S
Smarter Business

「農業×デジタル」の可能性 フード・バリュー・チェーンの未来とは

post_thumb

農林水産省_信夫

信夫隆生 氏
農林水産省
大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官 兼 公文書監理官

農業のデジタル・トランスフォーメーションの実現に向けた政策や組織の業務見直しを統括。デジタルの力で消費者に新たな価値を創造・提供できる農業(FaaS)の実現を目指す。早稲田大学法学部卒。独・ゲッティンゲン大学法学修士。2019年7月より現職。

クボタ_辻村

辻村克志 氏
株式会社クボタ
イノベーションセンター ビジネスインキュベーション室 室長

高知大学卒業後、米国留学を経て1993年シャープ株式会社入社、海外事業を担当。2013年株式会社クボタに入社。新規事業企画部門、水環境インフラ事業部門を経て2018年9月より機械事業開発室長、2019年6月より現職。国内、米国の農業分野を中心に、オープンイノベーションを活用した新規事業企画に取り組んでいる。

IBM_岡村

岡村周実 氏
モデレーター
日本アイ・ビー・エム株式会社 ビジネスシンクタンク日本リーダー 兼
事業戦略コンサルティング・グループ パートナー

日本企業・政府部門の成長戦略に係るコンサルティングを担当。先端テクノロジーや官民・異業種連携により、新たな産業の創生を図るプロジェクトを多数支援。慶應義塾大学卒。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 行政大学院 および パリ政治学院 公共政策大学院の修士課程修了。

少子高齢化や過疎化に伴う農業人口の減少、土地の取得や農機具の購入など新規参入のハードルの高さ、後継者の育成など、課題が山積している日本の農業。

その課題を解決するべく、さまざまなプレイヤーが、IoTやロボティクス技術を取り入れたスマート農業やデジタルプラットフォームの構築に乗り出している。鍵となるのは、新たなバリュー・チェーンの創出だ。そのためには、生産現場だけでなく、流通、小売、輸出、そして家庭の食卓までを網羅したデジタル・トランスフォーメーション(以下、DX)が必要となる。

農林水産省において農業政策のDXをリードする信夫隆生氏と、生産現場のDXの普及に取り組む株式会社クボタ(以下、クボタ)の辻村克志氏、日本アイ・ビー・エムの岡村周実氏が、農業のDXの方向性を示しながら、具体的な取り組みについて語った。

 

課題山積みの日本の農業。デジタル変革は必須

信夫_辻村_岡村

岡村 農業人口の減少や新規参入のハードルの高さ、後継者の育成など、さまざまな課題が聞かれる日本の農業ですが、現状をどのように捉えていますでしょうか。

信夫 日本の農業は、長らく構造的な問題として小規模零細であることが指摘されてきました。「構造改革」と言えば、そこには必ず農地を意図的に特定の農家に集めて大規模化していこうというニュアンスが含まれていたと思います。

ところが現状を見ると、もうそういう時代は終わりかけています。リタイアを控えた高齢農業者の方々が、ご自身の農地を地域の他の農業者に引き継いでほしいと願うような状況、つまり農地が集まってくる状況になってきています。

現役の農業者の方々がそれを預かれば大規模化が自ずと進んでいくわけですが、この場合、農業者の数が減少する中で、これまでの人手をかけた労働集約型の農業のやり方ではうまく経営できません。農地も預かれない結果、耕作放棄地が増えていくことにもなります。この状態を改め、テクノロジーを使ってより効率的に品質の高いものを生産していく農業に変えていかねばならない。そこで役に立つのがデジタルの力ではないかと私たちは考えています。

岡村 農林水産省では、農業のデジタル化に関してどのような取り組みをされていますか。

信夫 2019年6月に、総理大臣を本部長として設置されたIT総合戦略本部において、農業のDXのコンセプト (PDF, 755KB)を発表しました。また、10月から11月にかけては、具体的なプロジェクトを盛り込んだ「農業のデジタルトランスフォーメーション(DX)について」 (PDF, 2MB)というペーパーを審議会や政府与党の会議で説明したところです。

岡村 「農業のデジタル・トランスフォーメーション」ですべきこととは何でしょうか。

信夫 取り組まねばならないことは大きく三つあります。一つは農業の現場のDX。これはクボタさんのような企業と連携して、スマート農業技術の実装を進めていくことになります。

