※新型コロナウイルスの拡大防止に最大限配慮し、写真撮影時のみマスクを外しています。
宇野澤 元春氏
歯科医師(D.D.S)
医学博士(Ph.D)
株式会社Dental Prediction 代表取締役
千葉大学医学部大学院で口腔癌遺伝子の研究に従事した後、ニューヨーク大学歯学部Advanced Program in Implant Dentistryに入学。在学中に同大学歯学部卒後研修同時通訳や海外学会・NYU School Researchで多数のAwardを 受賞。同大学歯学部修了時、Outstanding Student Award(Class President)を受賞。帰国後2020年 株式会社Dental Predictionを設立。AI・3Dデータ・3D Printing Model事業を展開し、5G・XRとの連携した歯科メタバース・デジタルツインを推進している。
先崎 心智氏
日本アイ・ビー・エム
IBMコンサルティング事業本部
ヘルスケア・ライフサイエンス・サービス パートナー/理事
順天堂大学大学院 医学研究科 特任講師
IBMのヘルスケア&ライフサイエンスインダストリーリーダーとして、病院・製薬を始め、銀行・保険・自治体・その他産業を横断してヘルスケア・ライフサイエンスビジネスをリード。昨今は、メディカルAIの研究開発やメタバース医療の立ち上げに取り組んでいる。
歯科医院へ行く前に、今ある自分の症状から、関連性の高い疾患や治療方法などの情報を手に入れる。そんな光景が当たり前のものになりつつある。株式会社Dental Prediction(デンタル・プレディクション)は、患者(利用者)が自分に合った治療の選択肢を前もって取得するための「歯科相談・受診支援」サービスを提供。IBMのAIプラットフォームであるIBM Watsonを活用し、25名の歯科医師の知見、歯科衛生士のノウハウ、7,000件以上の相談・回答データを学習したAIモデルをIBM Cloud上に構築した。また同社はAR、VR、3D Printing模型を用いた歯科メタバース、デジタルツインによる歯科領域の教育・医療支援にも力を入れている。
歯科診療を受ける側と提供する側の双方にメリットをもたらす変革を、大胆に仕掛けていくDental Prediction。IBMコンサルティング事業本部ヘルスケア・ライフサイエンス事業部長の先崎心智が、Dental Prediction代表取締役の宇野澤元春氏に歯科領域の変革に懸ける想いを聞いた。
AIを利用した歯科健康相談サービスをスタート
先崎 歯科医師である宇野澤先生の事業について、はじめにご紹介いただけますか。
宇野澤 私たちDental Predictionは歯科領域の課題を解決すべく、歯科医師とITエンジニアが2020年に設立した歯科ベンチャー企業です。「歯科領域のポテンシャルを解放する」をテーマに掲げ、デジタル技術を活用し、この領域における教育・医療格差の改善を目指しています。
先崎 Dental PredictionとIBMは共同で、歯科に関する質問への参考情報を提供するソリューションをIBM Watsonを用いて開発しました※1。まずこのサービスを着想された経緯をお聞かせください。
※1プレス・リリース:Dental Predictionと日本IBM、IBMのAIを活用し症状から関連性の高い疾患を提示するソリューションを開発
宇野澤 私たち歯科医師は、患者さんからのさまざまな悩み相談に日々答えています。患者さんは受診前に情報を得たいと考える一方、回答する医師には作業負荷がかかります。解決策を考えたときに、医師が持つ知識をAIに学習させれば、患者さんに効率よく、正しい情報を渡せるのではないかと考えました。
先崎 実際に患者さんが事前に悩みを相談するというニーズがあるのですか。
宇野澤 はい。前提をお話ししますと、歯科領域において今、爆発的に増えているものが2つあります。1つはCT(コンピューター断層撮影)検査のデータなどの情報です。2つ目は患者さんが歯科医院で治療を受けた後のクレームです。歯科医師が事前に治療内容について説明しても、患者さんに必ずしも100%理解いただけるわけではない、という課題があります。また、インターネットにはさまざまな情報がありますが、自分に最適な情報を得るのは難しいのが現状です。
