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前編|京大医療DX教育研究センター長・黒田知宏教授が語る、医療DX人材育成とデータ・AI活用の未来

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黒田 知宏氏

黒田 知宏氏
京都大学医学部附属病院 医療情報企画部 教授
京都大学大学院医学研究科附属医療DX教育研究センター長

2005年に京都大学医学部附属病院の電子カルテ化を主導。以来、病院情報システム、特にIoTを活用した記録等の自動化に関する研究と、情報通信技術を用いた医療現場の革新に関する研究に従事する一方、医学研究科と情報学研究科において医療DXに関する教育活動に注力している。

 

先崎 心智

先崎 心智
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア&ライフサイエンス・サービス
パートナー/理事

IBMのヘルスケア&ライフサイエンスインダストリーリーダーとして、病院・製薬をはじめ、銀行・保険・自治体・その他産業を横断してヘルスケア・ライフサイエンスビジネスをリード。昨今は、がん・難病のメディカルAI研究開発や、認知機能推定AIを活用した産業横断の社会実装に取り組んでいる。

官民学が連携し医療DXを推進する今、その発展を支える人材の育成が急務となっている。そんな中、情報工学系の学生にとって臨床現場で医療情報研究ができる日本唯一の医療情報工学系研究室として知られるのが京都大学医学部附属病院だ。

同病院にある医療情報企画部の教授で、京都大学大学院医学研究科附属医療DX教育研究センター長を務める黒田知宏先生をお招きし、日本アイ・ビー・エム IBMコンサルティング事業本部 ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス パートナー/理事の先崎心智が、医療DX人材育成、医療データ活用の取り組み、医療AI活用の未来について伺った。

アナウンサー志望だったのが、ご縁で医療情報を仕事とすることに

先崎 まず、黒田先生が京都大学医学部附属病院 医療情報企画部 教授になられた経緯をお聞かせいただけますか。

黒田 この道を志したこと自体一度もなくて、いつの間にかここにいるんですよ。大学に入る前は、アナウンサーになりたいと思っていました。

先崎 アナウンサーですか。いきなり意外ですね。

黒田 アナウンサーになるには政治系の学部に行くほうがいいだろうと思っていたのですが、父が京都大学の高分子化学、母方の父が佐賀大学で土木工学の教授をしていて、「理科系でないところには行かせない」と言われていました。他にも進路についていろいろと言われ、「そこまで言われるんだったら、京都大学を受けてやる」という気持ちになり、当時最難関だった京大工学部情報学科に入学しました。大学ではアナウンスサークルに入ったのですが、アナウンスコンクールでプロのアナウンサーに「歯並びを矯正しなければアナウンサーになれない」と指摘されて諦めました。

その後、ある先生とけんかした関係で京大の修士に残れず、修士課程で奈良先端科学技術大学院へ行きました。そろそろ博士号を取れそうだというとき、ある企業の内々定を取っていたのですが、教授から「助手のポストが空くから博士論文を書け」と言われて大学に残りました。その後、フィンランドのオウル大学に客員教授として留学していたときに、その教授から「あなたに来てほしいという人がいます」というメールをもらいました。それが京大病院でした。

先崎 そこで京都大学に戻ってきたんですね。

黒田 そうなんですよ。けんかして出てきましたから、京都大学だけはないと思っていました(笑)。

先崎 自分で意図せず、ここまで来たということですね。

黒田 そうですね。こう言うと怒られるかもしれませんけど、「医療情報をやりたい」と思っていたわけではなくて、「行け」と言われたから来ただけです。完全にご縁や巡り合わせです。ただ、仕事を辞めるときに「あいつは逃げた」と言われるのは腹が立つと思って、与えられた仕事には全力で取り組んできました。

京大病院の電子カルテデータを使って実践的に学ぶ、京大医療DX教育研究センター

先崎 今回の対談の背景として、京大病院における電子カルテやデータレイク・DWH(データウェアハウス)のプロジェクトを、黒田先生のもとでIBMが担当させていただいていることがあります。また、2023年4月に黒田先生が立ち上げられた京大医療DX教育研究センターのキックオフにて、Data &AIプラットフォームについて紹介させていただきました。

