1925年 日本に初めてIBMのホレリス式統計機械を設置(日本陶器)
日本におけるIBMのカストマー番号No.1として登録
IBMが日本法人を設置する以前の1923年の秋、日本陶器(現、株式会社ノリタケカンパニーリミテド)は、米国からの膨大な受注を処理するため、機械による事務処理の合理化を検討していました。
その折、アメリカで開催されていたビジネス・ショーで目にしたCTR社(1924年にIBMへ社名変更)のホレリス式統計機械(穿孔カード式計算機)の能力に驚嘆し、日本陶器への導入を考えたのが、後に日本IBMの社長、会長を歴任する森村商事の水品浩でした。
IBMのホレリス式統計機械は、1925年5月に日本総代理店契約を締結した森村商事の手によって輸入されることとなり、最初の1セットが同年9月に日本に到着。日本陶器は日本におけるIBMのカストマー番号No.1として登録されました。
1937年 日本ワットソン統計会計機械株式会社設立
創立時から社員を米国へ派遣して人材育成を重視
日本IBMの創立は、1937年に横浜・山下町に設立された日本ワットソン統計会計機械株式会社にさかのぼります。小規模ながら、IBMの経営に即した組織とマネジメントを導入。事務所の正面入り口には、IBMの社是である「THINK」(考えよ)の文字が掲げられていました。
当時から人材育成を重視し、有能な若手社員を米国へ派遣して5カ月間にもおよぶセールス・スクールを受講させるなど、その後の営業活動の柱となる、セールスやマネジメントの最新知識を身に付けさせました。また、保守サービスのスタッフもIBMのエンジニア・スクールで学ばせるなど、サービス部門にも力を入れていました。
1958年 初のコンピューターIBM 650を麹町本社に設置し、計算センターを開設。
パンチ・カード・システムからコンピューター時代へ
IBM 650は、IBMが世界で初めて量産化したIBM701に次ぎ大量生産されたコンピューターの1つです。IBM650は従来のパンチ・カード・システム(PCS)に比べて大量・迅速な処理を可能にし、世界で事務処理や科学計算技術の分野に導入が広がりました。
日本IBMは1958年、東京・麹町本社(当時)に新設された計算センターに設置するとともに、同年に日本原子力研究所(現・国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)に納入。翌年にはIBM 704が気象庁に納入され、日本のコンピューター時代の幕が開きました。
なお、IBM650、IBM704のCPUの電子回路には真空管が使われていましたが、1958年発表のIBM7090以降はトランジスターが採用され、さらに飛躍的な能力向上を果たします。また、外部記憶装置として、磁気テープとともに磁気ディスクが使われ始めたのもこの頃です。
1959年 日本アイ・ビー・エム株式会社と社名変更
コンピューター営業の開始に向けた体制構築の契機に
1959年2月、現在の日本アイ・ビー・エム株式会社へと社名変更が行われました。
それ以前の日本インターナショナル・ビジネス・マシーンス株式会社という社名は非常に長く、一般には頭文字をとって日本IBMと呼ばれており、すでになじみ深くなっていたその略称をもって正式社名としました。
同年9月には千鳥町工場の1期工事が完成し、本格的な製造拠点の足場を築きました。また、翌1960年に社員数は1,000名を超え、これと前後して就業規則の改定、新給与制度の発足、組織の細分化などが行われました。
コンピューター営業の開始という経営の重大な発展期を迎え、社名変更とともに今日につながる日本IBMの組織体制が整えられていきました。
1964年 リアルタイム・オンライン競技速報システム(東京オリンピック)
競技速報への挑戦が日本のオンライン化の契機に
1964年10月、94カ国5,541名の選手が参加して開かれた東京オリンピック。この大会でIBMは、競技成績の速報と公式記録の収集作業をコンピューターで支援する、日本初の「リアルタイム・オンライン競技速報システム」を構築しました。
1960年代以前の記録集計はバッチ処理で行われており、公式記録の確定には大会終了後数カ月を要していました。新システムは、種目や選手情報、スケジュール、試合結果など、当時としては類を見ないほど膨大かつ多様なデータを即時に分類・計算し、速報を支えました。
