量子中心のスーパーコンピューティングのリファレンス・アーキテクチャーが、有用な量子コンピューターをHPCセンターにもたらします。
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私たちIBM Quantumの使命は、有用な量子コンピューティングを世界に届けることです。では、有用な量子コンピューティングとはどんなものでしょうか。それはどのように実現されるのでしょうか。
物理学者にとっては、量子コンピューターはIBMが10年前にクラウドでアクセス可能にした時から有用なものになっていました。それらの量子システムは宇宙の根底にあるルールを探求する実践的な手段となったのです。そしてそこに年々追加される新しい量子コンピューターはその探究手段をさらに前へと推し進めてきました。しかし物理学者だけでない、より広い世界にとっての量子コンピューターの価値は、高度な計算能力、例えば現代のコンピューターでは不可能な、化学物質の物理的特性を予測する能力として実現します。これは創薬や触媒設計のような問題に対して画期的な道具となります。
著名な物理学者リチャード・ファインマンは、MITとIBMが主催したPhysics of Computation Conference学会での講演で次のように的確に表現しました:
「自然は古典的ではない。自然のシミュレーションを作りたいなら量子力学的に作るべきだ。そして、それは素晴らしい問題だ。なぜなら、簡単そうに見えないからだ。」
今、量子コンピューターの有用性拡大を明白に示す複数の発表が行われています。以前は、量子研究は物理学の研究や、目的を絞った実証、古典手法に対するベンチマーキングに重点が置かれていました。現在は、パートナーによる新しいハードウェアや、アルゴリズム、研究が、社会的な価値のある計算を行い、化学だけでなく他の用途についても最先端の実験に有用な洞察を提示しています。
実際のところ近年の傾向として、古典手法では不十分であることが増え始めており、ある種のシミュレーション問題を扱うのに最も論理的な代替手段として、フォールトトレランス実現以前ではあっても量子コンピューターが選択されるようになりつつあります。ファインマンのビジョンが間もなく真に実現しようとしているのです。すなわち、それは量子コンピューターで興味深い分子や性質をシミュレートしておいてから、実験室で実現するというやり方です。
では次の疑問として、有用な量子コンピューターはどのようにして実現するのでしょうか?2026年3月、IBMは量子中心のスーパーコンピューティングの詳細なリファレンス・アーキテクチャーを発表しました。これは、計算科学者がこれらの刺激的な実験を自分で再現できるように、現代のスーパーコンピューティングのワークフローにどのように量子コンピューターが当てはまるかを説明する技術情報です。
このリファレンス・アーキテクチャーは、既存のインフラに大規模な変更を必要としません。むしろ、これは今のワークフローを量子処理で補強するための設計図になっています。ファインマンが描いたコンピューティングの未来のビジョンにユーザーが今アクセスし始めるためには、実際の量子ハードウェアと高性能な量子ソフトウェアが必要なのです。
新しいリファレンス・アーキテクチャーの詳細については、IBM Researchブログで技術ノートをご覧ください。
2026-2028年:HPCに対するコプロセッサーとしての量子
→特定用途のアクセラレーター
→既存のHPCシステムとのコロケーション(同じ場所への設置)
→アルゴリズムとアプリケーション
→後選択された量子エラー訂正
2028-2031年:異種混在量子・古典システム
→HPCと量子の密な連携
→ハイブリッド・アルゴリズムのために先進したミドルウェア
→統一的なスケジューリングとリソース管理
→相互運用可能なファブリック
→条件的な量子エラー訂正
2031-2034年:密に統合された量子・古典システム
→一体設計された異種混在量子・古典システム
→量子リソースと古典リソースを共に扱う統一的なプログラミング・モデル
→量子システムと古典システムの間の相互運用可能な高性能ファブリック
→マルチ・テナント実行
→リアルタイム量子エラー訂正
量子コンピューターがファインマンにとっても私たちにとっても興味深いものであるのは、相互作用する原子や分子の挙動を支配する理論と同じ数学を使って情報を符号化し操作することができるからです。量子コンピューターを使えば、量子回路と呼ばれる計算オブジェクトを使って、それらの挙動を効率的に表現できます。もし古典コンピューターを使って同じことをしようとすると、指数関数的に巨大なバイナリ論理演算を用いて量子回路を非効率的に再現しなければなりません。
量子コンピューターは本質的にノイズを含みエラーが生じるため、この分野ではエラーに対処する新しい技術を絶えず開発しつつ、大規模でフォールトトレラントな量子コンピューター(FTQC)の実現を目指しています。フォールトトレラント量子コンピューターは、価値ある計算に取り組もうとする際に発生してしまうエラーを、発生した時にすぐ検出・修正できる機能を持った量子コンピューターです。ここ数年で量子ハードウェアはますます進化し、古典コンピューターだけでは正確に再現できない量子回路を動かせるようになりました。