二つ目は農林水産省自体のDXです。たとえば農業者の方に何かの補助制度を申請してもらうのに、外にはデジタル化を進めようと言っておきながら、自分たちは相変わらず紙の書類に記入を求めるような状態ではいけない。我々の職場は農業の現場とつながっていることを意識しながら、現在、農林水産省全体でデジタル技術の活用を前提とした業務の見直しに着手しています。

三つ目がインフラ整備です。デジタルの力で農林水産省と農業の現場をつなぐ基盤を作ります。たとえば政策情報を伝えるアプリを作る、補助金や交付金の申請などをオンライン化して利便性を向上させる「農林水産省共通申請サービス」を提供するといったプロジェクトを進めています。

農林水産省_信夫

岡村 農林水産省の取り組みに合わせるように、クボタのような企業もDXを進めていますね。

辻村 農業という領域は、今までは経験と勘の世界でした。しかし、足元を見るとデジタル化の波というのは確実にやってきていて、AIやIoT、ICT技術は不可欠になっています。そこで弊社では社内にイノベーションセンターを立ち上げて、自社の事業はもちろん、農業の世界のデジタル化をスピードアップさせることにしました。

イノベーションセンターの仕事は事業や製品サービスの企画ですが、これまでと違うのは、その実現手段として社内のリソースだけでなく、社外にあるさまざまなデータやリソースを取り込んで形にする点です。目指しているのは自社だけでなく農業におけるオープンイノベーションで、いろいろなプレイヤーが参入し、それぞれが持つ価値を形にできるプラットフォームを構築したいと考えています。

 

農業の生産現場が抱える三つの課題

岡村 まさに官民を合わせた農業のDXがスタートしたという印象を受けます。実際のところ、生産現場では具体的にどんなことを進めていけばいいのでしょうか。

農林水産省_信夫

信夫 私が思うに、現場では課題が大きく三つほどあります。一つ目は科学的な農業が十分に広がっていないこと。二つ目はバリュー・チェーンがつながっていないこと。そして三つ目は農産物のブランディングが十分にできていないこと。これがために農業者に利益剰余が生まれず、新しい事業や技術の導入に対して十分な投資ができていません。

一つ目から考えてみます。これまでの日本の農業は年季が物をいう仕事でした。一年一作の中で培われてきた技術は世界と比較してもレベルが高く、非常に美味しいものが作られています。たとえば、私たちが普段から食べているような大きくておいしいりんごは他の国では見られませんし、鶏卵などもサルモネラ菌を心配せずに生で食べることができます。このように高い技術がありながら、特定の個人や組織の中に、属人的な「熟練の技」として留まっています。

もしこれらの技術を、データを取得して再現することが可能になれば、高品質な農産物の生産をより確実に次の世代につなげていけます。もちろん、農産物は工業製品と違って気象条件や土の質に左右されます。しかし、それらの要素も含めてビッグデータとして活用することで、これまで以上に高品質な作物が安定して生産されるようになると思います。

二つ目のバリュー・チェーンについては、農業者と消費者のそれぞれが感じている価値を情報として共有できるような仕組みが必要です。現在の流通ルートは全国各地で生産される農産物を必要な量だけ消費地に配分するため必然的にできたものです。ただ、その結果、農業者と消費者との距離が実際の距離以上に遠くなってしまいました。

農業者がその農産物をどんな想いで、何にこだわって作ったか消費者には見えないし、消費者が何に重きを置いてその作物を買っているのか、場合によってはいくらで買っているのかも農業者に伝わっていません。そこで、お互いにとっての価値をうまく情報として伝える仕組みをデジタルの力で構築したいと考えています。

三つ目は、ブランディングについてですが、二つ目の課題への取り組みとも関連します。例えば、今の季節、スーパーに行くとみかんが同じ価格で山ほど売られています。消費者が判別できるのはせいぜい産地くらいで、コモディティ化が進んでしまっています。デジタルの力で、農業者の消費者への想いやこだわりが伝われば、消費者もどれを買うべきかがもっと意識できるようになるのではないでしょうか。