東京オリンピックの成功は戦後復興を終えた日本の実力を世界に示すとともに、産業界は高度成長を追い風に、より高い生産性を求めて次々とオンライン化に踏み切っていきました。
1965年 日本初のオンライン勘定システム(株式会社三井銀行*)
窓口業務の飛躍的な効率化と迅速な顧客サービスを実現
*現、株式会社三井住友銀行
株式会社三井銀行(現・株式会社三井住友銀行)は1965年、IBM製のホスト・コンピューターを本店営業部に導入し、窓口の専用端末を通信回線で結んだ日本で初めてのオンライン勘定システムを他行に先駆けて稼働させました。
“経済の血脈”を担う銀行の役割が急速に広がった高度成長期。都市銀行の多くのコンピューターで行われていたのはオフラインのバッチ処理で、勘定系業務は人海戦術に頼らざるを得ず、一刻も早い効率化が望まれていました。
オンライン化の結果、窓口対応のスピード化や後方事務の削減、決算業務の大幅な短縮を実現。これらの成果は他の銀行にも大きな刺激を与え、その後のオンライン・バンキング・システムの普及を促進しました。
1967年 システム360量産体制開始と、藤沢工場竣工
海外のIBM工場と対等のコンピューター製造基盤を確立
1964年、IBMは情報革命時代を切り開く画期的な性能と特長をもつ世界初の汎用コンピューター「システム/360」を世界14カ国において一斉に発表。日本IBMは、その国産化に注力して努力を注いできました。
背景にあったのは、コンピューターの国内需要の増加に対応し、日本経済の発展に貢献する、という理念です。また、中南米やアジアほか、各国に輸出を行うことで、日本の国際収支の改善にも寄与したいと考えました。
そこで1967年5月、神奈川県藤沢市の桐原工業団地内に新工場が竣工し、システム/360の量産体制を確立します。これにより、日本IBMは海外のIBM工場と対等の基盤をもち、国内コンピューター製造技術の育成ならびに開発をさらに促進することが可能となりました。
1968年 世界初の鉄鋼生産管理リアルタイム・オンライン・システム(八幡製鐵株式會社*)
生産工程の統合管理が見込み生産から受注生産への変革を可能に
*現、新日鐵住金株式会社
八幡製鐵株式會社(現・新日鐵住金株式会)は1966年、高度成長期の鉄鋼需要の増大に対応するため、当時世界最大規模の君津製鐵所を建設すると同時に、世界初のコンピューター制御による鉄鋼生産管理リアルタイム・オンライン・システム「AOL」(All On-Line)を構築しました。
AOL導入の結果、製鐵所内におけるモノの流れと情報の流れを同期化。生産・加工の進捗状況をリアルタイムで把握できるようになり、従来の見込み生産から受注生産に切り替えて無駄を省くというビジネス・モデルの変革を実現しました。
その後、AOLは技術情報管理や原価管理などを担う周辺システムとの統合を進めていき、後の国内外の鉄鋼生産管理システムに大きな示唆を与えることとなりました。
1971年 六本木に本社ビル完成
地球環境との調和を目指す新しいオフィス・ビルのあり方
日本IBMの本社ビルの変遷には、常に「Good Design is Good Business」のデザイン・コンセプトが息づいています。
1971年1月、東京・六本木に完成した本社ビルは、5,038㎡の敷地に地上22階、地下2階、延面積3万6,700㎡の規模をもつ高層ビルでした。
「地域環境との調和」を目指す設計ポリシーのもと、大気汚染コントロール・プログラムや、冷房時の放熱を利用し給湯するヒート・リカバリー・システムなどを採用。無公害性、省エネルギー設計の新しいオフィス・ビルのあり方を示すものとして、環境保全の専門家や建築家などからも大きな関心が寄せられました。
1971年 世界初の新聞製作システム(株式会社日本経済新聞社・株式会社朝日新聞社)
鉛の活字からコンピューターによる紙面製作へと進化を遂げた
1971年、日本において世界初の新聞製作システムが稼働し始めました。
株式会社日本経済新聞社と株式会社朝日新聞社は日本IBMとともに、鉛の活字を手作業で並べていた紙面の組版作業の電子化に挑み、まだ満足にコンピューターでの日本語処理ができなかった時代に、漢字やかなを扱える画期的なシステムを開発しました。
