バスク州が、わずか数年で量子コンピューティングの世界的プレーヤーとして地位を確立した、その経緯をこのブログではご説明します。
量子技術のキャリアを追求している人にとって、バスク州ほど適した場所は地球上にほとんどありません。
このような状況は、量子コンピューティングにコミットし、強力な量子エコシステムを育んだり、この分野に関心のある研究者を支援したりすることに、バスク政府および学術界が協調して取り組んだ結果として得られたものです。すでにこの努力は身を結んでいます。バスクの研究者は、高エネルギー物理学、時間結晶、量子アルゴリズムの開発においてエキサイティングな成果を生み出し、量子コンピューティングの分野を前進させています。
スペイン北部に位置するバスク州は人口わずか220万人ですが、強力な物理学コミュニティーの長い歴史を持っています。バスク政府は、このコミュニティーと、さらにはより広範な科学コミュニティーを支援して成長させるために、2007年にIkerbasque、別名バスク科学財団(the Basque Foundation for Science)を設立しました。
Javier Aizpurua教授はIkerbasqueの教授であり、現在はBasque Quantum Initiative(BasQ)のScientific Directorですが、政府がバスク地方に量子コンピューティングを導入することを検討するために最初に連絡をしてきた時から、この方向性を強く支持したと言います。
この地域の科学コミュニティーを調査した結果、「(量子コンピューティングは)優れた科学・技術・イノベーションを生み出し続けるのに有用な、本当に重要で根幹的な技術になる可能性があるという結論に達しました」とAizpurua教授は述べています。「そしてその過程には、世界で最も先進的な量子コンピューターの一つへのアクセスも含まれるはずです。…そしてバスク政府は組織的に量子コンピューティングに強力なコミットをすることを決断しました。」
この決定が2023年になってBasQという形をとることになりました。このイニシアティブでは、バスク州政府の科学・大学・イノベーション省と、アラバ、ビスカヤ、ギプスコアの三つの県議会が主導して、幅広い量子研究を支援し、IBM-Euskadi Quantum Computational Centerを通じてIBM量子コンピューターへの専用アクセスを提供します。
IBMは、その数年前の2016年に量子コンピューターを初めて一般に公開していました。その後2022年にIBMは初めて100量子ビットの壁を破り、2023年には量子有用性を実証しました。BasQはそのような技術進歩を早期にバスク州に活用可能にし、2025年10月にはヨーロッパで最初のIBM Quantum System Twoを発表しました。
BasQはIBM Quantum System Twoをオンプレミスで保有することによって、世界最先端の量子コンピューティング技術への特別なアクセスというメリットを享受することができるようになります。2025年10月14日、BasQ と IBMは、156量子ビットの IBM Quantum Heronプロセッサーを搭載したIBM Quantum System Twoのインストールを開始しました。
しかし、BasQ系列の科学者はそれに先立ってIBM Quantum System Twoが発表される以前からも、IBM量子コンピューターを使用して印象的な成果をあげてきました。BasQの研究者は、量子スキルをIBMの専門家から学び開発していますが、この地域のエコシステムは既にそのステージを超えて、BasQの研究者がお互いに教え合い、学び合うというステージに到達するまで成長しており、すでにバスク州は量子コンピューティングの専門知識育成の中心地となっていると言うことができます。
たとえば進行中のプロジェクトの一つで研究者たちは、原子核をつなぎ合わせるのと同じ力である、強力な核力の数学的基盤を理解するために、IBM量子コンピューターを使用しています。
強い力の相互作用を直接的にモデル化したり研究したりすることは困難です。私たちはこの力をクォークと呼ばれる陽子と中性子のサブユニットをまとめる「接着剤」として主に理解しています。強い力は、量子色力学の法則に従って複雑な方法で相互作用します。しかしこの力についての計算は、単純化されたモデルでさえ、古典的なスーパーコンピューターでは処理できないほどの規模の複雑性に容易に到達してしまいます。そのため、強い力の相互作用を研究するための現時点で最良の方法はやはり粒子衝突型加速器であるということになります。粒子衝突型加速器は高エネルギー衝突で生成される粒子、エネルギー、軌道に関するデータを収集することを目的として、陽子を何度も衝突させるという、巨大で高価な実験装置です。
