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IBM 100年の軌跡
 
 

歩み続けるIBMの100年の軌跡 - Icons of Progress

IBMは、1911年に、秤やタイム・レコーダー、会計機などを製造していた小さな会社から始まりました。 それから、お客様と歩み続けて1世紀。おかげさまで、今や世界で40万人の社員を抱えるグローバル企業となりました。 創立以来の100年の歴史の中で誕生した数々の物語は、お客様との軌跡であり、後に人々の仕事や生活の在り方を大きく変える、リスクや教訓、発見に満ちた物語なのです。 そしてまた同時に、科学への信念、知の追求、そして力を合わせることで世界をより良くすることができるのだというわれわれの信条の象徴でもあります。(以上すべて、2011年現在での記述)

 

社会とともに歩み続けた100年

  • 企業よ、信念をもて

    企業よ、信念をもて

    企業の文化は一般的にトップダウンで浸透していきますが、C-T-R社として設立され、後に社名が変わっても、IBMは他社とは違う方法で企業文化を築き上げてきました。IBMは、社員の共通認識であった世界市場におけるIBMの立ち位置と、そこに到達するためには何をすべきかを中心として、意識的にボトムアップで文化を築き上げてきました。これが創立以来100年もの間、IBMの成長を支えてきた活力だったのです。IBMのCEOサム・パルミサーノは2003年に、「ValuesJam」と呼ばれるオンライン・ディスカッションのイベントを3日間に渡って開催し、世界中のIBM社員から会社の価値についての意見をオンラインで求めました。驚くべきことに、集まった意見は1914年にトーマス・ワトソンSr.が社員に求めたものと共通点が非常に多かったのです。
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  • 持続可能なカカオ

    持続可能なカカオ

    IBMは最近、チョコレート・メーカーMars社と米国農務省農事試験場の協力の元、栄養価が高く、生産量が多く、枯れにくい上に、味も格別なカカオ豆を作り出すという目的で、カカオ豆のゲノム配列の初期解析を完了しました。このプロジェクトは、世界のカカオ豆のおよそ70%を生産している西アフリカのカカオ豆生産者にとっては、画期的な科学的偉業とも呼べるものです。このプロジェクトは、IBMが高度なテクノロジーを、持続可能な食糧資源の供給に直接役立てているという一例です。
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  • 映画の歴史を後世に遺す

    映画の歴史を後世に遺す

    今残り少ないフィルムの在庫と共に、世界の映画の歴史も急速に消滅しつつあります。IBMは映画の歴史を守るべく、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、並びにThe Film Foundationと協力して、歴史的な映画のデジタル・アーカイブを作成しています。またIBMは今日のインターネット上で広く使われている動画にも実は関わっています。というのも、1990年代初期にエンコーディング/デコーディング標準を開発し、映像のデジタル化を可能にしたのはIBMだからです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • Deep Blue

    Deep Blue

    1980年代中頃、カーネギー・メロン大学の博士課程の学生、マレー・キャンベルとフェンション・シューの2人は、人間のチェス王者を打ち負かすことができるチェス・コンピューターの開発に取り掛かりました。IBM研究所はこの2人の研究者を迎え入れ、チェス専用スーパー・コンピューター「Deep Blue」の開発に必要なリソースを提供しました。1997年の歴史的な対戦の末、Deep Blueは当時のチェスの世界チャンピオンに勝利した世界初のコンピューターとなりました。ニューヨーク・タイムズは「IBMのコンピューターDeep Blue、一時的にせよ、小気味よく容赦ない戦法で人間からチェス・チャンピオンの座を奪う」と報じました。数年間の空白期間を経た後、IBMのDeep Blueはスーパーコンピューター界に革命をもたらしました。
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  • セル・ブロードバンド・エンジン