このシステムは、記事入力から紙面化までの時間を短縮、紙面レイアウトの変更や記事修正を容易にし、新聞製作を効率化するとともに、記事の長期保存やオンライン検索を実現。より鮮度の高い情報を読者に届けることを可能にすると同時に、紙面イメージを電子データのままファクシミリ送信することで遠隔地や海外でも同一品質の新聞を印刷できるようになったのも大きな成果です。
1979年 IBM漢字情報システムを発表
コンピューターを世界中の言語に対応可能に
日本IBMは、日本で製品・サービスをご提供するにあたり、日本のお客様のさまざまなニーズにお応えしてきました。その一つが日本語での使いやすいインターフェースの開発です。欧米言語では英数字36文字と若干の特殊文字で表現できますが、日本語ではカナや漢字など、使用する文字の種類は数千にも上ります。当社は、1バイトの英数字と2バイトの漢字コードを混在して扱えるようにするとともに、漢字の入出力装置を開発し、1970年の大阪万国博覧会で公開しました。その後、漢字処理技術はオフコンやパソコンにも適用するとともに、1979年には現在につながるIBM漢字情報システムを発表。2バイト・システムの成果により、コンピューターは英語以外の世界中の言語へと対応範囲を拡大していきました。
1982年 基礎科学研究組織としてサイエンス・インスティチュート(現・東京基礎研究所)設立
先端技術研究で日本発のイノベーションを創出
1982年4月、情報科学とコンピューターの最先端技術に関する基礎的な研究を行う組織として、東京にサイエンス・インスティチュート(JSI)が設立されました。
その後、JSIは応用研究を担うTSC(Tokyo Scientific Center)の統合、応用物理科学および製造技術を研究するATI(Advanced Technology Institute)の新設を経て、1986年9月に東京基礎研究所(Tokyo Research Laboratory:TRL、現在はIBM Research Tokyo)と改称。
TRLから生み出される研究成果は、音声認識・合成、自然言語処理、知識ベース、分散処理、ワークステーシヨン、画像処理応用システム、パターン認識、医療情報システム、ソフトウェア・エンジニアリング、記憶技術、ロポティックス・システムなど、幅広い領域に及んでいます。
1983年 多機能ワークステーション「IBM5550マルチステーション」
専用機の壁を超え、OAの世界がつながり、広がった
1980年代、多くの企業でOA(オフィス・オートメーション)化への取り組みが活発化しましたが、当時の日本ではパソコン(PC)や日本語ワープロ、オンライン端末など、目的別の専用機が必要でした。
そこで日本IBMは多機能ワークステーション「IBM5550マルチステーション(以下、IBM5550)」を発表。“つながるOA ひろがるOA”をキャッチ・フレーズに、従来個別に提供されていた3つの機能を1台に統合し、総合的なシステムによるOA化の推進を可能にしました。また、それまでのグローバル基準のPCに備わっていなかった日本語処理技術を搭載。「かな漢字変換方式」を新たに開発して組み込み、日本のオフィスにおけるコンピューター利用の新たな可能性を切り拓きました。
1985年 手づくりから共通基盤化へ移行した第3次オンライン・システム(株式会社三菱銀行*)
社会インフラに成長した銀行オンラインの開発手法を革新
*現、株式会社三菱東京UFJ銀行
銀行のシステムは、1960年代半ばの勘定系オンライン・システム(第1次オンライン)、1970年代半ばの総合オンライン・システム(第2次オンライン)と発展してきましたが、それらはすべて各行独自の手作りでした。1980年代に入り、金融自由化の流れや新商品・サービスへの迅速な対応が可能な新システムの開発が急務となる中、株式会社三菱銀行(現、株式会社三菱東京UFJ銀行)は、IBMのIMSというデータ・システム環境や、超大規模プロジェクトの推進手法であるADSGを活用して、先陣を切って第3次オンライン・システムを開発します。共通基盤を利用し、保守の生産性向上と高品質の銀行システムを実現する、この成果と構築ノウハウは、国内外の金融機関へと波及していきました。