ただし、古典コンピューターで再現できないレベルに量子コンピューターが達したというそのような過去の研究報告は興味深いものではありましたが、それ自体は新しい分子や薬剤、材料を創出しようとする科学者たちにとっては必ずしも興味を惹くものではありませんでした。しかし最近になって量子中心のスーパーコンピューティングの登場によって、さらに新しい状況が生まれてきています。
最高性能の量子コンピューターや最も効率的なアルゴリズムでさえ、ワークフローの調整や、量子計算固有のエラーの修正、そして単純に古典計算に適した計算を実行するためなどに、古典システムを必要とします。先月、私たちは古典システムと量子システムがどこでどのように連携し始めているかをお見せしました。新しいワークフローでは、量子エラー緩和技術を支援するためにGPUが活用されており、ノイズのある量子コンピューター上で実行される計算からノイズを削減できるようになりました。
同様に重要なのは、量子対角化手法のように、量子計算の一部の負荷を古典ハードウェアにオフロードするために設計された、新しい量子中心スーパーコンピューティングのアルゴリズムです。これにより、QPU上で量子回路を、GPU上ではテンソル演算を同時に計算して分子シミュレーションを行うことができます。これらのアルゴリズムにはいくつかの異なるバリエーションが登場していますが、最も注目すべきものの一つが、収束性と検証可能性を備えているという点で、基底状態エネルギーの計算における他の短期的量子アルゴリズムとは一線を画しているサンプルベース・クリロフ量子対角化(SKQD、Sample-based Krylov quantum diagonalization)です。
例えば、IBM、理研、シカゴ大学の研究者たちは新しいプレプリントで、SKQDが収束する条件を満たす一群の基底状態エネルギー問題を作成しました。理論的に扱うだけでなく、これらの問題はIBM Quantum Heronプロセッサー上のSKQDと、SCIと呼ばれる古典手法を用いて実験的に試験されました。それらの問題について古典のSCIは基底状態に収束することができませんでしたが、量子を用いたSKQDでは成功しました。本研究のテスト問題は人工的であり、現実の物理系を記述するものではありません。しかしそれでもQCSCがSKQDを実行することで最高の古典手法を上回るユースケースが実際に存在することを示しています。
これらの技術進歩が得られたことによって、世界をリードする化学者、製薬研究者、材料科学者たちは、量子を有効かつ正確なシミュレーション技術として、ツールの選択肢に加えはじめています。これまでその選択肢には、SCIや、DMRG、そしてCCSDといった結合クラスター法などの確立された古典シミュレーション・アルゴリズムしかありませんでした。
クリーブランドクリニック財団(CCF)の論文の一つは、300原子からなるトリプトファン・ケージ・ミニプロテインの様々な異なる電子配置のエネルギーを予測しています。トリプトファン・ケージ・ミニプロテインは、計算化学研究で試験の材料として頻繁に使われる人工的なプロテインで、現時点で最大級の分子シミュレーションです。この研究では、波動関数ベースの埋め込み法(EWF)と呼ばれる手法を用いて分子のハミルトニアンを分割(・再構築)し、SQDを用いて最も難しい部分のエネルギーを計算します。
一方、IBM、オックスフォード大学、マンチェスター大学、チューリッヒ工科大学、ローザンヌ連邦工科大学、レーゲンスブルク大学の研究者たちは、全く新しい分子の研究のために量子を活用しました。IBMのLeo Grossが率いるチームは、長年実証された原子間力顕微鏡(AFM)と走査型トンネル顕微鏡技術を用いて、新しい「半メビウス」分子を開発しました。これは、電子構造が半回転して形成されている炭素原子の環です。さらに、SqDRIFTというSQDベースのアルゴリズムを用いて、この分子の性質や挙動を予測しました。
これらの実験のシミュレーションは、古典手法では容易でありません。明らかに古典計算を推し進める限界が近づいています。その一方で、古典手法には不可能な問題について、量子は明確に計算能力を伸ばしています。近いうちに、ファインマンの量子シミュレーターの完全な実現が期待されます。それは、分子の特性を予測して後で実現するのに役立つコンピューターです。実際に分子を作れるように、エネルギーを蓄える材料や病気と戦う新しい分子の設計図を量子コンピューターで作成することができるのです。最近の成果は、そのワークフローに必要な要素を示しています。
量子は今や、量子中心のスーパーコンピューティング・ワークフローの一部として有用な科学的研究を行う道具です。しかし、計算科学者はどのようにして自分たちでも同じように使い始めることができるのでしょうか?もし興味深い化学や最適化の問題があり、その分野で量子アルゴリズムや量子ハードウェアの可能性を探求したいとしたらどうでしょうか?量子センターとHPCセンターを共にスケールアップさせるにはどうすればよいのでしょうか?