「私たちの大きな課題は、これらの衝突型加速器で起こる物理学を卓上実験でシミュレートすることはできないのかということです」と、CERNとBasQの両方に所属し、この研究のリーダーであるEnrique Rico氏は語っています。「量子コンピューターも大きいですが、20キロメートル規模の衝突型加速器と比較すれば、それらは卓上実験みたいなものと見ることができます。」
BasQとIBMの共同研究チームには、Ikerbasque、DIPC、EHU QC、CERN、IFT UAM-CSIC、Wigner RCP、TUMからもメンバーが参加し、強い力のいくつかの側面について量子コンピューター上でシミュレーションを進めました。まだ発表されていない研究でチームは、IBM Quantum Heronチップの格子構造上で横断的に移動し、向きを変え、振動し、広がっていくようなクォークの単純化された挙動をモデル化しました。
この作業が実現したのは、実際の量子ハードウェアへの長期的なアクセスを可能にしたBasQとIBMのパートナーシップがあったからです。
BasQの研究者は多大な時間をかけて、IBM量子コンピューターを使用し、IBMの研究者やIBM-Euskadi Quantum Computational Centerの他の学術パートナーと協力して量子スキルを開発しています。
このクォーク・モデル化の取り組みで重要な役割を果たした、バスク大学博士課程の学生であるJesús Cobos Jiménez氏は、そのチームがIBMの専門家との共同研究を通して、実際の量子ハードウェアで効果的な作業を行う準備をすることができたと言っています。
「初めて量子計算を試す人は、『古典シミュレーターで全部やるよ。最終結果が得られるまで量子ハードウェアに触れる必要はないね』と言う傾向があると思います」。BasQの研究者と緊密に連携している IBM量子アルゴリズム・エンジニアである Joana Fraxanet Moralesは言います。「しかし、ラップトップで物事をシミュレートすることと、実際に量子ハードウェアを使い始めることの間には大きなギャップがあることを認識することが大事だと私は思います。IBMでは学習プラットフォームで人々にテクニックをお伝えしていますが、実際に量子ハードウェアを使ってみてはじめてわかることもあります。」
Jiménez氏によると、これらのシミュレーションの場合、BasQチームは量子ハードウェアの機能をテストするのに試行錯誤の期間があったと言います。
「量子コンピューターでこのモデル化を行なって、どこまで行けるかわかりませんでした」とCobos氏は言います。「私たちはゆっくりと、結果を段階的に改善していきました」。
時間が経つにつれて、モデルは最先端のレベルに洗練されていきました。
これらのクォーク相互作用モデルはシミュレーションではありますが、宇宙について本当のことを教えてくれるとRico氏は言います。
「私にとってこれを一番上手くたとえるのは風洞実験です」とRico氏は言います。「企業が新しい航空機を設計する時に最初にするのは、模型を作成して、風洞でそれを使って実際にどのように動くかを確認することです。これが、私たちが量子コンピューターでやっていることです。量子物理学、材料科学、量子化学などで、私たちにはまだ理解できていないことがあります。だからこそ、実際の量子条件下でどのように動作するか、モデルを量子シミュレーターで試してみるのです。」
風洞の模型飛行機のように、量子シミュレーションの単純化されたモデルは、実物大の系がどのように動作するかについて研究者に示唆を与えてくれます。それで、将来の研究を正しい方向に導くことができるのです。
Rico氏によると、次の疑問は、高エネルギー物理学の分野で、より広範に、量子コンピューターが古典コンピューターに比較して、理論的に証明可能な優位性を実証できるかどうかだと言います。量子優位性とは、量子コンピューターが古典コンピューター単独よりも正確、安価、または効率的に計算を実行できることを意味します。IBMは、最初の量子優位性が 2026年末までに明らかになると予測しています。
BasQの研究者は、物性物理学の限界を押し広げるのにも、IBMの量子コンピューターを使用し、IBMの研究者と協力しています。物性物理学は相互作用する多くの原子の特性を研究します。
Nicolás Lorente氏は、量子現象を研究している、Donostia のCenter for Materials Physics(材料物理学センター)の研究者です。量子コンピューターに取り組み始める前は、原子の挙動を直接観察することに重点を置いていました。
「たとえば、鉄やチタンなど、原子の列を互いに近づけて整列させると、マイクロ波をそこに通すことができて、そしてそれらが反転し始めることがわかっています」と氏は言います。