※1 IMS:Information Management System
※2 ADSG:Application Development Standardization Guide
1980年代 ハンディを超え、情報社会への扉を開く「アクセシビリティ技術」
誰もがITを活用し豊かな生活を送れる社会を目指して
障がいを持つ方々がハンディを感じることなく、能力を最大限に発揮できる環境を造り生活の質を向上させたい。日本IBMも、そうしたアクセシビリティ(情報機器やサービスの利用のしやすさ)向上のための技術開発に長年取り組んできました。
1980年代に「点字ワープロ」を開発し点訳をスピードアップ。1999年にはテキストを音声で読み上げる「IBMホームページ・リーダー」、2002年には文字の拡大表示や音声読み上げを支援する「らくらくウェブ散策※」を開発。
2008年からは、ソーシャル・ネットワークを通じた人と人とのコラボレーションをWebアクセシビリティ向上に活かす「ソーシャル・アクセシビリティ・プロジェクト」も開始しています。
IBMは、アクセシビリティを障がいの有無に限らず、高齢化社会や新興国の識字率向上なども含めた“社会の課題”としてとらえ、研究開発を続けています。
※現、Easy Web Browsing – Cloud
1987年 日本IBM科学賞創設
日本の科学振興と若手研究者の育成に寄与
1987年6月17日に日本IBMが創立50周年を迎えたことを記念し、日本の科学振興と若手研究者の育成に寄与することを狙いとして「日本IBM科学賞」を創設しました。
授賞対象者は、物理、化学、コンピューター・サイエンス(バイオインフォマティクスを含む)、エレクトロニクス(バイオエレクトロニクスを含む)の基礎科学研究の幅広い分野で優れた活動を行っている、国内の大学あるいは公的研究機関に所属している45歳以下の研究者です。
発表当初から高い関心を集め、予想を上回る88名の応募者の中から、第1回として8名の研究者が受賞。その後もIBM科学賞は2011年の第25回まで毎年行われ、受賞者は147名となりました。
1989年 箱崎事業所開設
都内に点在していた5,000人の営業部門を集結
1989年、東京都中央区日本橋箱崎町に日本IBMの箱崎事業所が竣工。地上25階、総床面積8.3万㎡、一社占有のオフィス・ビルとしては国内で例を見ない規模の「21世紀オフィス」に、都内に点在していた約5,000人の営業部門を集結させました。
当時、営業部門へのフリー・アドレス(自由席)制の導入で注目を集めたほか、お客様向けの各種のデモ・センターも設置。その後も、ビル内の消費電力の見える化や、企業内保育施設の開設など、事業所そのものがIBMのさまざまなソリューションのショー・ケースとなっています。
2009年10月1日、本社を六本木から箱崎事業所に移転し、箱崎事業所は本社事業所に改称されました。
1990年 PC/AT互換機向け基本ソフト「DOS/V」ソフトウェアによる日本語表示を可能にし、PCの本格普及を加速
アルファベット圏で生まれたパーソナル・コンピューター(PC)を使いやすくするために、日本では各メーカーが漢字ROMという独自仕様のハードウェアを搭載し販売していました。しかし、こうした機能拡張は価格を増加させる上、異機種間でアプリケーションの互換性を確保することも困難でした。
そこに革新をもたらしたのが、日本IBMが開発した基本ソフト「DOS/V」です。1990年にすでに世界標準規格となっていたPC/AT互換機上で、ソフトウェア・レベルでの日本語表示を実現。日本語アプリケーションをそのまま動作させることを可能にしました。
これを受け、海外の低価格なPCが続々と進出し、国産各メーカーも価格性能比の高い機種へのシフトを進めた結果、日本でのPCの普及を加速させるきっかけとなりました。
※DOS/V:Disk Operating System / VGA
1992年 日本で初めて、オゾン層破壊物質を生産工程から全廃
人体や環境に悪影響を与えない開発・製造プロセスを採用