次に、京大医療DX教育研究センターを立ち上げられた背景や目指されているビジョンについて、お聞かせいただけますか。

黒田 2017年に交付された「次世代医療基盤法」の基本方針で、医療データ利活用基盤を構築・運営できる人材、データを適切に利活用できる人材の教育が必要だということが盛り込まれました。それを受けて、文部科学省から、医療ITの教育プログラムを作る事業が公募され、それに東京大学と京都大学が選ばれたことから始まります。

「KUEP-DHI(キュープ・ディー=関西広域医療データ人材教育拠点形成事業)」が組織され、京都大学と関西広域の12の連携・協力校、関西健康・医療創生会議、関西広域連合、関西経済連合会の協力のもと、2020年4月から「医療データ取扱専門家育成コース」の提供が始まりました。その先に「次は博士のコースを作りましょう」という話になりました。

医療ITやAIのプログラムは他にもたくさんありますが、社会にインプリメンテーション(実装)するとなると学ぶべきことが違います。京都大学では、社会にインプリメンテーションできる人材を育てる教育パッケージが必要だと文部科学省に概算要求提案をして、文科省から予算をいただいて京大医療DX教育研究センターを開設しました。

先崎 京大医療DX教育研究センターは、どのような点が特徴的なのでしょうか。

黒田 まず、センターは医学研究科だけでなく、法学研究科や国際高等教育院と連携して運営されています。現場で利活用するノウハウを学ばなければならないので、医学だけでなく法学の授業を組み込んでいます。そのうえで、社会へのインプリメンテーションの一連のプロセスと、その難しさを体験しながら学べるように、IBMさんも含めて多くの企業に教育プログラムに参画をしていただく設計にしました。

コースの前半では京大病院が持っている電子カルテのデータを使い、その上にAIを作り、インプリメンテーションするところまで一通りハンズオンで学び、後半では社会制度の中でどのようにはめ込んでいくのか、人材をどのように動かすのかを学びます。

先崎 実際のデータを使用してAIを動かせる教育プログラムは、他にないですよね。

黒田 ないと思います。実は、修士の教育プログラム(医療データ取扱専門家育成コース)でも、国が持つNDB(レセプト情報・特定健診等情報データベース)を使っています。やはり本物をさわってもらわないと肌感覚が生まれないので、本物をどれだけ提供することができるかにこだわりました。

先崎 私も医療やライフサイエンスの世界に携わるデータサイエンティストを育てる仕事をしていますが、やはり座学だけだと限界がありますね。座学も前提として必要ですが、実際にハンズオンしたりOJTを行ったりして初めて入口に立てる。それを大学院で実践されているのですね。

黒田 おっしゃるとおりです。センターは医学研究科の附属施設ですから、約半数の学生はもともと医師で医療現場の肌感覚は持っています。しかし、そのデータをさわるのは未知の世界です。新しいアプリを作って社会に導入するときに、どういうところで法律が関わってくるのか、それを一通りシミュレーションベースで考えるプロセスを学んでほしいと思っています。そうでなければ、実際に新しい研究をするとき痛点がどこにあるかわからないですよね。

医療DX人材は、各自の専門分野での強みと新しいことへの興味が大切

先崎 さきほどのお話では、黒田先生はさまざまなキャリアを経て、ご縁があってこのプロジェクトに関わっていらっしゃるということでした。その点を踏まえ、医療DX人材が取るべきキャリアパスは、医学か、それとも情報系・データサイエンスから行くべきか、どのようにお考えになりますか。

黒田 何でもありではないですか。どこに課題を感じて、どんな解き方を考えるかによります。コンサルテーションや銀行のようなビジネスの世界から入ってこられることもあると思います。法律を変えるのであれば代議士になることも考えられますし、新しいものを作るならエンジニアの可能性もある。インプリメンテーションするならインキュベーターになる可能性もある。DXは一人が起こすわけではなく、チームで起こすもの。みんながある程度の共通認識を持ち、それぞれの得意分野で関わって変えていくものなので、いろんなキャリアパスと出口があっていいと思います。

先崎 なるほど。弊社でも医療DXに関するプロジェクトは増えてきており、プロジェクトをリードできる人材をますます確保していく必要があります。今後において社会が求める医療DX人材は、どのような要件を満たす必要があるのでしょうか。