古典手法を超えた量子シミュレーションを行うには、量子コンピューターへのアクセスや古典計算へのアクセス、そして両者の通信を制御するアーキテクチャーが必要です。2026年3月12日、IBMは量子中心コンピューティング向けのリファレンス・アーキテクチャーを発表しました。
この文書は、ワークフローに量子を組み込みたいと願う計算科学者たちが計算センターで用いる設計図です。それと同時に、これから量子と古典が成熟するにつれてハイブリッド・システムがスケールアップし拡大していくためのロードマップでもあります。でも、車輪を再発明しているわけではありません。このアーキテクチャーにより、計算科学者が既存のHPCワークフローに量子を容易に取り入れられるように、今日のハイパフォーマンス・コンピューターと補完し融合する設計を行うことを意図しています。
最も高いレベルで言うと、このアーキテクチャーは量子中心のアプリケーション、すなわちシミュレーションや、最適化、微分方程式求解などのワークフローのために量子ライブラリと古典ライブラリの両方を組み込んだプログラムを考慮しています。一段低いレイヤーではこれらのライブラリは、テンソルや量子回路など適切なデータ構造に問題をマッピングします。そのようなデータ構造は計算の中核単位です。さらに、ミドルウェア層はこれらの構造を適切なハードウェア上で動作させる準備を整えます。具体的に言うと、OpenMP、MPI、SHMEMのようなツールはCUDA、Triton、PyTorchを使ってGPU上で処理するデータを準備し、Qiskit、TKET、CirQのような量子SDKはQPU上で動作する回路を準備します。
ミドルウェアの下には、オーケストレーションを実行し、適切なハードウェア間でリソースを割り当てるワークフローおよびリソース管理ツールがあります。量子リソース管理インターフェース(QRMI)はそのようなオープン・ツールの一つであり、量子計算資源へのアクセスや制御、動作の監視を行う、ハイ・パフォーマンス・コンピューティング(HPC)システム向けのベンダー非依存ライブラリです。
そして一番下のレイヤーに、実際の処理と後処理、つまりハードウェア全体で問題を調整するワークフローやリソース管理システムがあります。私たちは、五つのユースケース・カテゴリーを用いてオーケストレーションをガイドし、CPUやGPUのシステムのスケールアップとスケールアウトを進めるためにQPUを接続して統合します。例えば、SKQDのようなアルゴリズムはスケールアウトや閉ループを必要とし、それには時間的および空間的な結合の考慮がなければなりません。一方で、高スループットのCPUとGPUリソースがエラー緩和には必要です。低遅延の古典システムが緊密に統合されていればユーザーはエラー訂正の探求も可能です。
このリファレンス・アーキテクチャーにより、計算センターは自社のCPUやGPUクラスターに量子コンピューティングを組み込み、包括的な量子中心のワークフローを作り上げることができます。さらに今後の量子技術の成熟や新しいアプリケーションの誕生を見越して、量子・古典の成長を計画し予測することができます。
このアーキテクチャーは、量子コンピューティングに関心を持ちHPCへのアクセスを持つ計算科学者に対し、ファインマンのビジョンを今日どのように探求できるかを示しています。成熟し続けるAIインフラを踏まえ、私たちは、その成長し続けるAIインフラのGPUクラスターを量子の強化に活用した未来を構築し投資しています。
ファインマンはシミュレーションの未来のビジョンを示しており、その未来は今まさに現れつつあります。IBMは、皆さん自身がその未来を実現するお手伝いに全力を尽くしています。