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コグニティブで変わるもの、変わらないもの。IBM中山裕之インタビュー

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2016年5月25〜26日に開催された「IBM Watson Summit 2016」は、1万人以上が来場する盛況ぶりとなりました。世界中で人工知能のテクノロジーに注目が集まるなか、その流れを牽引するのがIBMのコグニティブ・コンピューティングを支える「IBM Watson」(以下、Watson)です。

日本国内でもコグニティブ・ビジネスが着々と進行しています。では、コグニティブ・ビジネスがどんな世界をもたらすのでしょうか。「IBM Watson Summit 2016」の基調講演にも登壇した、日本アイ・ビー・エム株式会社グローバル・ビジネス・サービス事業コグニティブ・ビジネス推進室長パートナーの中山裕之氏に話を伺いました。

中山裕之氏

──2016年5月に開催された「IBM Watson Summit 2016」は、コグニティブ・ビジネス時代の本格的な到来を感じさせる催しでした。参加されたパートナーや来場者の反応をどのように受け取りましたか。

コグニティブに対する期待の大きさを肌で感じた3日間でした。

これまでにIBMが提示してきたコグニティブ・ビジネスは決して未来の話ではなく、アーリーアダプターの方々は既に取り組みを開始しており、多くの来場者様にも、速やかにコグニティブ・ビジネスに取り組んでいくことの必要性を感じ取っていただけたのではないかと考えています。

──今回は実際に動き出しているコグニティブ・ビジネスについてお伺いしたいのですが、そもそもWatsonは「理解・推論・学習するシステムである」と紹介されていますが、具体的にどんなテクノロジーなのか、まずは概論を教えていただけますか。

従来のコンピューティングの世界では、数値や一部のテキストしか理解することができませんでした。

コグニティブの世界では、数値やテキストはもちろん、自然言語、画像、音声、表情、はたまた空気感などもコンピューターが理解することが可能となります。
また、これらの情報を理解するだけでなく、これらの情報をベースに仮説を立てて推論し、この結果を自ら学習していきます。言い換えると、従来のコンピューティングでは、同じインプットを与えると必ず同じ回答が算出されましたが、コグニティブの世界では同じインプットを与えても、その状況に応じて違うアウトプットが導き出されることもあり得るのです。

──構造化データを理解するだけでなく非構造化データも理解することができるのですね?

はい、おっしゃる通りです。

なかでもWatsonが得意とする分野の1つは自然言語処理で、例えば論文なら4,000ページを1秒間で正確に読んでしまいます。文法や文脈を理解し、しかも一度読んだものは忘れない。この領域では人の能力をすでに超えているといっても過言ではありません。
インターネット上のニュース記事、ソーシャルメディアの投稿なども含めると、世の中のデータの80%以上が非構造化データと言われています。構造化データに加えて、これだけ膨大なデータをうまく活用することができれば、もっと価値のあるものを生み出せる。それがコグニティブ・コンピューティングの可能性なのです。

──コグニティブ・コンピューティングの研究開発を前進させる一例として、IBMフェローの浅川智恵子さんのTEDスピーチが話題になりました。浅川さんはご自身が視覚障がい者で、視覚障がい者の行動やコミュニケーションの幅をより広げるための支援技術を研究中とのことでした。


屋外用のナビゲーション・アプリはいくつもありますが、GPSが届かない屋内もスマホを通じて道案内する視覚障がい者向け技術の開発を行っています。今後、たとえば、顔認識技術などの技術を組み合わせ、向こうから歩いてくる人が誰でどんな表情をしているのかを認識、伝達し、それが知り合いであれば相手よりも先に声をかけるといったことがコグニティブの世界では可能になります。

──「非構造化データ」のうち“空気感”を読み取るAPIというのはどういったものなのでしょうか?

