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650年以上の伝統を継ぐ能楽師と考える、先端技術を用いた遺伝子検査と人間の幸せ

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12月2日、東京大学と日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)の協同による3年間の研究プログラム「Cognitive Designing Excellence(以下、CDE)」の2020年度第4回研究会がオンラインで開催された。先端デジタル技術と人文社会科学を融合させ、革新的な社会モデルを日本企業と共にデザインすることをめざして2019年7月から始まった本プログラム。

2020年は芸術や文化に携わる方をゲストに招いて講演を行っている。今回のゲストはシテ方宝生流能楽師の武田伊左氏。武田氏の対談に続いては、「遺伝子検査によって『見える』ことの意味」をテーマに参加者がディスカッションを行った。能楽と遺伝子検査。対局のように感じられる二つの世界を通じて、私たちが理想とする未来は見えてくるのだろうか。

650年以上も人びとを魅了し続けた、能における“余白”の力

ゲストとして招かれた武田氏は、観世流、金春流、金剛流、喜多流と並ぶシテ方の流派である宝生流の武田家の4代目。IBMシニア・マネージング・コンサルタントの柴田順子氏との対談という形でトークは始まった。

武田氏は、1990年、曽祖父の代からシテ方宝生流の能楽師を務める家に生まれ、3歳から稽古を始めて4歳で初舞台を踏んだ。東京芸術大学および大学院を修了後、23歳のときに「吉野静」にて初シテ(主役)を務め、現在は舞台活動だけでなく、5歳から95歳までのお弟子さんに謡(うたい)や舞の指導を行うほか、国内外における公演の主催、ワークショップの開催など、能楽の楽しさを発信する活動にも力を入れている。キヤノン株式会社と協同でボリュメトリックビデオ(撮影画像から3D空間を再構成する技術)を使った映像作品も公開されている。

「能楽師を志したのは武田さんの中では遺伝か環境か」という問いに対して、武田氏は「私は環境が大きいのかなと思っております」と回答。能楽の場合は必ずしも子が継承しなければならないわけではなく、実際に継がない人も多くいるという。逆に、能楽師の家に生まれなくても、学生時代や大人になってから能楽と出会い、能楽師を志して修行を始める人もいる。

「環境は血筋や遺伝に近いのかもしれないですが、私は能楽の家に生まれていなかったら能楽と出会うこともなく、仕事としてもほかの世界を選んでいたと思います。環境にとても感謝しています」(武田氏)

「遺伝子検査を含め、科学は見えないものを追求する。それに対して、能楽は余白や見えないものを見る側が想像して見ようとする芸術だと思う。見せることが全盛になっている現代でも、能楽が人々に受け入れられているのは、あえて見せない“余白”が理由になっていると思いますか」という問いに対して、武田氏は次のように回答した。

「能楽の場合、舞台背景は変わらないので、歌舞伎やオペラ、現代劇と比べると情報量は少ないように見えるのですが、実はかなりの情報量が謡(うたい)に込められています。そんな能が650年以上変わらずに残ってきたのは、やはり余白の力が大きいと思います。何もないように見える舞台からお客様は想像して楽しむ。10歳のときに観た能、50歳で観る能。同じ作品を観てもその方の人生経験によって新鮮に感じることもあると思います。能は現行曲としては200余曲しかなく、曲数は多くありませんが、それでも飽きられないのはそこに理由があると思います」(武田氏)

生と死、足ると不足。能を通して見つめる“境界の曖昧さ”

死生観についても言及した。能楽には死者が登場する作品があり、生と死の二元論とは異なる世界がある。

「能楽が成立した時代は、現代よりも死が身近でした。また、能楽は元を辿ると五穀豊穣などを祈る神事であり、亡くなった方のお弔い、鎮魂にも関わっています。能楽には現実の時間経過に沿って生きている人間が劇を進行する現在能と、霊的な存在が主人公となる夢幻能があり、世阿弥が作った夢幻能という形式の多くは『ワキ』という役者が僧侶や死者を弔う人として登場し、名所旧跡を訪れると、ある人物(主人公)が仮の姿で現れ言葉を交わします。後半はワキが弔いをすると、目の前や夢の中に本来の姿(幽霊)として主人公が現れます。ワキは今で言う脇役と意味が違い、『分ける』が語源となっており、あの世とこの世を分けて両方見える重要な存在となっています」(武田氏)

また、能楽には「侘び寂び」(不足の中に心の豊かさを見出そうとする日本独特の美意識)が取り入れられているとされるが、「能楽において『不足』はどのように考えられているのだろうか」という問いには、武田氏は意外にも「お客様からすると不足があるように見えるかもしれないですけれども、舞台に立っている側からすると足りないと思ったことはないですね」と答えた。