    セル・ブロードバンド・エンジン

    ゲームはシリアスなビジネスです。2000年、ソニー・グループと東芝は、電力効率とコスト効率が共に優れており高性能で、かつ、最もニーズの高いゲーム・システムを含む幅広い用途に対応したエンジンの開発を目指すと発表しました。その5年後、IBM、ソニー・グループ、東芝は合同で、セル・ブロードバンド・エンジン・マルチコア・テクノロジーの開発に成功しました。今日、セル・ブロードバンド・エンジンは、ソニー・プレーステーション3をはじめ、東芝REGZAテレビ、ソニーのビデオ制作機器、IBM BladeCenter QS20、QS21およびQS22サーバーや、世界で最も電力効率のよいスーパーコンピューターの一つであるIBM Roadrunnerにも使用されています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 未開の深海調査

    未開の深海調査

    1965年当時、IBMの通信システムは、世界初の海底コロニーで調査を進めていた潜水技術者と地上とをつなぐ唯一の通信手段でした。著名なフランスの海洋探検家ジャック・クストーが率いていたこのプロジェクトは、水中犯罪捜査や、35,000フィート海中に沈んだ化合物の微物分析をはじめとする、IBMの海中調査の目玉プロジェクトでした。
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  • テクノロジーを活用した文化遺産保全

    テクノロジーを活用した文化遺産保全

    1940年代後半のパンチ・カードを使用したデータ処理にはじまり、今日の仮想世界の構築まで、IBMは古代の言語や文化を保存、記録、そして場合によっては再現することで時間と距離を埋めるお手伝いをしてきました。IBMはロシア、スペイン、インドネシア、米国、イタリア、中国、エジプトの団体が進めている数々の文化遺産保全プロジェクトに協力しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • レーストラック・メモリー:データ・ストレージの未来

    レーストラック・メモリー:データ・ストレージの未来

    IBMの研究者スチュアート・パーキンは、2004年頃にレーストラック・メモリーの開発に着手しました。パーキンは、それぞれが数百個の原子で構成された、磁性物質でできた高層ビルのような物体が何本も立ち並ぶ装置のアイデアを思いつきました。高層ビルの各フロアにはデータが1ビットずつ格納されています。このテクノロジーは、電子の回転を利用してデータのビットを操作し、まるでレース場を走り回っているかのようにデータを列に沿って上下に高速で動かすというものです。商用化されるまでには数年かかる見込みですが、完成すれば、現在のディスク・ドライブに代わる、超小型で超省エネの大容量記憶装置が誕生することになります。携帯端末に映画数本分のデータを保存できるようになるばかりか、バッテリー1本で数週間の連続使用が可能になり、また実質的にメモリーのクラッシュが発生しなくなります。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 数学や科学の大衆化

    数学や科学の大衆化

    20世紀中頃、IBMはチャールズ・イームズとレイ・イームズと協力して、のちに数学や科学の概念を広く世界に浸透させたきっかけとなった映画の制作やデザイン展示会の開催に携わりました。インタラクティブな展示会「マセマティカ」の開催や、映画「Powers of Ten」の制作などの功績はいずれも、文化的、歴史的偉業として今も称えられています。IBMは楽しい科学コンテンツを紹介するウェブサイト「TryScience(トライサイエンス)」や「Transition to Teaching」をはじめとする取り組みを通じて数学と科学の啓蒙活動を続けており、定年後の社員の数学・科学教師への再就職支援ともなっています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 音声認識技術の開拓

    音声認識技術の開拓

    1962年のシアトル世界博覧会にて、IBMは当時世界で最も高性能であった音声認識システム「シューボックス」を展示しました。このシステムは、ゼロから9までの数字のほか、マイナス、プラス、小計、合計、偽(false)、オフなど、16語を認識することができました。マイクを通してシューボックスに簡単な計算式を問いかけ、答えがプリントアウトされるたびに、IBMパビリオンでは訪れたお客様から驚きの声が上がっていました。画期的なシューボックスの発明の後、演算処理能力の驚異的な伸びの後押しもあり、IBMの音声認識技術はさらに加速しました。音声認識技術の発達により、視覚障害や運動障害などの障害を抱えた人々によるコンピューターの活用は飛躍的に進みました。今日では、音声認識は幅広く活用されており、語彙や精度も圧倒的に向上しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • スピントロニクスの応用