ここで言いたいのは、農産物のブランド化ではなく「ブランディング」です。産地で区切り、改めて商品名を付けて一方的に売り出すだけでなく、消費者のニーズに合わせて訴求するべき要素を見出す。そしてその要素を他の商品との差別化のポイントとして育て上げ、消費者に伝えることです。

ブランディングを進めて価値を際立たせることで売上も伸びるし、新しい投資もできる。こういった取り組みが進んでいけば、究極的には、特定の農地や農法で収穫される農産物を求める消費者向けにカスタマイズされて、生産現場が各家庭の食卓と直接つながるような世界が実現できるかもしれません。

岡村 これまではバリュー・チェーンと言えば、いわゆるサプライチェーンを指していて、農業を含めてあらゆる業界がいかにコストを削減して最適化された商品を消費者に届けるかに注力してきました。農業のDXでは、それにデマンド(消費者)側が求める ものをプラスする、「デマンド・チェーン」とでも言うべきものが生み出されていくことになります。

日本IBM_岡村

辻村 農業で難しいのは、さきほども出た「技術の継承による再現性の向上」だと思います。工業製品ならば同じスペックのものはいくらでも作れますが、作物は違います。厳密に言うと一個一個が個別のものです。仮に品質の再現性が高まったとしても、均質化が進みすぎると、カスタマイズやデマンド・チェーン化とは違う方向に向かってしまう。その辺りが注意したいところです。

信夫 ご指摘のとおり、単純に「再現性を高める」というと、それこそがコモディティ化の道ではないかと言われることがあります。ただ、ここが農業の面白いところで、その土地が持っている力、あるいは生態系というものがあります。この技術を用いれば同じものができる、というのは同じ土地の中での再現性の話であって、同様の技術を他の土地に持って行っても同じ品質のものはやすやすとは作れません。他の産地では代替できないものを作ることでコモディティ化は避けられると思っています。

 

テクノロジーを駆使した“農業カルチャー”のアップデートが鍵

岡村 DXによって農業者の利益が増えていけば、農業のイメージもアップしそうですね。

辻村 農業を憧れる職業にしなければならないし、我々はそうしたいと考えています。そこに向けた取り組みの一つが自動化です。農業というと土にまみれて汗を流すといったイメージが強いですが、実のところ経営感覚やビジネスセンスが要求される仕事です。自動化によって肉体労働を機械に任せられるようになれば、生産者はもっと経営に専念できる。ひいてはそれが農業のイメージを変えることにつながると思います。

クボタ_辻村

信夫 ここ4、5年、新規就農者の内訳を見ると40代以下の若い人たちが毎年2万人程度就農しています。しかも、そのうち2000人から3000人ほどの方が、親が農業を営んでなくても、新規で参入してきています。もしかすると、若者が農業に対して希望のようなものを持ち始めているのかもしれません。

それともう一つ注目したいのは、農業ベンチャー、アグリテック 企業が増えてきていることです。そこに入ってくるのも、農学部出身者だけではなく情報工学を勉強された方々であったりします。こういう動きを見ても、農業とデジタルはけっこう相性がいいのかもしれません。

実際、工学系のバックグラウンドがある農業就業者の方々は、プロセス・エンジニアリングというか、生産工程を分割し、効率化可能な部分はどこかを一つひとつ考えています。少しでも非効率な部分はすぐに改善するような柔軟性を持っています。

岡村 そういった新しい農業者の方々からオープン・ソサエティーみたいなものが立ち上がって、そこに自分のプロセスやアルゴリズムを公開してみんなで共有しますといった世界になるかもしれませんね。

信夫 そのためにも今の現場には変化を受け入れる姿勢やマインドがほしいと考えていますが、これが難しい。やはり長くやっている方は慣れ親しんだやり方を変えることに抵抗があるケースが多いのも事実です。また農家は大半が家族経営ですから、失敗したら一家の生活が危機に瀕してしまう。今のやり方である程度やれてしまっていると、リスクを取って新しいことに着手できないのです。

たとえば、我々がいくら「スマート農業をやりましょう」と声をかけても、「それをやるための機械は高いのでしょう」と言われてしまう。農業のDXを進めるには、農家の経済的負担を減らすために農機のシェアリング・サービスのようなものも必要だと感じています。