現在IBMが提供しているWatson APIには、会話を行う「Dialog」などがあります。私たちは「IBM Watson Developer Cloud」というクラウド上で開発者向けに28種類のWatson APIを公開しており、今後も順次拡大していく予定です。

例えば「Tone Analyzer」というAPIがありますが、このAPIは文章からその文章の「文脈」、すなわち喜んでいる文章なのか、悲しんでいる文章なのかを読み取ることができます。

2016年5月、メトロポリタン美術館のガラパーティー「Met Gala」で、IBMとファッションブランドMarchesa(マルケッサ)とのコラボでつくった「コグニティブドレス」を発表しました。ここに「Tone Analyzer」が使われています。Twitter上で「Met Gala」、もしくは「Cognitive Dress」に関連するハッシュタグの付いたツイートを拾い、それらのツイートが、喜び・興奮・好奇心といった感情かどうかを認識し、それらの感情に応じてドレスの色が変わります。世の中の評判をリアルタイムに把握するドレスと言えますね。

ほかにも「Personality Insights」というAPIもあり、これはその人の発言やツイートを分析することにより、その人の性格や、主に活動する時間を把握することが可能になります。

中山裕之氏

──実際にビジネスシーンではどのように活用できるのでしょうか?

例えば、先ほど説明した「Tone Analyzer」であれば、コールセンターでお客様との会話をテキスト化し、それを「Tone Analyzer」で解析することで、マネージャーがその状況を察知することが可能になり、もし内容がクレームであれば、いち早くその対応をベテランのオペレーターに変えるということも可能になります。
またPersonal Insightを活用し、重要なお客様と担当営業との相性を分析し、担当を決定することなども可能になるでしょう。

──今お話しいただいたように、ビジネスにおけるコグニティブ・コンピューティングの活用はすでに世界中で進行しているようです。国内では2016年2月に三菱東京UFJ銀行が発表した「LINEのQAサービス」が紹介されました。ほかには、どのような分野でコグニティブ・ビジネスの実用化が動き出しているのでしょうか。

この4月にフォーラムエンジニアリング様でコグニティブ・コンピューティングを活用した、Cognitive StaffingTMシステムが稼動しました。従来のマッチングでは、求人企業とエンジニアの方のマッチングに際し、ベテランのノウハウが重要な要素となっていました。
求人している企業の社風や、エンジニアの方の個性も把握しないとベストなマッチングは難しいそうです。そこで、ベテランのノウハウを可視化し、デジタル化することにより、経験の浅い社員でもよりベストに近いマッチングができることを目指しています。
例えば「達成努力」「信用度」「協力姿勢」といった、その人材の内面的な情報――すなわち空気感――をインプットし、加えて、過去の企業と人材のマッチングから「採用がうまくいったケース/うまくいかなかったケース」を併せて分析することで、コグニティブ・テクノロジーがその企業の社風に合った人材をより正確かつ迅速にマッチングしてくれるのです。

──熟練コンサル以上の働きをWatsonが果たしてくれるのですね。

専門的な知識や熟練した従業員のノウハウを形式知化し、誰でも使えるような知識に変えていく。それがコグニティブ・ビジネスの1つの大きな可能性であり、同様に、生命保険の支払査定業務、法律に関連した業務、さらには医療分野などでも実用化が進んでいます。

中山裕之氏

──コンシューマの手にも触れるようなIoTプロダクトの動向はいかがでしょうか?

当然大きな可能性のある分野です。例えば次世代自動車の開発では、Watsonの映像解析の機能を用いて、道路の状況把握や運転手などの表情を読み取ることにより、運転支援システムに活用することが可能になります。

またアメリカで開発された事例になりますが、教育用玩具「CogniToys」もWatson APIで開発されたプロダクトです。子どもの質問にぬいぐるみが答えてくれ、会話を重ねることで学習し、かつ、その子供に応じた問題や回答のパターンも変わっていくというものです。

──IBM Watson Developer Cloudで公開されるAPIの組み合わせにより、コグニティブ・ビジネスには無限の可能性が広がりそうです。世界中の開発者たちと協働する、いわゆるオープンイノベーションの動向にも期待がかかりますが、いかがでしょうか?

