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デジタル変革で電子政府化を実現したエストニア、隠された苦難の歴史と希望の未来

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小島健志

小島健志
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部副編集長、ビジネスメディア編集局局長付副部長

1983年生まれ。東京都出身。早稲田大学商学部卒業後、毎日新聞社を経て、2009年にダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部で、エネルギー、IT・通信、証券といった業界担当の後、データ分析を担当。2018年よりDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部。2019年より同編集部副編集長、ビジネスメディア編集局局長付副部長兼務。著書に『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』(孫泰蔵氏監修、ダイヤモンド社)。

人口約130万人の小国エストニアが注目を集めている。1991年に旧ソ連から独立を回復後、行政システムの電子化へ一気に舵を切り、今では行政手続きの99%が電子化された国だ。電子政府やIT先進国というイメージの確立に成功し、海外の優秀なデジタル人材を引きつけ、新しい国のあり方を提示している。エストニアは、なぜ電子政府を実現できたのだろうか。日本の10年先を進むとも言われるエストニアのデジタル変革と彼らが向かう新しい世界について、その歴史や文化的背景を踏まえて述べる。

 

欧州の片隅で、政府のデジタル化を推進する人口130万の小国

今年3月、欧州のエストニアで開かれた国会議員選挙において、元大関の把瑠都(本名、カイド・ホーヴェルソン)さんが当選した。エストニア出身の大相撲力士による国会議員の就任は日本でも話題になった。だが、この選挙は世界的にはより違う意味で受け止められた。投票数のうち43.8% (英語)が電子投票だったからだ。

エストニアでは、国民一人ひとりに与えられたデジタルIDを用いれば、インターネットを通じて投票ができる。電子投票の受付期間中であれば、世界中いつでもどこからでも選挙に参加できる。2005年の地方選挙で世界に先駆けてインターネット投票を実現して以来、電子投票の比率は年を経るごとに上がった。今回初めて4割を超え、電子投票の得票数が国政の結果を左右するほどになった。

選挙の利便性を高めるだけではない。2017年の選挙を基にタリン工科大学が行った調査 (英語)によると、選挙コストは電子投票1票あたり2.32ユーロと格安だ。通常投票の4.37ユーロに対し半分ほどであり、地方における投票の20.41ユーロに対しては約10分の1で済む。

つまり、エストニアは電子投票を推進することで、身体の不自由な人や時間のない人でも選挙権の行使をしやすくするとともに、ITのスケールメリットを生かしてコスト削減を実現した。

このように、電子投票で注目を集めたエストニアだが、それは選挙に限った話ではない。エストニアは、行政手続きの99%をオンラインで実現し、24時間365日、いつでも行政サービスを受けられる電子政府の国として有名なのである。

しかしながら、エストニアと言われてもそもそもどこにある国なのか、すぐに答えられる人はわずかだろう。エストニアは欧州バルト三国の一国、フィンランドの南に位置する。ロシアと国境を面し、欧州の片隅にある人口わずか約130万人の小さな国だ。約150万人の福岡市に満たない人口でありながら、国土は九州程度の面積を持つ国である。

本稿では、そんな小国のエストニアがなぜ電子政府を実現できたのかについて述べる。電子政府化の背景にある歴史や文化にふれながら、日本の10年先を進むとも言われるエストニアのデジタル変革の本質を解き明かしていこう。

 

デジタルIDがあれば役所の窓口に並ぶ必要がない

役所の行列、薬の処方箋、紙の契約書、パーキングメーター、紙幣・・・。日本にいると当たり前にあるものや光景が、エストニアからはなくなった。それも、電子政府化によって紙による手続きがなくなったからである。

たとえば、引っ越しの手続きがその一つだ。普通、引っ越しとなれば、自治体へ住所変更を届け出るだけでなく、電力会社やガス会社、通信会社、金融機関などさまざまな関係先に変更の通知を出さなければならない。だが、エストニアの場合は、オンラインで住所を変更するだけで、基本的な公的機関の手続きはすべて終わる。

ほかにも、子どもが生まれたとしよう。日本では、出生届けの提出や健康保険の加入、乳幼児医療費助成、児童手当、出産育児一時金・付加金の申請など、役所での煩雑な手続きが待っている。だが、エストニアの場合は、子どもが生まれると、病院側がシステムから出生登録を行い、国民ID番号が付与される。親は何もせずとも、自動的に国の子育て支援に関する手続きがすべて済む。名前は後からオンラインで届ければよい。

医療情報も電子化されたので余計な時間もかからない。個々のカルテ情報は、各医療機関で共有することができるし、処方箋も電子化されているため、わざわざ診察後にその受取りを待つ必要はない。必要なデータは薬局や医療機関と共有されるからだ。

紙がないため、ビジネスは効率的に進む。契約は紙の書類ではなく、PDFファイルなどの電子書類に電子署名を行うことで完了する。そのため、署名や捺印のために契約書の送付をする必要もない。確定申告もオンラインでできるので、早ければ15分程度で終わる。法人設立も当然、オンラインだ。