    スピントロニクスの応用

    IBMはスピントロニクスと呼ばれる新しいテクノロジーの研究とその応用に意欲的に取り組んでいます。スピントロニクスとは1996年に「スピン」と「エレクトロニクス」から生まれた造語で、電子の量子機械的性質である「スピン」を利用するテクノロジーです。スピントロニクスの物理特性によってデータ保存容量が飛躍的に増加し、また量子コンピューティングの研究が大きく前進する可能性を秘めています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • ナノテクノロジー

    ナノテクノロジー

    今日のコンピューター端末は画期的なチップ・テクノロジーの上に成り立っています。チップは小型化だけでなく、同時にその性能も向上させる必要があります。IBMのナノテクノロジー研究はチップ・テクノロジーだけではなく、ナノレベルでDNA鎖の配列を決定し、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)感染症の治療を可能にするナノ構造を作り出すなど、医療分野への適用も進んでいます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 営業のプロフェッショナル集団

    営業のプロフェッショナル集団

    トーマス・ワトソンSr.は競争力の強化には優秀な営業チームの育成が不可欠であると考えました。1914年にIBMの前身であるC-T-R社に入社し経営を任されてすぐ、彼はドレスコードや禁酒制を導入すると共に、ハンドレッド・パーセント・クラブを設立し、営業目標達成率100%を奨励しました。1920年代にはエンディコットにユニークな営業スクールを設立しました。成績優秀な学生のみを採用し、6週間の集中営業研修を受講させることで、IBM営業チームのプロフェッショナル・サービスの圧倒的なレベルの高さと、信頼関係に基づいたお客様との関係構築は世界的に知れ渡りました。
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  • ストリーム・コンピューティングの実現

    ストリーム・コンピューティングの実現

    IBMは2009年にストリーム・コンピューティング・ソフトウェアを発表し、リアルタイム・データ・アナリティクスに革命をもたらしました。ストリーム・コンピューティングとは、高度なアルゴリズムを用いていくつもの“飛び交っている”データを取得し、ほぼ瞬時に分析結果を意思決定者に届けることができます。データベースに蓄積したデータを検索し答えを探し出す従来のデータ・アナリティクス手法を根本から覆すストリーム・コンピューティングは、例えば感染症の拡大予測や低出生体重児の状態の変化の監視などの、一刻を争う決断が迫られる、動的で複雑な事態への対処に活用することができます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 遺伝プライバシー法の確立

    遺伝プライバシー法の確立

    2005年10月、IBMは世界で初めて遺伝プライバシー・ポリシーを導入した大手企業になりました。このポリシーは、現社員や採用予定の社員の遺伝情報を人事関連の決定に用いないことを定めたものです。ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、米ペンシルバニア大学医学部生物倫理学センター主任のアーサー・キャプラン博士は次のように語っています。「IBMのような強力なリーダーシップを持つ大企業が、自社の社員に対して『遺伝情報は不問である』と宣言していることは非常に有意義なことです。」
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  • Power 4:世界初の1GHzマルチコア・プロセッサー

    Power 4:世界初の1GHzマルチコア・プロセッサー

    IBMは2001年にIBM RS/6000とIBM AS/400(IBM eServer pSeriesとiSeries)システムのコア・プロセッサーを改良しました。世界初の1GHzマルチコア・プロセッサーとなった新しいプロセッサーはPOWER4と名付けられました。POWER4は効率的な8方向システムの実現を目指し、共有L2キャッシュ・メモリーが搭載されたオンチップ・メモリー・サブシステムと高帯域幅で接続され、高速I/Oバスを備えた64ビットのPowerPCマイクロプロセッサーを2つ搭載した高性能の大規模集積回路(VLSI)チップです。その結果1GHzを上回るクロックスピードを実現することができました。この画期的なプロセッサーは、IBM研究所とヨークタウン、ポキプシー、オースティンのエンジニアリング・チームによって開発されました。
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  • 復興支援

