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化学業界に見る創造的破壊の萌芽

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化学業界におけるグローバル大手企業やスタートアップ各社の動向を観察すると、新たな創造的破壊の2つの潮流を見て取ることができる。日本企業はこれら本質的な変化に対して、ビジネスモデルやオペレーション、マネジメントシステムといった自社事業の構成要素を根本的に見直す必要がある。

本稿は2018年5月に公開された「物流業界に見る創造的破壊の萌芽」の姉妹編にあたる。化学業界を中心に論じるが、他業界の経営者にも思考のきっかけを提供するものである。

山中 健太郎
日本アイ・ビー・エム株式会社 事業戦略コンサルティング・グループ マネージング・コンサルタント


新卒にて日本IBM入社。戦略コンサルタントとして物流・通信・メディア・製造業界を中心に、新規事業企画・開発、経営改革・組織改革案件をリード。研修講師や社会貢献活動の経験も多数。理工学修士。

 

デジタル変革はサプライチェーンを逆流し化学業界にまで到達

デジタル変革は通信・メディア・流通・小売、そしてエレクトロニクス業界から始まった。そして今、デジタル変革の波はサプライチェーンを逆流し、全ての産業の上流に位置づけられる化学業界にまで及ぼうとしている。2016年にIBMが実施した調査によると、石油・化学業界の経営者の約半数が「新たな技術の登場により化学業界でも、伝統的なバリューチェーンの破壊が進んでいる」「他業界との間の境界線が曖昧になってきている」「予期せぬところから新たな競争相手が出現している」と答えている。

また2018年に実施した別の調査では、世界の石油・化学企業経営者の半数以上が「デジタル戦略と実行計画を策定済み」だと回答した。

実際に、2018年に入ってからは、日本でも化学業界におけるAI活用の報道が相次いでいる。しかしながら、「デジタルなど流行りものに過ぎない」と決め込んだり、あるいは「よくわからない」で済ましたりという経営者の方も多いのではないだろうか。本稿では化学業界ならびに周辺業界の動向を参考にしながら、化学業界で今後、予想される2つの破壊的変化について論じる。

 

1.技術の進化に伴う研究開発のゲーム・チェンジとアンバンドリング

化学業界には研究開発を自社のコア・コンピタンスと位置づける企業が多い。従来、研究開発領域では企業が長年蓄積してきたノウハウや実験設備、熟練研究者の経験・勘、更には偶然性といった要因が競争優位の源泉であり、新参企業に対する高い参入障壁として機能してきた。これが今、変わろうとしている。

例えば、製薬業界では、研究開発データの蓄積と分析技術の進化に伴い、研究開発領域にAIを駆使した新規参入が相次いでいる。例えば、GPUのNVIDIAが創薬領域への参入を表明している。また、AIを用いた創薬ベンチャーは世界で80社以上に上り、2012年創業のAtomwiseは5,100万ドルの資金調達に成功している。この動きに対抗すべく、Roche、Pfizer、GSK等のグローバル大手は、AIへの投資を加速している。

同様のことが化学業界でも起ころうとしている。例えば、微生物や菌類を用いて高機能素材を開発するスタートアップのZymergenは、新微生物開発のPDCAサイクルにロボット化と機械学習化を組み込むことで開発を高速化し、2013年創業にも関わらず既にDARPAやFortune500企業が顧客となり、売上高は数億ドルに達したとの報道もある。また、2016年にソフトバンク等から1.3億ドルの資金調達に成功したことでも有名となった。こうした動きを見越して、日本の化学・医薬品製造企業(旭化成長瀬産業他)によるAIへの大々的な投資発表も相次いで報じられるようになった。

これらの最先端技術は日々進化しており、そのペースに遅れぬよう絶えず投資や人材育成を続けなければならない。例えばIBMでは、機械翻訳で利用されることの多いニューラル・ネットワークを用いて、39万件の化学反応を含むデータセットでシステムを学習させ、化学反応の予測アルゴリズムを構築。既存の特許データベースを用いて検証したところ、第一候補の正解率は80%を記録した。これは従来の方法より、6ポイントほど高い。今後は正解率を90%にすることや、温度や溶媒、pHなども予測のファクターに取り込み、クラウドサービス化を目指している。

更には、2021年ごろから、素材探索領域での量子コンピューターの活用が見込まれており、JSRや三菱ケミカルは既に量子コンピューターへの投資を開始。デジタル・ネイティブならぬクオンタム・ネイティブな人財の育成に取り組み始めている。