日本IBMが「1993年末までに特定フロン(CFC)やトリクロロエタンなど、オゾン層破壊物質(ODS)を全廃する」という目標を掲げ、フロン削減タスク・チームを設置したのは1989年のことでした。
これに基づいて藤沢事業所が超純水洗浄装置を開発し、ハードディスク・ドライブや回路基板などの洗浄用に使用していたODSを廃止するなど努力を重ねた結果、当初の予定よりも1年早い1992年11月に目標を達成するに至りました。
なお、IBMではODSのみならず、人体や環境に悪影響を与えない開発・製造プロセスを採用し、環境に配慮した製品を提供することを環境ポリシーとして推進しています。
1992年 アウトソーシング事業開始
1994年にオムロン株式会社の基幹システム運用管理のアウトソーシングを受託
IBMが1990年に世界に向けて行った「サービス・カンパニー宣言」に基づいて、日本IBMも1992年にサービス事業を本格的に開始。
なかでもグローバル時代に対応するコア・コンピタンス経営への改革意識の高まりなどを受け、特に大きな伸びを見せたのがアウトソーシング事業です。
その象徴的な出来事として、1994年に日本IBMは、オムロン株式会社から基幹業務システムの運用管理を受託しました。
1998年には、新たに10年間のアウトソーシング契約を締結。オムロン株式会社と日本IBMの間で業務システム・サービスの合弁会社を設立し、全業務系システムの開発・運用およびネットワークの運用・保守をアウトソーシングで行っています。
1992年 日本生まれのノートPC「ThinkPad 700C」誕生
ワークスタイルを変え、行動範囲は世界に、そして月までも
「いつでも、どこでも利用できるパーソナル・コンピューター(PC)を」というニーズを受け、日本IBMは1992年にノート型PC「ThinkPad 700C」を発表しました。
小型・軽量化はもちろん、快適な操作性を満たすため、フルサイズのキーボード、衝撃に強いハードディスク・ドライブ、薄型の液晶ディスプレイなど、当時の最先端テクノロジーを結集。「トラックポイント」と呼ばれるIBM独自の入力装置を搭載し、マウスを使えない環境での容易な操作を可能にしました。
ノートPCは、モバイラーという新しい利用スタイルを生み出したほか、後継機のThinkPad 750sはNASAにも採用されるなど、その行動範囲は世界に、そして宇宙にも広がりました。
※日本だけで販売されていた時の製品名はPS/55note
1997年最先端のe-ビジネスを実践(アスクル株式会社)
全商品を電子化して翌営業日に配送する画期的なバーチャル・ショップを開設
1997年にIBMが提唱した「e-ビジネス」は、企業活動におけるあらゆる情報交換や蓄積の手段を電子化し、経営効率を向上させるネットワーク社会のキーワードとして定着しました。
これにいち早く取り組み、バーチャル・ショップ・システムを構築したのが、オフィス用品通販サービスのアスクル株式会社です。商品カタログに掲載された全2,750アイテムを電子化して基幹業務システムと連携させ、「今日頼めば明日来る」という翌営業日配送を実現。最先端のe-ビジネスの実践でした。
その後も日本IBMとアスクル株式会社は連携し、法人向けオークション「アスクル e-オークション」、ビジネス機器のインターネット販売サービス「ASKUL B2B MART」などを次々に構築していきました。
1998年 長野オリンピックの公式Webページ構築
1998年当時世界最大規模、オリンピックのすべてを伝えた
IBMは1998年、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)と協力して長野オリンピックの情報システムの開発に取り組みました。公式Webページでは、各競技の参加選手や公式結果はもちろん、オリンピックの歴史や参加国の詳細、長野の観光情報やゲームなど、約30,000ページに及ぶコンテンツで構成され、16日間の大会期間中に全世界から計6億以上のアクセスを記録。女子フィギュア・スケート決勝などが行われた14日目には、1分間に103,429アクセスという当時の世界新記録を樹立し、ギネスブックにも認定されました。
この取り組みを通じて培った経験と実績、技術ノウハウは、次代のインターネットの商用利用を推進していく原動力となりました。