「稽古の過程では幼少期から10代まではたくさんのことを学び、しっかり声を出して動くように指導されますが、20代、30代となり自分の芸と向き合うときには、余計な芸を削ぎ落としていきます。最初から70代、80代の名人の芸を真似するなと言われるんですね。名人の芸は長く能をする中で削ぎ落とした結果としてできあがったものだからです。舞台に立つとどうしても『こう見せたい』という気持ちが出てしまう瞬間があります。しかし、それは余計なもの。見せたい芸が無の境地で出せることが一番いいと思います」

分子レベルの解析による遺伝子の“見える化”が実現した個別化医療

第2部は「遺伝子検査によって『見える』ことの意味」をテーマにしたディスカッションが行われた。初めにホスト役となっているコニカミノルタ株式会社 専務執行役 ヘルスケア事業本部長 兼 プレシジョンメディシン事業部長であり、Konica Minolta Precision Medicine,Inc. 会長 兼 CEOの藤井清孝氏が、医療としての遺伝子検査とはどういうものか、本日の議論に対する思いを語った。

「武田氏のお話を聞いて、余白は観客の方の想像力と実際に舞台に立っておられる方々の共創であり、観客の意識が高まっているかどうかで違う世界になると私には理解できました。このお話を医療に落とすと、たとえばお医者さんがレントゲンの写真を見たとき、経験を積んだお医者さんと新人のお医者さんでは解釈がかなり違う。何千枚、何百枚も見ているお医者さんであれば、病変を示していると経験的にわかる。なので、経験を積んでいるお医者さんの方が正しい答えにたどり着きやすい。その差を埋めるのがデータなのです。データを蓄積し解析することで因果関係をより精緻に見られるようになり、その情報を提供することで、経験の有無に関わらず、どのお医者さんも同じ診断ができるようにすることができます」(藤井氏)

人間の細胞には2万種類以上の遺伝子が含まれており、それぞれの遺伝子に特有の機能がある。コニカミノルタ社の事業では、「人体の設計図」とも言われる遺伝子の診断、人体の構成材料であるタンパク質の精密定量技術、完成品である臓器の画像解析技術まですべて分子レベルで診断し、データを蓄積して解析。そのデータを基に、製薬会社が進める新薬開発の成功率を上げるとともに、個人の特性を加味した予防、治療、投薬を行う「個別化医療」が可能になる。

「遺伝子は、見えすぎる、自分が知りたくないことまでわかることがあります。その一例が妊婦の血液中の遺伝子を解析することにより、胎児のダウン症(21トリソミー)などの染色体疾患がわかる新型出生前診断(NIPT)です。欧米では35歳以上の妊婦のほとんどが受けていますが、日本では比率はまだ低い。この診断は国民性や倫理観など、遺伝子が提供する現実的な問題を問いかけている」と藤井氏は言う。

藤井氏による話の後、Zoomのブレイクアウトセッション機能を使いながら、計8チームに分かれてディスカッションが行われた。チームごとに特色ある意見が出るように、メンバーは年齢、文系・理系などの属性が近い人同士があえて同じチームになるように構成。

「適切な遺伝カウンセリングが整備され、理想的な『遺伝子が見える世界』があったとして、遺伝子データとどう付き合うのか?」「『遺伝子が見える世界』での個人の幸せとは、社会の幸せとは? また『遺伝子が見える世界』を前提にした望むべき幸せの阻害要因とは?」という大きく2つの設問について議論した。

遺伝子の見える化が提起する哲学的、倫理的、法律的な問いかけ

45分間のグループ別議論の後、それぞれのグループが結果を発表した。

「遺伝子検査をするかしないか、どの情報を知るか知らなくていいかは個人が選ぶべきことだが、その情報が差別につながらないよう倫理や法整備、教育によるリテラシーの向上も重要」といった主旨の意見が、50代文系チーム、30代理系チーム、40代理系チーム、学生チームから発表された。加えて50代理系チームからは、「遺伝子の情報は生まれつき決まっているものなので知りたいという気持ちはあるが、対処法がなければ不幸になる。対処法があれば幸せにつながるので積極的に受け入れたい」という意見があった。

加えて、次のような意見もあった。

「遺伝子がわかることで死に方の選択肢も増える。たとえば、今病気を克服するのか、あるいは克服しないのかも含めて選択できる。自然に任せるだけでなく自分の生き方、死に方を選べることは幸せの一つではないか」(50代文系チーム)

「将来決まったゴールをめざして効率的に進むときに、遺伝子情報は役に立つが、迷うことも大事な人生のプロセスであり価値があるのではないかという意見があった。その一方で、ゴールは決めても変わっていくものだから武器として遺伝子情報を知ることもいいのではないかという意見もあり、それについて結論は出ていない」(50代理系2チーム)
「幸せとは自分らしく生きることだとよく言われます。自分らしく生きるために努力するわけですが、今は正解がわからない中で努力をしなければいけない。遺伝子がわかれば自分の最適解がわかる。ある程度、ポジティブなことだと思います。一方で、セレンディピティ(偶然の出会い)やその喜びはなくなってしまう」(20代・40代文系チーム)