AIを利用した歯科の健康相談サービスで、患者さんは自分の知りたい情報を得られるようになります。例えば、受診の必要性の有無や通院回数、費用の目安なども事前に予測でき、心構えもできます。自分に合った治療の選択肢を前もって知り、選ぶ時代に入ったということです。口腔内の状態が健康寿命に影響をもたらすと言われている中で、歯科領域にも健康相談サービスが求められていると思います。
先進テクノロジーの活用で診療の質も、働き方も変わる
先崎 導入先はどのようなところを想定していますか。
宇野澤 歯科医院(クリニック)、大学病院の総合診療科、そして訪問(在宅)診療での利用を考えています。総合診療科のように多数の患者さんが集まる場所では、来院予測ができれば受付対応が効率化できます。訪問診療でも患者さんの症状に関する情報があれば、診察前に機材を準備できるなど、臨床の現場で働く医師にとってもメリットがあります。
歯科医師と患者さんの関係は、ある意味では契約のようなものです。互いに同じ情報を持っていないと不公平が生じます。クレームもそこに起因するものだと思っています。健康相談サービスは、両者が正しい情報を共有するためのプラットフォームになればと考えました。歯科領域にもAIや先進テクノロジーが入ることで、診療の質が圧倒的に変化するはずです。
先崎 歯科医師の働き方も変わってきそうです。
宇野澤 はい。問い合わせに対応する医師の業務が効率化されるとともに、新たな雇用も生まれます。現在、利用者さんからの質問に対するAIの正答率は86.5%です。回答案は私たちが承認した現役の歯科医師がダブルチェックしているのですが、その業務は育児や介護などで臨床を離れている歯科医師の働き方の一つになり得ます。その際、医師にとってAIは、頼るものでも戦うものでもありません。あくまでも「人 with AI」。人が主体となり、AIを使って医療をより良くしていこうという考え方です。
先崎 AIプラットフォームにIBM Watsonを採用いただきました。その理由をお聞かせいただけますか。
宇野澤 大きかったのは、IBM Watsonが日本語を含む13の言語に対応していることです。世界中のお悩み相談ができることは、私たちにとって夢があります。歯科も医療も世界共通のものですし、日本の歯科技術は進んでいます。日本だけに収まる話にはしたくありません。Watsonは有名ですし、ぜひ使いたいと考えていました。
先崎 実際に使ってみていかがでしたか。
宇野澤 Watsonについて詳しいことはわからなかったため、初期の段階からIBMにコンサルティングを依頼しました。こういうものを創りたいという構想はあっても、私たちだけでは叶えられなかったのです。どんなデータを用意する必要があるのか、丁寧にナビゲートいただいたおかげで効率良く仕組みを完成できました。
歯科メタバースで遠隔教育・医療支援
先崎 Dental Predictionでは、メタバース空間を用いた取り組みも手掛けておられます。活用の目的を伺いたいです。
宇野澤 私たちがやろうとしていることの中心は「教育」にあります。教育なしには歯科業界を良くすることはできません。そのため、患者さんにはAIを用いた健康相談で自分の症状や治療法を知っていただく。それがWatsonを使った事業です。一方、医師側の教育を考えたときに浮かんだのがメタバースやデジタルツインでした。
現在、歯科医師国家試験の難易度が非常に高く、大学は試験対策に力を入れざるを得ない状況です。その結果、歯科医師としての新しい知識や技術は勤務先で磨くことになります。また、トレーニングには豚の頭部やマネキン模型という、実際の患者さんの口腔とはかけ離れたものを使って技術を磨いているという実態があります。おそらく多くの歯科医師が、「自分の患者さんと同じ模型ないしはデータがあればいいのに」と日々感じているはずです。
医科の場合は造影剤を使うことができ、血管の走行などもわかりやすい形で臓器のセグメントができますが、歯科の場合は造影剤を使うリスクが大きいため、これまで基本的には単純CT画像しか得られませんでした。
先崎 具体的には何をどう変えたのですか。
宇野澤 Dental Predictionでは、CT画像を解析し、特許出願した技術を用いて神経と歯の位置関係などさまざまな情報をインプットします。わずか8時間で患者さんのオーダーメイドの3Dデータが得られ、それを3Dプリンターにかけて患者さんごとの模型を提供します。歯科医師が患者さんに手術を行う前に、このオーダーメイド模型でしっかりとトレーニングすることができます。さらにVRやARにより、仮想空間で実際の治療器具のデータを用いた切開シミュレーションなども行えるのです。海外を含めた遠隔地の複数の医師の間で、1人の患者の症例を共有することも可能です。私たちはこうしたデジタルツイン事業により、メタバース空間での遠隔教育と医療支援を提供しています。