なぜこのようなことができるのか。それは、X-Road(X-tee)と呼ばれるデータ交換基盤システムがあるからだ。X-Roadは、デジタルIDで本人確認を行い、官民の持つそれぞれのデータベースをインターネット上でアクセスできるようにした電子政府の根幹となるシステムだ。特徴は、この基盤が官民のデータベースを一元的につないでいることだ。

そもそもエストニアのデジタルIDは、11桁の国民番号に、電子署名と電子認証機能を搭載させたカードとして交付される。日本で言えばマイナンバーカードに当たるものだ。このデジタルIDカードを読み取り機に差して、パソコンとつなぎ専用サイトにアクセスし、認証番号を入れる。すると、本人確認ができ、X-Road上で2700以上のサービスと接続することができるのだ。

たとえば、住所変更を行ったとすると、住民登録データベースにおいて住所が変わるため、そこにつながったサービスにおいてすべて一括で住所の変更ができる。国には、似たようなデータベースをつくってはならないという「ワンス・オンリー」という原則があるため、同様のデータベースが乱立することもない。それにより住民データをそれぞれの機関が保有しないため、前述したように、通知の手間がかからないのである。

エストニアのデジタルIDカードは、運転免許にも保険証にも交通定期券にも銀行カードにもなるような代物だ。このデジタルIDが裏側のデータベースとつながっていることで、先のような利便性の高いサービスを提供できる。もちろん、プライバシーをコントロールできる仕組みも整備されており、不当にデータを扱った人へは懲役刑が科される場合もある。

利便性だけでなくコスト削減にもつながった。エストニアの電子政府化は、少なくとも毎年GDPの2%分のコスト削減効果があったという。これは、エストニアの防衛予算に匹敵する額である。それでは、なぜ人口約130万人しかいないエストニアが電子政府を実現できたのか。これを理解するには、彼らの歴史を紐解く必要がある。

 

なぜエストニアは電子政府が実現できたのか

ITで国を再建するしかない。

エストニアが1991年に旧ソ連から独立を回復した際、政府の幹部たちは決断を迫られた。旧ソ連時代に国を治めていた人々は去り、30代の若い為政者たちが国を1からつくり直さなければならなかった。

だからといって、エストニアには資源もお金もあるわけではなかった。国土の半分が森林に覆われた国で、しかも1500以上の島々がある。共産圏からの脱却により旧ソ連諸国との貿易が途絶え、経済的に苦境に立たされていた。その中で、国民へあまねく広く行政サービスを行き渡らすにはどうするのかを考えた。そこでITを軸とした国づくりへと舵を切ったのだ。

エストニアには頭脳と技術があった。エストニアの首都タリンは、13世紀から交易都市として栄え、1632年にはタルトゥ大学が設立された。宗教改革の影響で教会が市民に聖書を読ませようと識字教育も盛んだった。旧ソ連時代には、エストニア人の数学的な思考力の高さが認められ、軍事技術の研究拠点が設けられた。ここには暗号技術などに長けた技術者が数多くいた。彼らが電子政府の根幹をつくったのだ。たとえば先のX-Roadは軍事研究施設から民間企業になった会社が手掛けている。

その人的資源を生かし、ITによる国づくりを目指したエストニアは1990年代後半、金融機関と連携してオンラインバンキングを始めた。さらに、2000年に入ると、電子納税システムが稼働し、閣議は電子化され、電子署名の法律が整った。X-Roadも動き出し、2002年には国民にデジタルIDの交付が始まった。ここから、親と学校との教育情報共有システム、電子警察システム、電子カルテの情報統合、電子投票などどんどん行政サービスが広がっていった。こうして今では、24時間365日いつでも電子サービスを受けられるようになった。IDのモバイル認証も進み、より進化している。

国家のデジタル変革が続いたことで、社会が大きく変化した。前述したように政府の閣議を含めて余分な紙が次々となくなった。ほかにも、銀行送金の99%がオンラインで行われ、キャッシュレス社会になった。タリンでは観光客向けに現金自体は見かけるが、市民が生活で現金を使うことは月に数回あるかどうかである。

また、こうしたITの環境に慣れた若者は、次々と新しいIT系スタートアップを生んでいった。有名なものでは、無料コミュニケーションツールのSkypeがある。Skypeはエストニアのエンジニアたちが生んだサービスなのだ。

このようにエストニアは、何もなかったからこそデジタル変革を実現できたとも言える。ただ、それだけではエストニアを理解するのに十分ではない。実は、隣国ロシアとの緊張関係が電子化を進める要因にもなったのだ。

 