1999年 育児・介護ホーム・オフィス制度新設
2000年に導入されたe-ワーク制度の第一弾
日本IBMは、自宅での勤務が可能な職種の社員が、育児・介護と業務の両立できるよう、1999年6月1日に「育児・介護ホーム・オフィス制度」を新設しました。
そして翌2000年4月1日、これをさらに拡充した「e-ワーク制度 」を開始。専門性および会社への貢献度が高い社員が育児・介護と業務の両立を希望した場合に、会社が業務に支障がないと判断すれば、ITを活用した完全在宅勤務「e-ワーク」を認めるというものです。
この取り組みの背景には、IBMが推進しているe-ビジネスを自ら実践し、勤務場所や勤務形態に柔軟性を持たせるワーク・フレキシビリティーを実現する、という狙いがありました。
1999年 ATMイノベーション(株式会社イーネット)
日本初、コンビニATMが複数金融機関の窓口に
単一銀行による大規模展開が困難とされていたATMを「もっと身近な場所で、いつでも利用できるようにして欲しい」というニーズを受け、金融機関やコンビニエンス・ストアなどの共同出資で生まれた株式会社イーネットが提唱したのは、「1台のATMが各利用者の銀行ATMに変わる」という新しいアイデアでした。ATMの共同利用により、利用者には利便性を、金融機関にはローコストでのチャネル拡大を、コンビニ各社には来店客数の増加効果を提供。日本IBMは、最大24時間365日の運用に耐え、全国に展開する大規模システムを提供するとともに、参加各社の連携を実現するための折衝にも尽力し1999年10月に稼動を開始。
プロジェクト開始から13年後の2012年3月末時点で、提携銀行59行をはじめとした、ほとんどすべての金融機関のカードが利用可能となり、全国のコンビニ等50社以上に11,500台が設置されるまでに広がりました。
2000年 テキストマイニング・ツール「TAKMI*」
大量の非構造化データから新たな知見を見つける
テキストや音声、画像など、従来は分析ができなかった非構造化データから、いかに新たな知見を読み取るか。この難しいテーマへの一つのアプローチとして開発されたのが、テキストマイニング・ツール「TAKMI※」です。
英語のように単語を区切るスペースがない日本語に対して、IBM東京基礎研究所は自然言語処理技術を適用して単語を抽出し、文脈から単語間の関係を特定するという方法で課題を解決。
TAKMIの研究成果は、ビジネス・アナリティクスの基盤技術として、「IBM Content Analytics」という製品に活かされ、コールセンターやインターネット上の顧客の声の分析など、国内外のさまざまな分野で活用されています。
※TAKMI:Text Analysis and Knowledge Mining
2002年 Embedded(組み込み型)ViaVoice搭載 ナビゲーション・システム
音声で道案内をしてくれるカーナビ
「近くのガソリン・スタンドを探して」、「イタリアン・レストランを探して」――音声で呼びかければ道案内をしてくれる、そんな画期的なカーナビが本田技研工業株式会社とIBMが共同開発したソフトウェアによって可能になりました。IBMは、長年研究を続けている音声認識技術をベースとした「Embedded(組み込み型)ViaVoice」を協業先の本田技研工業株式会社に提供。Touch by Voiceと呼ばれるシステムにより、音声による操作が可能となったのです。このTouch by Voiceは、米国ホンダがアメリカで販売した 2003年モデルのアコードに搭載され、
単なるカーナビを超えたドライバー支援ツールとして注目を集めました。
2004年 オンデマンド・ワークスタイル(ODWS)
「お客様中心」を実現する働き方
お客様のニーズを感知し、素早く応えるためには、社員が自律的に行動できる環境づくりが不可欠です。また、お客様に価値の高い提案を行うには、組織を超えたチームを柔軟に編成することも重要です。そうした「お客様中心」の働き方をIBMでは「オンデマンド・ワークスタイル」(以下、ODWS)と呼び、2004年から実践しています。