その反転動作には、いくつかの特異的なパターンが見られます。これらの原子の鎖が適切に配置されれば、研究者らが「時間結晶」と呼ぶ構造が形成されます。石英の原子が変形に抵抗する秩序ある結晶を形成するのと同じように、時間結晶の回転は安定した周期的なパターンで振動し、それを乱そうとする試みに抵抗します。
宇宙で観測可能なほとんどの物理プロセスは、最終的には熱平衡に到達し、最大エントロピーの状態で終わります。たとえば、星は燃え尽き、気体の塊は膨張して部屋全体を満たし、動くものは内部摩擦によっていずれは止まります。しかしそれに対して、時間結晶は、永久的な非平衡運動として知られる数少ない反例の一つであると、Lorente氏や他のBasQ研究者と共同研究してきたIBM量子研究科学者のOles Shtanko氏は述べています。
しかし、時間結晶は高コヒーレント量子系でのみ出現し、ノイズに敏感なので、外部宇宙のカオスが時間結晶を壊してしまうことがあります。それに対して、熱や騒音から隔離され極低温に冷却されたプロセッサーを備えた IBM量子コンピューターは、そのダイナミクスを研究するユニークな機会を提供します。
BasQは、Lorente氏のチームにこの研究に必要なアクセスと機会を提供しました。
最近まで、時間結晶は1次元、つまり原子が隣接する1原子にのみ互いに接続されたような、原子の連鎖でしか研究されていませんでした。これは、時間結晶に関して比較的単純な構造です。信号はこの鎖を直線的に伝わるようになっていて、鎖の中に生じたたった一つの問題が結晶全体を壊してしまいます。
arxivで現在入手可能なプレプリントで、BasQとIBMの研究者は2次元の時間結晶を実証しました。この研究は、IBM量子コンピューターで実施された、日本の理化学研究所の最近の研究を補完するものです。IBM量子コンピューターは、初めて2次元の時間結晶の実証を可能にしました。
Shtanko氏は、この研究の結果の一部は、テンソル・ネットワークなどの既存の古典手法で再現するのが難しいと述べました。創造的な古典手法でこれらの実験をシミュレートできる可能性はありますが、Shtanko氏は、この研究の今後のステップで量子優位性に迫れることを期待していると述べました。
時間結晶は、2026年をまもなく迎えようとしている現時点で、量子優位性のエキサイティングな候補の一領域です。
さらにLorente氏は、今後の量子コンピューターの進歩によって、スピン液体の研究にも量子コンピューターを使用していきたいと述べました。スピン液体は、複雑な変動や長距離相互作用を伴うため、時間結晶よりもモデル化がさらに困難です。Lorente氏はまた、IBM Quantum Nighthawkでは接続性が向上するので、物性物理学をモデル化する上で新たな機会が生まれることを期待しています。BasQの量子コンピューティングへの取り組みの多くは、バスク州にある量子リソースで行われることになる予定です。
Cobos氏は、量子コンピューティングは科学を進歩させるためのツールであるが、クォーク・シミュレーションに関する研究を通して、彼は量子スキルを身につけただけでなく、幅広い分野の研究者とチームとして効果的に協力することができるようになったと述べました。
Fraxanet Morales氏は、BasQのおかげでバスク州の学生や研究者のスキル開発が急速に進んでいるのを目の当たりにしていると語りました。彼女は特にBasQ Advocatesに言及しましたが、この人たちはバスク州における量子技術の成長と採用を支援することを自発的に引き受けている人たちです。
「この地域の人々は専門家になりつつあります」と彼女は言いました。「人々は発表されていっている多くの論文に自分たちで取り組んでいるだけでなく、コミュニティーに技術を共有しています。たとえば、ワークショップを開催したり、他の人にこれらのコンピューターを紹介して使い始めさせたりしています。これはとても良いことです。」
Cobos氏によると、これらのワークショップは、量子スキルについてコラボし、学習し、身につけるための「リラックスした環境」を提供していると言います。
このようなエコシステムを成長させるには一貫性が鍵であるとAizpurua氏は述べています。バスク政府の一貫したコミットメントとサポートにより、バスク量子エコシステムの成長が可能になりました。
現在、BasQの訓練を受けた研究者や量子スキルを備えた博士課程の学生が新世代に増えており、将来数十年にわたってバスク量子研究を推進する準備ができていると同氏は述べました。
この記事は英語版IBM Researchブログ「How the Basque Country became a leader in quantum computing」(2025年10月14日公開、Rafi Letzter著)を翻訳し一部更新したものです。