    復興支援

    2004年12月に発生したスマトラオ島沖地震、その後発生した津波によって、23万人以上が犠牲となり、150万人が住む家を失いました。災害発生から数時間後にはすでに、各国のIBM拠点では被災者・紛失物追跡用のデータベース、災害管理ネットワーク用の無線システムをはじめとする救援物資や、カウンセリングや各種指導を行なうための人的支援派遣の準備を進めていました。スマト島沖地震津波災害での復興支援はほんの一例に過ぎませんが、IBMは非常事態において社内の専門知識や資源を総動員して、人々の苦しみを和らげ一日も早い生活の再興を実現するべく、危機管理や復興、支援にあたっています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • リレーショナル・データベース

    リレーショナル・データベース

    1970年代中頃まではコンピューターに格納した情報の分類には柔軟性のない、一回限りのデータベース・プログラムを使用していました。IBMの研究者であったE.F. “テッド” コッドは、データをより効率的に分類・処理する方法を模索していました。コッドはデータを正確に格納、更新および抽出し、正確な応答を取得でき、データを変更しても一貫した結果が得られるような、汎用的な記述形式を目指しました。コッドは1970年に、IBM DB2製品の基盤となったリレーショナル・データベースを完成させました。
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  • インフォメーション・マネージメント・システム

    インフォメーション・マネージメント・システム

    1960年代、当時の米国の大統領ジョン・F・ケネディーは、人類を月に送るという課題を米国のテクノロジー業界に課し、後のジェミニ計画や、最終的には人類初の月面着陸を達成したアポロ計画へとつながったマーキュリー計画が始動しました。IBMはプロジェクトで必要な大量の資源を管理する自動化システムの設計に携わりました。インフォメーション・コントロール・システム・アンド・データ・ランゲージ/インターフェース(ICS/DL/I)と呼ばれたこのシステムは1968年の4月に設置されました。その数ヶ月後、NASAのIBM 2740タイプライター端末に「READY」というメッセージが初めて表示されました。その後このシステムはIBMインフォメーション・マネージメント・システム(IMS)/360に名前を変え、1969年に市販されました。それから40年以上もの間、IBM IMSはデータベース・マネージメント・システム改革の一端を担い続け、企業や政府機関が求めている効率的なデータ処理を実現するためにさらに進化を続けています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 銅配線:マイクロプロセッサーの進化

    銅配線:マイクロプロセッサーの進化

    1997年にIBMの研究者がアルミニウムよりも銅配線を使用した方がより高速、小型で安価なマイクロプロセッサーを製造できると発表したことで、IBMは競合を大きく引き離しました。アルミニウム線よりもおよそ40%伝導抵抗が少ない銅線の採用によって、マイクロプロセッサーの駆動速度は約15%向上しました。銅配線技術の発明は業界の重要な転換点となり、IBMはグローバル・リーダーとしての地位を確立しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • RISCアーキテクチャー

    RISCアーキテクチャー

    IBMは1980年にRISC(Reduced Instruction Set Computer, 縮小命令セットコンピュータ)アーキテクチャーを実装した最初のプロトタイプ・コンピューターを開発しました。RISCの採用によって、それまでは使われていなかったメモリー空間にコマンドがアクセスできるようにすることで、同数の回路を使用しながらおよそ2倍も高速な処理を実現することができました。情報のパイプラインにおける無駄なスペースを排除することに成功したRISCは、システム設計において重要なイノベーションであっただけでなく、近未来のコンピューター・アーキテクチャーとしても優秀なテクノロジーとして高く評価されました。考案者であるジョン・コックはその功績を認められ、1994年に米国科学栄誉賞、そして1991年に米国国家技術賞を受賞しました。
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  • セルフサービス・キオスクの革新

    セルフサービス・キオスクの革新

    IBM 2984は、幅広い用途に使用されていた磁気テープ・テクノロジーをセルフサービス・トランザクションに活用するべくIBMが開発した、画期的な初期のATM(現金自動預け払い機)です。セルフサービス・キオスクは、昼夜を問わず磁気テープ付きのクレジット・カードを使用して現金を引き出せるように、銀行の外壁などに設置されていました。IBMは今日では銀行以外にも、郵便サービス・キオスク、空港のチェックイン端末、ホテル、フィットネス・センター、小売店をはじめとするさまざまな場所に設置されているセルフサービス・キオスクの業界リーダーとなりました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 書換え型光磁気ディスクの発明

