターネットの階層構造であるTCP/IPのある階層で検索しようとするとGoogleを通過しないといけないシステムになっています。

小林 ですので、GAFAが新たなアーキテクチャの覇者になって以降、これまでハードウェアの上でアーキテクチャを構築していた日本の企業は居場所が突然なくなってしまいます。新たなアーキテクチャは新たな「法」でもあり、Googleのページランキングも、Googleのアルゴリズムに従っていないと上位に表示されず、その「法」の下では、これまでの価値がゼロになってしまいますよね。

 

コンピューターと人間における“認知の溝”をつなぐアーキテクチャ

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小林 経済産業省が2019年11月28日に発表した「Society5.0時代のガバナンス・モデルの設計について」では、Lawrence Lessigの理論が引用されています。Lawrence Lessigは、我々の行動を規定するものとして、法律、規範、市場、コードを挙げています。現在のプラットフォーマーの寡占状況を鑑みると、法律よりもコードが先行して、市場をレギュレートしてしまっているという印象を受けます。今後、AIや量子コンピューターが実現されれば、コード(=アーキテクチャ)が完全にブラックボックスになる可能性も高いわけです。だからこそ、そこをブラックボックスにしない、または占有させない仕組み作りが絶対に必要になると予測されます。

西山 米国のパーソナルデータを扱っている名だたる企業ではこんなことがありました。法務部門のリーガルオフィサーが、「GDPR(General Data Protection Regulation、一般データ保護規則)」を遵守するために、どういう条件を満たさないとならないか長々と契約書を書きました。それを会社のシステムを設計するCTOに渡したのですが、CTOはすぐに捨ててしまったというのです。リーガルオフィサーがGDPRの条件を満たすように書いたのですが、その書き方はソフトウェアをデザインするように書かれていないためわかりにくかったのです。法律は人間の行動を制御するために書かれていますが、コンピューターやソフトウェアを制御するようには書かれていないわけです。

このような問題が起こる原因は、コンピューターが自分にインプットされたプログラムをどのように理解するかと、人間が世の中をどう認知するかが違うからです。「AIと人間が共存する」というのは、AIやコンピューターの認知のクセや実現できることと、人間の認知のクセや実現できることを横に並べたときにどうなるかだと思います。ソフトウェアアーキテクチャは、最初は人間が書きますが、最後に実装されるものがソフトウェアだということは、ソフトウェアを制御できる能力を人間の側が持たないといけないということです。そのために人間が持っているツールが何かというと、僕の言葉で言うとアーキテクチャです。

小林 極端な話をすれば、自然言語で理解できるコンテキストがあり、反対側にソフトウェアにしかわからないコードと体系があって、その中間にディクテイター(口述者)のような機能が必要ですね。

西山 それがアーキテクチャの機能だと思います。

こうしたベーシックなアプローチに、ものすごく大きな課題があります。その点をみんなで議論しないといけません。ビジョンを語るだけでは「それをどうやって実現するの?」となってしまいます。スマートホームだから、自動運転だからという個別の事象ではなく、全体的に同じことが起こっています。ソフトウェアが支配的になっている社会を制御するためには、今までの制御の仕組みとは違う設計をしないといけません。そのノウハウがどんな人にも求められるし、特に経営者やリーダーには必要だと思います。それをガバナンスという切り口で議論するから、ガバナンス・イノベーションなのです。

 

Society5.0では、政府のガバナンスもバランス感覚が要求される

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西山 2019年1月のダボス会議に続き、2019年6月のG20においても、安倍晋三首相は「Data Free Flow with Trust(DFFT)」をキーワードとして掲げ、「信頼できるルールの下でデータの自由な流通を促進しなければならない」と述べました。

その“トラスト”を実現するガバナンスをどう作るのか。Society 4.0からそのままSociety 5.0に移行はできないので、4.0と5.0におけるガバナンス・ギャップをどう埋めて、新しいガバナンスの仕組みをどう世界に提案するかという課題があります。

小林 DFFTはとてもいいコンセプトだと思いました。「Society5.0時代の ガバナンス・モデルの設計について」には、DFFTについて「信頼確保にあたり、各国の法制度はinteroperability(インターオペラビリティ)*を確保すべき」と書かれています。