ODWSには体制やITツールの整備が必要です。具体的には、社員が“必要な時に必要な人や情報にアクセスできる、相談できる”オフィス環境、お客様の状況やニーズに適切に対応できるビジネス・プロセスの変革、そして情報共有やコラボレーションを促進できるITインフラです。
IBMは現在、自ら実践してきたこのODWSのノウハウをお客様にもご提案しています。
2006年 診療報酬請求(レセプト)業務支援サービス(株式会社EMシステムズ)
全国の調剤薬局での処方状況を集計・分析し、感染症の流行探知変化に活用へ
交通網の発達により、ヒトやモノが国境を越え自由に移動できるようになり、便利で豊かな生活が生み出されました。一方、インフルエンザなどの感染症がかつてないスピードで拡大するという状況も生まれており、迅速な情報収集と発生時の早期探知が課題となっています。
医療情報処理システム開発のリーティング・カンパニー、株式会社EMシステムズはIBMとともに、従来独立して運営されてきた日本全国数千の調剤薬局にある処方情報をデータ化し、ネットワークを通して集計・分析する診療報酬請求(レセプト)業務支援サービスを構築しました。この取り組みを基盤として、国内の感染症の発生動向をより速くより広く把握するなど、従来現場の医療レベルでは対応が難しかった人類の脅威に対する新しい知見と対応手段をITの力で提供するものとして期待されています。
2009年 "ファイト!小児がんプロジェクト"(千葉県がんセンター・千葉大学)
ボランティアのPCパワーで小児がん治療薬開発に挑む
小児がんで苦しむ多くの子どもたちを救うため、千葉県がんセンターと千葉大学はIBMと共同で「ファイト!小児がんプロジェクト」を2009年に開始しました。
小児がんの中でも最も治りにくいといわれる神経芽腫の治療に有用な分子標的治療薬を約300万の薬剤候補化合物から見いだすシミュレーションを支えているのが、世界中のボランティアが寄付する、約200万台のコンピューターの“空き時間”を1つに束ね、仮想的に巨大なリソースを作り出す「ワールド・コミュニティー・グリッド(WCG)」です。
WCGの膨大な処理能力を活用することで、従来は数千年を要すると考えられたシミュレーションをわずか2年に短縮。すでに数種類の分子標的治療薬を同定しています。
2017年には、「Smash Childhood Cancer〜小児がんと闘う子どもたちへのITでの支援」として、その調査範囲を神経芽細胞腫だけでなく、脳腫瘍、腎芽細胞腫(腎臓の腫瘍)、胚細胞腫瘍(生殖器系や中枢神経系に影響)、肝芽腫(肝臓がん)、骨肉種(骨がん)といったほかの種類のがんに拡大し、研究チームも海外の大学や医療機関にまで拡大しました。
ニュースリリース ボランティアのコンピューターで小児がんの新たな治療薬探索を支援
2011年こがも保育園
仕事と育児の両立と、子どもの健全な成長を支援
日本IBMは2011年1月、社員の出産・育児と仕事の両立を促進する施策の一環として、0~5歳児を対象とした企業内保育施設「こがも保育園」を本社内に開設しました。
園内には看護師が常駐して、病児保育にも対応するほか、Webカメラで子どもの様子をいつでも確認できるなど、安全・安心のサービスを提供しています。
また、英語教育や幼児教育プログラム「KidSmart」を導入するなど、IBMならではの知育プログラムを充実させています。
こがも保育園をはじめ、長年にわたるIBMのダイバーシティー(多様性のある人材活用)への取り組みは多方面から高い評価を得て、2011年3月には東洋経済新報社「第4回ダイバーシティ経営大賞」を受賞しました。
2015年1月には「こがも保育園」に続き、幕張事業所にも「みつばち保育園」を開設しました。
2013年 浅川智恵子(IBMフェロー)が紫綬褒章を受章
インクルーシブな社会を実現するアクセシビリティ技術
視覚障がい者支援プロジェクトやアクセシビリティー実現のための研究に長年取り組んできたIBMフェローである浅川智恵子が紫綬褒章を受章しました。紫綬褒章は「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者」に日本政府から授与されます。
IBMのアクセシビリティ技術への取組み
2014年 Tokyo SOC(セキュリティー・オペレーション・センター)拡充