    書換え型光磁気ディスクの発明

    1970年代初期、IBMの科学者は特殊な磁性を持った金属性のフィルムを研究していました。ワトソン研究所の科学者であったプラヴィーン・チャウダハリ、ジェローム・J・クオモ、リチャード・J・ガンビーノの3名はこのフィルムの磁気構造と電子特性を調べる過程で、書換え型の光学式記録媒体の基盤となった特殊な磁性物質を発見しました。その功績が認められ、彼らは1995年に米国で最も名誉ある技術革新賞である米国国家技術賞を受賞しました。
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  • 情報ベースの医療薬

    情報ベースの医療薬

    IBMは2006年に、33,000件以上もの過去の治療記録が格納されたデータベースを使用して、個々のHIV患者に合わせた、より効果的なカクテル療法の実現を支援するプロジェクト「EuResist」の立ち上げに協力しました。EuResistをはじめ、ワールド・コミュニティー・グリッドやWatsonコンピューター・システムなどの数々の取り組みを通じて医療に革命をもたらしているIBMは、エイズ、HIV、ガンなどの病気のより効果的な治療法の確立を目指して、データ・アナリティクスやインフォメーション・テクノロジーを活用し、世界最先端のスマートなシステムの開発を進めています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • パンチ・カード式会計機

    パンチ・カード式会計機

    1880年代後半、米国勢調査局の若きテクノロジー・エキスパートであったヘルマン・ホレリスは、人間の事務員よりも速く国勢調査の結果を集計し、分類できる機械のアイデアをひらめきました。国勢調査局の援助を受け完成した会計機によって1890年に行なわれた国勢調査では調査票を短期間で集計することができ、数年分の労働力と500万ドルものコスト削減につながりました。その後ホレリスは国勢調査局を退職し、Tabulating Machine Company社を設立して発明した会計機を他国の国勢調査局や、鉄道会社や小売業者などの企業に売り込みました。元々競合は少なかったとはいえ、ホレリスが開発した会計機とパンチ・カードは他社の追随を許さない勢いで業界標準となりました。Tabulating Machine Company社は1911年に投資家チャールズ・フリントに買収され、International Time Recording CompanyとComputing Scale Company of Americaの2社と統合されて、IBMの前身であるComputing-Tabulating-Recording Company (C-T-R)になりました。
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  • オンデマンドによる医薬品供給体制の確立

    オンデマンドによる医薬品供給体制の確立

    マラリアによる死者は毎年80万人にも上り、そのほとんどがサハラ砂漠以南のアフリカ諸国で発生しています。しかしこの地域の多くの国は依然として、マラリア治療薬の不足に頭を抱えています。そこで、この地域における5種類の主なマラリア治療薬の不足を解消するべく、「SMS for Life」(SMS : Short Messaging Service)プロジェクトが2009年に立ち上げられました。このプロジェクトでは、毎週タンザニアの医療従事者からテキスト・メッセージ形式で基幹データベースに報告される治療薬の在庫数に基づいて、地域の担当者と国家マラリア対策プログラムの職員はウェブ・ブラウザーで治療薬の供給量を調べ、不足している地域に治療薬を手配しています。LotusLiveを使用したこのプロジェクトは導入コストの低いIBMソリューションで、サプライ・チェーン全体の在庫数の可視化だけでなく、感染症流行の予兆をいち早く察知し、公衆安全の確保と不要な死の予防に貢献しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • ラジオ無線を使用したデータ通信

    ラジオ無線を使用したデータ通信

    1935年、南極探検家として知られるリチャード・バード少佐は、IBM製のラジオ無線機を使用して、南極点からおよそ11,000マイル離れたニュージャージーの研究所に「WATSON」というテキスト・メッセージを送信することに成功しました。戦時中は、アメリカが第二次世界大戦に突入した際にIBMが通信部隊に提供したラジオ無線機を使用して、ピーク時では6箇所の基地局間で1日5,000万文字ものメッセージが毎秒100文字のスピードでやり取りされていました。終戦後、無線機事業からは撤退したものの、IBMはデータ通信の新しい可能性を世界に示し、より高度なネットワーク・テクノロジー発展の礎を築きました。
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  • TAKMI 構造化されていないデータに秩序をもたらすテクノロジー