先崎 医師側のニーズは大きそうです。
宇野澤 大きいです。コスト効率が向上します。また、症例の共有化も重要です。デジタル技術の活用により、経験が少ない医師が初めて臨む処置においてもベストなパフォーマンスを発揮することが期待できます。
先崎 メタバースとAIの組み合わせは絶妙ですね。
VR技術を活用した遠隔教育・医療支援の実証実験の様子 出典:株式会社Dental Prediction
ITからDXへ。転換期を迎えた医療・歯科業界
宇野澤 絶妙なんです。データが集積されることで可能性が一層広がります。医療分野の情報は個人情報保護の観点から活用が難しい点がありますが、自分の手術を安心・安全にするためにデータ提供を拒む患者さんはいません。合法的にデータが集まれば、解析もAIで行えますし、将来的にさまざまな症例をクラウドに集積し、参照できるようにするなど、さらなる発展が期待できます。
先崎 病院内のデータに留まらず、院外の行動データも含めてデジタルツインで活用することで、自分が未来にかかるかもしれない、あるいは重症化するかもしれない疾患を予測することができるようになると。今はつらい状態になって初めて病院を探しているところが、例えば患者はメタバースであらかじめバーチャル病院※2を訪問し、治療について疑似体験することで、安心して受診することができるようになりますね。
※2IBMは順天堂大学と、共同研究の場として「順天堂バーチャルホスピタル」と呼ぶメタバース(3次元の仮想空間)を設置している。詳しい情報はプレス・リリースをご覧ください。
宇野澤 これまで非効率なまま行われてきたことや、情報がないために行き違いになっていたことなど、従来存在していた負の要因が解消される。その結果、歯科医療がすごく変わるのではないかと本当に思っています。
先崎 ヘルスケアの民主化のようなことが起こりそうです。
宇野澤 そうかもしれません。国も情報に関して規制を緩めつつあるとともに、DXを推奨しています。ITと言っていた時代から一気にDXに変わる、本当に転換期なのだと実感しています。
先崎 とはいえ、業界的にはデータが散在していて連携できていないという大きな課題があります。IBMをはじめ、電子カルテにはさまざまなベンダーがいます。異なるシステム間でも、患者データを相互に連携する、あるいは院外のさまざまなデータも含めて連携が進められれば、活用領域も広がると考えます。
宇野澤 そう思います。これまで医療・歯科界はかなり閉鎖的で、他業種の方は参入しにくかったと思います。さきほどの民主化じゃないですが、テクノロジー・カンパニーが入ってくることで、より一層、安心・安全な治療ができるようになるのではないでしょうか。
小さな波を起こすことから好循環につなげたい
先崎 実際に、他の業界と連携した動きは出てきていますか。
宇野澤 大手通信会社やネット通販などと協業し、高速大容量、低遅延、微誤作動、多数同時接続を実現する5Gの通信インフラを用いて、東京・大阪間で実証実験を行っています。実際の患者さんのデータを利用し、治療のシミュレーション、ドクター間での教育、手術の指導などが遠隔で可能になります。医療の地域格差を是正することに貢献できると期待しています。
先崎 先生はビジョナリーであると同時に、大変な行動力をお持ちですね。
宇野澤 自分で選んだ歯科医師という職業ですし、歯科領域は本当に面白いと思っています。ただ、あまりにも変化が起きていない現状を見て、川が流れずに水が溜まってしまっているようにも感じています。そこに小さな波を起こすだけでも、好循環が回るようになるはずだと思います。
デジタル技術を活かして、自分がやらねばという使命感を持って活動しています。歯科領域を良くしたいという強い想いがあり、事業ありきで起業しました。幸いなことに賛同してくれる歯科医師の仲間もいて、歯科領域のDXに向けて追い風が吹いていると感じています。
先崎 IBMもその一翼を担うことができ、光栄です。
宇野澤 協業できて本当に嬉しく思っています。今後も医療業界、歯科業界、ヘルスケア領域において、日本のみならず海外をも引っ張っていかれるようなソリューションの実現に向けて、ぜひ一緒にチャレンジできたらと思います。
先崎 本日はありがとうございました。