信夫_辻村_岡村

辻村 かねて、一部の農家の方々はお互い競い合うように農機を購入されていましたが、最近はシェアリングなどの社会のトレンドが農業の世界にも入ってきているように感じます。課題があるとしたら、同じ地域で同じ作物を栽培していると収穫時期が重なってしまう点です。ここでも不可欠なのがデジタルの力で、IoTでトラクターなどの農機がいつどこでどんなふうに使われているかというデータが集まれば、効率的なシェアリングが可能となるはずです。

岡村 農機本体はもちろんですが、その農機を使うための技能、あるいは土の状態やその年の天候などの情報もシェアリングできれば、さきほどの話にもあった再現性を高めるといったことにつながりそうです。

辻村 農家の方々の頭の中にだけあって、自分では言語化できなかった感覚的な技術を、機械がデータ化、見える化してくれる。そうなればその方しか知らなかったものが何世代にもわたって受け継がれていくし、違う場所に住んでいる方にも共有できる。従来の産地の違いだけではなく、作り方やノウハウでのブランディングも可能になります。

 

農林水産省とクボタのデジタル変革がもたらした、農業変革の兆し

岡村 実際のところ生産現場ではデジタル化によってどんな変革が起きているのか、農林水産省でご紹介いただける事例があったらお聞かせください。

信夫_岡村

信夫 茨城県の稲作経営の例では、150ヘクタールという広大な水田を1台の機械で作業管理しています。150ヘクタールといえば水田の数にしたら数百枚になります。これだけの規模ですと普通は田植え機もコンバインもそれぞれ数台は必要ですが、この農場ではスマートフォンで遠隔操作できる自動給水システムや圃場(※注1)管理システムを導入し、収穫時期の違う米を作ることで農機を効率よく運用しています。生産コストは全国平均の約半分です。

そこではもともと家族3人で16ヘクタールの農地で経営していたのですが、周辺の農業の担い手が減少し、それぞれの家が持っていた農地を預かるうちに150ヘクタールまで拡大していったそうです。これだけの規模を経営していくにはしっかりしたコンセプトが必要です。「おいしくて、安全で、求めやすいお米を直接消費者へ」というコンセプトがあります。そのためのコスト削減に取り組んでいたら、自然と現在のスマート農業の形になっていったという経緯があります。

酪農では、北海道に五つの酪農家が集まって法人化した会社の例があります。授乳ロボットを導入して省力化と効率的な飼養管理を実現しています。乳質の異なる牛たちを個体管理して、それぞれに適した飼養管理を行っているところが特徴になります。

(※注1)圃場(ほじょう):
農産物を育てる場所のこと。農産物を限定せず、いずれの作物の場合でも使用可能。植物に限らず、牛を放牧する場所など畜産関係で使用されるケースもある。

岡本 ひとくちに農業のDXといっても現場によっていろいろな方法があるのがわかりました。最後に農林水産省、クボタのそれぞれで推進している取り組みについてご紹介いただけますでしょうか。

信夫_辻村_岡村

信夫 共通申請サービスや政策情報発信アプリの他に、農地情報管理へのデジタル地図の活用などがあります。農地情報は、市町村の農業委員会や地域農業再生協議会、農業共済組合といった施策ごとの関連機関により別々に収集・管理されていて、事務負担も大きなものがあります。それを、デジタル技術を使って一元的に管理できるようになれば各機関の負担を減らすことができますし、将来的には地域の担い手への円滑な経営継承などへの活用も期待できます。

他にも農山漁村での地域資源を活用した起業を支援するプラットフォームの構築や、ドローンや自動走行トラクターをはじめとする様々な省力化機械など最新技術を現場に実装するためのプログラムの実行など、多様なプロジェクトを進めていきます。

辻村 弊社はこれまで米づくりの世界で一貫して体系を作り上げてきました。デジタル化という点では、「KSAS」というパソコンやスマートフォンを用いて、圃場管理や肥培管理、作業進捗管理ができるシステムを農家の方々に提供しています。

ただ振り返ると、これまでは農業の生産から販売までというプロセスの中の一部分でしか貢献できていなかった。今後はその幅をもう少し広げて、より多くの情報を農家の方々 にお届けしたいと考えています。