ロシアにいつ占領されてもおかしくない

2014年、人口約200万人のウクライナ領クリミアが突如としてロシアに編入された。ロシア系住民が多数を占めていたクリミアにロシアが介入したのだ。ロシアの軍事行動に人口4000万人のウクライナですらなすすべがなかった。この事件はエストニア人に衝撃を与え、「なぜエストニアが占領されないと言えるのか」と政府関係者は危機感を抱いた。

エストニアは、ロシアと地続きで国境を面している。いまだ3割近いロシア系住民がおり、国境付近にはロシア語でしか通じないような街もある。従って、クリミアのようなことがいつ起きてもおかしくはない。占領とまでは言わないまでも、現実にロシア側のスパイやロシアからのマネーロンダリング、ドラッグの流通経路といった深刻な問題が国を脅かしている。

対ロシアについては、苦い教訓がある。2007年、エストニアでは主要な50以上ものサイトがダウンした。それも政府や新聞、銀行などの重要機関だった。重要サイトがアクセスできなくなり、国民は一時パニックになった。これはロシアからとみられる、国を狙った世界初の大規模なサイバーアタックだった。

電子国家として最も危惧することが現実になったことで、エストニアはその対抗策を練った。そこで生まれたのがエストニア流のブロックチェーン技術の社会実装だ。電子政府のシステムにデータを改ざんできない(正確には、改ざんされても気付く)仕組みを導入したのである。

それに加えて、NATO(北大西洋条約機構)のサイバー防衛拠点を誘致し、サイバーディフェンスに力を入れている。だが、それでもロシアが本気を出したならば、起伏のない森林の国では数日ももたない、と考えているふしがある。穏やかな自然に囲まれる国であるが、エストニア人はそんな緊張感の中で生きているのである。

 

国境を拡張し、デジタル空間で国民は生きていく

あるエストニア人は、「私たちエストニア人はユダヤ人と似ている。ノマド(遊牧民)のようだからだ」と話す。

もともとエストニアは中世より、デンマークやドイツ騎士団、スウェーデン、ロシアなど度重なる侵攻を受けてきた土地だ。ロシアの西端、サンクトペテルブルグと、欧州の国々を結ぶ交易の要所であるため、各国が常に狙ってきた。

一方で、エストニアには人口規模の小ささゆえにマーケットがない。公用語はエストニア語であるが、ほとんどの若者は英語が堪能なため、優秀な人材こそ次々と海外に出てしまう。こうした事情があるため、エストニア人は、長らく国を持たず、それでも結束してきたユダヤの民のようだという印象を抱いているのである。

そんなエストニアは2014年末、国境すらも仮想的に拡張し始めた。「イーレジデンシー」という仮想住民(電子居住)制度を始めたのだ。これは、外国人にデジタルIDを発行し、電子政府の機能を一部開放する制度である。

外国人がイーレジデンシーカードを取得すれば、エストニアの電子政府を体感でき、エストニアにいなくても電子署名や法人設立、銀行口座の開設までできる。すでに世界中から約6万人のイーレジデンシー取得者を集めた。日本人も約2900人が仮想住民だ。

エストニアの電子政府をアピールするこの制度の裏には、ロシア対抗のための「ソフトパワー」を集める狙いもある。つまり、何かあったとき国際世論の後押しとなる、エストニアを支援する外国人を事前に束ねようとしているのだ。

世界中に散らばってもテクノロジーを使えば互いがつながっていられる。イーレジデンシーとともに、デジタル空間において新しい経済圏をつくっていく。さらに経済取引には、トークン(仮想通貨の一種)を用いて、ユーロ経済圏をも越えようとしている。分散型の未来社会をイメージしているようだ。

エストニアは、領土に対するこだわりが他国に比べて比較的希薄である。逆に言えば、仮に占領をされたとしても、国民全体がデジタルノマドとして電子の世界でつながっていれば、いつでも国を再建できると信じているのである。

実際、エストニアには「データ大使館」という政策がある。近隣のルクセンブルグのデータセンターを借りて、国民データのバックアップを取るという構想だ。この夏から重要データの移行が進んでいるとみられている (英語)。「データさえあれば占領されてもいつでも国を再建できる」と考えてのことだ。

だが、電子化が進めば進むほど、国境や領土の制約がなくなり、愛国心や国へのアイデンティティーは失われていくのではないか。それでは国として立ちゆかなくなるのではないか。今回、拙書『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』の取材で、筆者はケルスティ・カリユライド大統領にこの疑問をぶつけた。

それに対して、カリユライド大統領はこう首を振った。

「テクノロジーは何も変えない。オフラインであってもオンラインであってもエストニア人であることは変わらない」

このように、度重なる占領という苦難の歴史を乗り越えて、電子政府を成功させたエストニア。彼らが見据える次の社会では、人々が歴史や文化を守り、自然豊かな環境で暮らしながらも、電子化された「仮想世界」の中で国境や経済圏すら拡張して生きていく姿がある。彼らの希望の未来は、オンラインとオフラインとが融合した世界にあるのだ。

 

 

photo:Kojima Takeshi提供

 

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