果たして日本の既存企業は、技術の進化に追随し続け、新しいゲームのルールの中で、新規参入企業との競争に勝ち残り続けられるだろうか? 研究開発特化型企業の増大に伴い、筆者は、研究開発から販売まで、フルセットで保有する大手化学企業において、エレクトロニクス業界で起こったようなバリューチェーンの分断(アンバンドリング)が進むものと想像している。アップルやクアルコムのような研究開発特化型・ファブレス企業が増加し、その結果として鴻海のような受託生産企業が増加するというシナリオである。すり合わせ型の要素が色濃く残る化学業界において、この予測の真偽のほどは未だ不明だが、化学企業の経営者には、こうしたことまでを視野に入れて、自社の戦略を絶えず見直すことが求められる時代と考える。

 

2.デジタル・プラットフォーマーの出現と、マネタイズモデルの革新

他業界で注目を集めるデジタル・プラットフォームが、化学業界でも出現しつつある。例えば、中国のArrow Chemical Groupが2015年に開始した海外バイヤー・サプライヤー向けの化学材料購買プラットフォームECHEMIは、開始わずか2~3年で登録サプライヤー1万社、提供化学原料品種6千種を越え、当プラットフォームを介して行われる貿易取引額は388億元(約6,400億円)に達した。順調に拡大すれば、化学業界におけるアリババやアマゾンのようなポジションを得るのかもしれない。

ドイツの農機メーカーであるCLAASは、最終顧客(農家)のニーズを「収穫高(≒農家収入)の最大化」と定義。競合農機具メーカー、農薬・肥料メーカー、保険・リスク管理業者や気候・環境データ会社などと提携し、デジタル・プラットフォーム「365FarmNet」を組成。耕地面積、気候、作物の特性/生育状況/市場価格などのリアルタイムな情報を活用し、情報提供サービス(作物の育て方、農機や農薬・肥料の使い方・タイミングのアドバイス 等)を行う。また種子の育種・販売を行うKWSは、「365FarmNet」上で取得できる個々の農家のニーズや耕作環境に応じて、作付け種子や収穫プラン、農薬等のレコメンドを行っている。同様の取り組みは、IBMが支援する米国の大手農機メーカーJohn Deere社でも行われている。

これらの変化の本質は、商品の「販売者」から「購買代理人」へ…といったValue Propositionの変化であり、購入者の利用データの取得・活用である。単独でこの動きを行う例としてBASFが挙げられる。BASFでは、自動車用の塗料の製造・販売から、効率化された塗装工程の導入までを提案することで、バリューチェーンの川下へと進出した。当ビジネスモデルの実現に当たり、自動車メーカーとの間に、塗料生産や塗装工程の品質管理など、業務最適化に必要なデータを共有する情報共有プラットフォームを整備し、OEMの品質基準を満たす完成車台数に応じて報酬を受け取る「長期サービス契約」を導入した。

デジタル・プラットフォーム化が進展した結果として、筆者は化学業界においても”モノ売り”型のマネタイズモデルが終焉し、従量課金やサブスクリプション、レベニューシェアといった”コト売り”型のマネタイズモデルが現れると予想している。現に前述のBASFでは「長期サービス契約」を導入している。また、バイエルでは、買収により手に入れた衛星画像解析と、農作物の生育診断の技術を活用したデジタル農業プラットフォーム「Bayer Digital Farming」を展開。過去の農薬の散布状況、地中内センサーが測った温度、レーザーカメラによる害虫の分布状況などを集め、区画ごとに最適な農薬の量や時期を指示。将来的には成果報酬型のビジネスモデルを目指すことを公言している。セメントメーカーのCEMEXでも同様に、デジタル顧客統合プラットフォーム「CEMEX Go」のビジョンとして、”Cement-as-a-Service”化をうたっている。

 

準備はできているか?

このように、今まさに創造的破壊の地殻変動が起きつつある化学業界において、日本企業はどれだけその準備ができているのだろうか?AI化を背景として技術獲得や人財育成を目的としたコンソーシアム設立は多く発表されている。

またスタートアップの成長・アイデアを取り込むためにCVCを設立する企業も多い。しかしながら、既存事業の枠に囚われた「改善策としてのデジタル活用」に留まることなく、ビジネスモデルやオペレーション、マネジメントシステムといった自社の構成要素を根本から変革する覚悟をもって、この変化と向き合わなければ、文字通り創造的に破壊される企業が現れてもおかしくはない。

調査協力:
日本アイ・ビー・エム株式会社 事業戦略コンサルティング・グループ コンサルタント 藤井柾樹

photo:Getty Images