黒田 いろんな人がいますが、新しいことに興味を示さない人はどうにもならないです。やはりアンテナを高くする必要がある。それと、イノベーションを起こす人材は関西に多いと思うのですが、その理由は根拠なく自信満々にものが言えるからだと思います。「絶対こうやと思うねん、知らんけど」っていうあれです。「知らんけど」が最後につくということは「根拠がない」ということを知っている。これはすごく大事。頑固さはあっていいけれども、頑固なだけじゃダメ。聞く耳を持つ柔らかさがなきゃいけないし、アンテナが高くなきゃいけない。「変えたい」という気持ちがなかったら変わらないので、熱意がある人物のほうが物事が動くだろうなという気がします。

医療データ&AIプラットフォームを京都大学とIBMが構築し、医療データを活用

先崎 少し話題を変えますが、2023年4月に京大とIBMは、医学研究科および京大病院におけるデータ活用を促進するための医療データ&AIプラットフォームをGoogle Cloud上に構築したことを発表しました。あらためて、京大病院の医療データ活用の取り組みについて教えていただけますか。

黒田 2022年1月の電子カルテ更新のときに、Google Cloudと京大は別件でMOU(基本合意書)を結びました。クラウドを全力で活用しようと、GoogleさんとIBMさんと双方にお願いして、電子カルテ本体は京大病院に置くオンプレミス型にし、参照系のデータはGoole Cloud上のバーチャルプライベートクラウド上に置き、医療者や研究者たちが患者さんの個人情報を安全な状態で分析・AI適用など二次利用できるデータレイクを作りました。

先崎 IBMでは、京大病院の電子カルテ、データレイク・DWHの取り組みと併せて、データ標準化、FHIR変換、そしてAIを共有し再利用するためのヘルスケア・デジタルサービス・プラットフォーム(HC -DSP)の取り組みを連動して進めています。

このデータレイクを活用して、ある希少疾患でAIの検証を行い、未診断患者の発見につながる可能性を見出すことができました。我々もたくさん勉強させていただいて、プロジェクトに携わったメンバーが他のメンバーを教育できるまでに育ちました。黒田先生のおかげです。

黒田 最初は「本当にやるのですか?」みたいな顔をされていたんですけど、HC-DSPを使ってデプロイできる環境を提供する一連のパッケージがないと、医療データを現実に適用することはできません。その環境をIBMさんのご協力のおかげで作ることができました。

先崎 2023年10月には、京大医療DX教育研究センターでの授業でHC-DSPの活用を予定しています。将来的には他の病院と連携したAIプラットフォームへと拡張していきたいと考えています。

黒田 せっかく作った以上は、それを使い倒してくれる人材が必要です。使い倒してくれれば、そこから何か生まれるものがあるだろうと期待しています。

先崎 黒田先生は、最初からビジョンを持って、このプロジェクトを進めていたのですか。それとも進めながら膨らませていったのですか。

黒田 プラットフォームに関して言うと、2016年にDWHとBIツールを入れて構築しましたが、研究には誰も使わなかったんですね。「出来合いのもの持ってきても使えないのだな」と思ったんです。そのうち周りの研究者たちが「AIを作るんだ」と言い始めるようになって環境も変化してきた。僕たち基盤を作る人間としては、京大医学部の人たちがどうすれば機嫌よく診療したり研究したりできるのだろうと考え、その方法を思いついたところに、ちょうどGoogleさんがいらっしゃった。関係者の個人個人が自然とこちら側に動くべきだという大きな流れの中で、IBMさん含め手伝ってくださる企業さんとのご縁もあったので、巡り合わせですね。

先崎 黒田先生の経歴の話でも「巡り合わせ」という言葉がありました。

黒田 僕が何かしたことがあるとするならば、目の前にあるものを全力で考えて、今使えるものでどうやったら実現できるのかを考え続けた結果、全体のオーケストレーションくらいはできたのかなと受け止めています。

先崎 我々の仕事にも参考になります。とはいえ、巡り合わせはあったにせよ黒田先生だからこそできたところは大きい。それはさきほどおっしゃったように柔軟さと、頑固さ、好奇心があるからでしょうか。

黒田 そうですね。その3つだと思います。