*相互運用性のこと。複数の異なるシステムを組み合わせて、相互に運用できる状態

僕はブロックチェーンの社会実装プロジェクトに携わっているのですが、ブロックチェーンにおいては、interoperability、それぞれのメインチェーン同士の価値交換が課題です。各アーキテクチャにはそれぞれのビジョンがあり、異なるガバナンスモデルで動いています。今後、さまざまなアーキテクチャがたくさん出てくると、国と国もさることながら、アーキテクチャとアーキテクチャを取り持つinteroperabilityが重要になってくると思います。

西山 その点について私も答えがあるわけではありませんが、日本がSociety 5.0として発信しているのは、言い換えれば「ガバナンス・イノベーション」と言うものです。ガバナンスやレギュレーションにおいて変わりつつあるものは3つほどあります。1つ目は、リアルタイムにデータを取り、それを評価してフィードバックし、システム自身を改良することができるようになること。2つ目は、データを取るときの規制やガバナンスをカスタマイズできること。3つ目は、昔は人がものごとを判断すると決まっていたけれど、アルゴリズムが判断するようになること。

この3つが大きな違いです。今までの長い人間社会では、この3つはないものだと思われてきました。リアルタイムでデータにアクセスして評価なんてできないと思っていたから、たとえば会計監査は1年に1回会計監査人が書類をひっくり返してハンコを押す。銀行も運転免許も、みんな似たような仕組みになっています。

ところが、リアルタイムにデータを取れるようになると、その仕組みがすべて変わります。難しいところは、それを本当に徹底すると超監視社会になるということです。リアルタイムにデータを取る利点を生かしながら、しかし超監視社会にならないガバナンスをどのように作るか、それがSociety 5.0です。そうしたガバナンス・ギャップはたくさんあります。埋め方の一つとしては、誰かが「ビッグ・ブラザー」(ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する独裁者)のように監視する方法もありますが、それは誰も望みません。

 

デジタル変革において価値を持つ、日本の“おもてなし”力

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小林 2018年に施行されたGDPRはもともとフランス法に由来し、2014年にはこの権利を認める判決をEU司法裁判所が出し、2016年にはフランスとGoogleの裁判に発展しています。私はインターネット黎明期以前からこの業界にいますが、それまでずっとデジタルテクノロジーをリードしてきた米国に、初めて「人間中心」の思想からカウンターが決まったような感覚を得ました。プラグマティズムを基本とした米国の考え方に対して、哲学や思想性を盛り込んだ欧州の考え方が逆襲している。日本も欧州にならえというだけでなく、日本独自の思想性やカウンターが必要なのではないでしょうか。

西山 その点についてはこれから考えたいですね。直感的にいうと、データのファンクションをいくつかに分けて議論したほうが、実益があるのではないかと思います。データは誰のものかという問題設定はおそらくしないほうがいいでしょう。白か黒かの結論しか出ないような触れ方をすると、答えがなかなかないのではないでしょうか。

小林 両義性と言いますか、トレードオフの部分もあるけれど、別の側面でメリットもあるということでしょうか。

西山 そういうやり方があると思います。加えて日本ができるのは、世の中が大きく変わったときの人間とデータのインターフェースを作ることだと思います。インターネット時代のインターフェースは、スクリーンがあって、キーボードがあって、マウスがありました。それが変わります。

ベタな言い方をすると「人にやさしい」インターフェースが何かあるのではないでしょうか。データは便利だけれども自分の中に入り込んでくるような感覚があります。intrusive(邪魔なもの)だとみんなが感じています。忘れられる権利が必要なのもそこから来ていると思うのです。“おもてなし”みたいな話になりますが、日本のサービスは基本的に一定のディスタンス(距離、間合い)を持っています。そこを生かしたインターフェースを日本が提案してもおかしくないでしょう。日本人は、抽象化は不得意ですが、ゴルフクラブにカバーをするような、気付く人は気付くようなちょっとした気遣いが得意です。そういうことがデジタルの世界でも求められているように思います。