複数のチームから懸念点として挙がった「遺伝子を知って対策は取れるのか」「法整備が必要ではないか」については、藤井氏が次のように補足。

「我々が進めようとしている遺伝子検査は、ミッションクリティカルなこととアクションが取れることが大前提です。たとえば、ある臓器のガンにかかり治療法がない患者様が、その方と同じ分子レベルに層別されている別の患者様の違う臓器に効果があるとされている薬が効くかもしれない。そういった遺伝子情報を知ることで手が打てる場合でないと我々は検査を行いません。お酒が強い、足が速いといったことについては科学的な信憑性がまだありませんし、知ってもアクションが取れずに心配ばかりあおってしまう。また、自分が知りたくないデータも取れてしまうことは遺伝子解析の一つの性質ですが、必ずしも自分が知る必要はなく、匿名化して製薬会社や国の機関にデータを預けることによって新しい治療法に役立てることもできる。自分が直接の受益者ではなくてもリサーチのためにデータを提供することに意味があります。米国では、遺伝子情報を基に保険の加入や就職などで差別をしてはならないという法律があり、それを説明するカウンセリングのインフラもあります。責任の持てる体制、検査や結果の利用法を問える企業や組織でなければ、この検査は行ってはならないと考えています」(藤井氏)

遺伝子という固有かつ変えることができない事実に向き合ったとき、どのように感じ、対処するかは実に深い問題である。

武田氏は「私自身は能楽師の家には生まれたけれど、能楽師には不向きな性別(まだまだ少数派だという意味で)、女性として生まれました。不向きであると知ったうえで選ぶということも大いにあるのではないでしょうか。医療に関しては違うことが言えるかもしれませんが、文化の面では得手不得手に左右されず、自分の努力によって超えられるものがあるのではないか。そこを通過したからこそできることがあるのではないか。私自身はそう信じてこの道に進んでいます」と語った。

東京大学大学院工学系研究科准教授の小渕祐介氏からは、「病気、身体障害イコール不幸なのでしょうか。たとえば、ダウン症の子どもとその家族は必ずしも不幸ではなく、生きる難しさに直面するからこそ人生の目的を明確にしているとも言えます。健康だから言えることかもしれませんが、健康イコール幸せとは、必ずしも言えないのではないかと思いました」という感想があった。

藤井氏は「病気だから悪い、悪くないという話ではなく、それが起こる前に情報を提供することにより自分で判断できるようにするという位置づけであり、結果を誘導するものではないのです」と説明。小渕氏は「議論の中で、情報を知って産まない選択を取ったほうがいいという意見も聞こえてきたので、すべてをコントロールすることに対しての恐ろしさを感じました」と指摘すると、「男女の産み分けといったクリティカルでない分野でのコントロールにもつながるので、その線引きは大事だと思います」と藤井氏も同意した。

IBM CDE統括エグゼクティブの的場大輔氏は「全部に答えが出るというものではなく、問題提起が一義的な目的」と意見を述べたとおり、多くの参加者は考えれば考えるほど答えの出ないテーマに向かうことになった。

最後に、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授の中尾彰宏氏と、東京大学名誉教授で中央大学国際情報学部教授の須藤修氏が総括としてそれぞれの見地から意見を述べた。

「カリフォルニア大学サンディエゴ校のLarry Smarr先生から、遺伝子解析を用いたプレシジョン・メディシンという話を聞いたのが10年前。彼らはスーパーコンピューターを使って、約2万3000個のヒューマンゲノムのほか、病気の原因となっている微生物や体の働きを助ける微生物100万種類以上の遺伝子の解析を行い、データを蓄積すれば個別化医療ができるのではないかと言っていました。想像を絶する特異点を迎えようとしているわけですが、そこには必ず倫理と権利、法整備が追いつかないといけない。技術、データに対して倫理はちゃんと追いついているのか。この点をCDEで考えていく必要があるのではないか」(中尾氏)

「遺伝子情報は信用スコアに結びつけてはいけないと言っていますが、実際に中国では政府がソーシャルクレジットスコアといって全人民をレイティングし、その評価によって政府の援助などを決定する構想を実現しようとしています。中国は遺伝検査が盛んで、自分の子どもを幸せにするために、遺伝子で適合的な職業を選んだほうがいいと判断する。そうすれば中国政府からの援助も受けやすい。しかし、そのような社会がいいのかどうかをCDEで本気で考えないといけない。なお、遺伝子をすべてのことを決定してしまうように決定論的に考えてはいけない。エピゲノム・メカニズム研究の成果で明らかにされているように、発現する遺伝子と発現しない遺伝子があり、ヒストンテールを修飾するメチル基やアセチル基のあり方が形質発現にとって極めて重要である。遺伝子の研究を誤解してはならないので、あらためてこの点を注意しておきます」(須藤氏)

まだわからないことが多い遺伝子だが、技術革新のスピードに遅れを取らないよう、倫理、哲学、法律の面でもピッチを上げて検討していく必要がありそうだ。