イノベーションを加速させるには、従来の自前主義では世の中の変化のスピードについていくことが難しい時代になっています。他社と連携し、オープンイノベーションを実現するエコシステムをどう提供できるかは、これからも重要なテーマでしょう。イノベーションを加速させ、より日本の企業のお役に立ちたいと思っている次第です。

──一方IBMの取り組みとして、コグニティブ推進室やコグニティブ・イノベーションセンターを設立されています。

大きく時代が動いているなかで、コグニティブ・コンピューティングはそれ単体で動かしても構いませんが、既存の生産システム、販売システム、またERPと連携することにより、その可能性は広がるのではないかと考えています。コグニティブ・コンピューティングによってIBMとして一枚も二枚も上の価値をお客様に届けたいと考えており、近い将来IBMのサービスのすべてをコグニティブ化することが究極のゴールだと思っています。

──ところで、コグニティブ・コンピューティングのようなテクノロジーの話題になると、「将来、人の仕事を奪っていく」的な議論が起こりがちですよね。こうした論点について、中山さんのお考えをお聞かせ願いますか。

IBMが一貫して主張していることは、Watsonは人から仕事を奪うのでなく、人に判断する材料を与え、むしろ人の仕事をサポートする立場にある、ということです。

特に日本の場合、少子高齢化は避けて通れない問題で、企業が人材を確保することはより困難になっていくでしょう。さらにホワイトカラーの生産性の向上にも大きく貢献できると考えています。

単純作業を機械に任せていくことは、過去のファクトリー・オートメーションでも起こったことであり、より複雑でクリエイティビティが求められる仕事を人がやる、そんなスタイルに変化していくのだと思います。

中山裕之氏

──これから人に求められる「クリエイティビティ」とは、具体的にどんなものだと思いますか。

Watsonがあれば何でもできると思われる方もいらっしゃるのですが、決してそんなことはないんです。
例えば、Watsonに「次のアメリカの大統領は誰?」と聞いても、答えることはできません。「過去の大統領選挙でどういう状況で誰が勝ったのか」などのデータを教え込んでいけば「今の状況では○○になる確率は○%です」と回答することは可能です。

何が言いたいのかというと、コグニティブ・コンピューティングをきちんと活用していくにはWatsonを学習させることが肝要であり、その学習の精度を支えるのがデータの充実度になります。
人間と同じで、間違えた学習をすれば間違った答えを回答するWatsonになってしまうし、正しく学習させれば賢いWatsonになるのです。

アメリカのジョージア工科大学にはティーチング・アシスタントの1人に「Jill Watson」という名前の女性が居ました。実はこれはWatsonが生徒の質問に回答していたのですが、生徒はそれがコンピューターだとはまったく気づかなかったそうです。学習次第ではここまで実現することが可能になります。

──人とWatsonの適切な付き合い方も考えていかなければいけませんね。

実は「Jill Watson」は確信度の高い回答しか直接生徒に回答していないのです。確信度が高くなかった場合、その質問は本物の先生に届くようになっていまして、先生から生徒に回答するという仕組になっています。

これまで、先生は多くの学生に対するサポートに莫大な時間を費やしていたのですが、「Jill Watson」の導入によって、シンプルな質問は彼女が回答することにより時間に余裕ができ、1人ひとりに対するケアを厚くできるようになりました。この事例は、人とWatsonの理想的な付き合い方を如実に表していると思います。

中山裕之氏

──最後の質問です。何十年先でも構わないのですが、コグニティブ・コンピューティングが広がっていくことで、未来はどんな世界になるのか、中山さんの未来想像図を教えていただけますか。

実際どうなるんでしょうね? なかなか想像するのが難しいですが、「時空を超えた生活」が可能になるかもしれません。例えば、どこか南国の島で生活しながらも、今のように会社の会議に参加したり、メンバーの状況が把握できたり──。また単純作業はすべてコンピューターがおこなってくれて、現在多少犠牲になってしまっているプライベートを充実させることができるかもしれません。本当の意味でのワークライフバランスが実現できたらいいですね。

過去に起こった世界中の技術革新を見ても、テクノロジーによって便利になることで、人が豊かになることは間違いないと思います。その意味で、Watsonで人の生活をどこまで豊かしていけるのか――もっと先の未来を、私も楽しみにしています。