セキュリティー人材育成支援サービスも開始
複雑かつ巧妙化するサイバー攻撃への対策が課題となる中、IBMは東京のセキュリティー・オペレーション・センター「Tokyo SOC」を2014年5月に拡充しました。従来の「セキュリティー運用監視サービス」に加え、製品の技術検証やデモなどをビジネス・パートナーと実施する「セキュリティー・ビジネス・センター」の機能、そしてグローバル規模で培った経験や知見を生かして、国内セキュリティー人材育成の研修を開発して提供する「セキュリティー人材開発センター」として機能を拡充しました。
IBMセキュリティー・オペレーション・センターについて
2014年東京にクラウド・データセンターを開設
日本のお客様に高速でセキュアなクラウド基盤を提供
2014年12月、IBMクラウド・データセンターを東京に開設しました。IBMが全世界で展開するクラウド・データセンターの一拠点として、データの冗長性や地域の多様性を強化するとともに、国内での保持が求められている機密データの活用や保管を日本で行うことで、データの保管場所やプライバシーに関する課題にも対応できるようになりました。
世界に広がるIBMクラウド・データセンター
2015年「コグニティブ・ビジネス」の提唱
テクノロジーとビジネスの新しい時代
2015年10月、IBMの戦略を定義する新しいビジョンとして「コグニティブの時代」の到来を提唱。
これまでにない規模で学習し、目的を持って推論し、人と自然にかかわり合うことが可能なシステム「コグニティブ・コンピューティング」の力で、ビジネスが、産業が、そして世界が大きく変わるというビジョンを打ち出しました。
最新のコグニティブ事例はこちらから
2015年 IBM Client Experience Center開設
新時代のビジネスを体感し、ワンストップで討議・共創する新施設
2015年10月、お客様・ビジネスパートナー(BP)様向け施設を本社に集結し、「IBM Client Experience Center(IBMクライアント・エクスペリエンス・センター)」を開設しました。最先端の研究を紹介する「IBM Tokyo Industry Solution Lab」、クライアント・エクスペリエンス(顧客体験)を成長に生かすためのアイデア創出の場となる「IBM Studio」など、新時代のビジネスを知性と感性で体感できる機会を提供しています。
ニュースリリース IBM Client Experience Centerを本社事業所に開設
2016年 日本語版IBM Watson APIの提供開始
IBM Watsonが日本語にも対応
2016年、IBM Watsonを活用した新しいアプリケーションの開発に利用できる6種類のコグニティブ・サービスの日本語版APIの提供を開始しました。
Natural Language Classifier(自然言語分類)、Dialog(対話)、Retrieve and Rank(検索およびランク付け)、Document Conversion(文書変換)、Speech to Text(音声認識)、Text to Speech(音声合成)の6つの機能における日本語版APIの提供によって、開発者はWatsonのサービスを組み込んだアプリケーションを日本語で開発することが可能になり、さまざまなビジネスにIBM Watsonを活用できるようになりました。
2016年 同性パートナー登録制度を施行
多様性がイノベーションの源泉に
社員が安心して働き、能力を最大限に発揮できる環境を整えるための施策の一環として、LGBT*の社員が同性パートナーを会社に登録し、配偶者とほぼ同等の福利厚生を受けることができる「IBMパートナー登録制度」を日本IBM独自で新設、施行しました。思想や文化、人種、性別や出身地など、様々な違いを持つ人材の多様性(ワークフォース・ダイバーシティー)はイノベーションの源泉であり、IBMの強みです。IBMは多様性を持つ社会を支援し続けます。
*LGBT:レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーといった性的指向少数派の総称
IBMのLGBTへの取り組みはこちら