    TAKMI 構造化されていないデータに秩序をもたらすテクノロジー

    1997年以前のアナリティクスは数値などの定型的なデータを対象としていました。しかし、世の中にあふれている情報の大半は、雑然とした非定型データやテキスト・データです。そこでIBMは、構造化されていない情報を詳細に分析して、そこからトレンドを特定したり、アナリティクスを活用しなければ見つけられないような知見を発見したりすることで、ビジネスの問題解決や最適な意思決定を支援するTAKMI(Text Analysis and Knowledge Mining)を開発しました。最初はコールセンターのログの解析に向けて開発の始まったTAKMIでしたが、瞬く間に幅広い用途に活用されるようになりました。 例えば、医療業界向けのTAKMIシステムは医学文献の分析に加え、非定型な医療データを分析対象として特徴的な内容を検出し、豊富な情報に基づいた臨床判断を支援しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 充実した社員教育の徹底

    充実した社員教育の徹底

    トーマス・ワトソン Sr.は「教育に飽和点はない」という信念の下、1916年にIBM教育プログラムを作り上げました。マネージャー研修の導入や勉強会の発足、学校・研究所の設立など、この教育プログラムはその後20年以上にわたって拡充されていきました。1938年から1952年までに、エンディコットのオフィスに勤務する社員の40%が33以上の科目に及ぶプログラムを受講しました。また1961年だけでも、17,000人もの社員が研修に参加しました。今日でも、役職や勤務地に関係なく、対面研修からオンライン研修まで、IBMは幅広い形式で知識を深める機会を数多く社員に提供しつづけ、社員教育の義務を果たしています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 世界初となる国家規模のスマートなエネルギー&ウォーター・グリッド

    世界初となる国家規模のスマートなエネルギー&ウォーター・グリッド

    水不足とエネルギー・コストの高騰という2つの深刻な問題を抱えていた島国のマルタ共和国は、これらの問題解決をIBMに依頼しました。そこでIBMは2009年にスマート・ウォーターとスマート・グリッドの統合システムを開発。デジタル・メーターを使用して無駄を把握し、効率的な資源の利用を奨励する報奨制度の導入や盗難の抑止、石油や脱塩水への依存の軽減などを実現できました。マルタとIBMは協力して世界初となる国家規模のスマート・ユーティリティー・システムを構築しているのです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 新しい通信ビジネス・モデルの確立

    新しい通信ビジネス・モデルの確立

    インドの携帯電話事業者のバーティ・エアテル(Bharti Airtel)は、目覚しい発展を続けるインドの電気通信市場を開拓するために、新しいビジネス・モデルの確立を目指していました。そこでIBMのビジネス・コンサルタントと相談して、ネットワーク管理、ヘルプ・デスク・サポート、ITなどの業務を委託・統合し、新規サービスや顧客ロイヤルティーなどの高価値目標の達成に専念できるようにしました。その結果バーティ・エアテルは、2004年時点で600万人だった加入者数を1.5億人に増加することに成功しました。また今年はアフリカ市場に参入し、IBMはアフリカ16カ国でのモバイル・ネットワークのコンピューター・テクノロジーやサービスの管理を請け負います。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • CICS: 安全なオンライン・トランザクション

    CICS: 安全なオンライン・トランザクション

    1960年代後半、IBMのエンジニアであったベン・リギンズは、ヴァージニア・エレクトリック・パワー・社(VEPCO)にIBM製コンピューターを導入する作業を行なっていました。VEPCOは自社のメインフレームと連携したカスタマー・サービス・センターの設立を目指していましたが、当時、外部からのトランザクションを処理するためのソフトウェアはまだありませんでした。そこでリギンズは、IBM CICS(Customer Information Control System)というソフトウェアを開発しました。CICSはITミドルウェア標準として広く普及し、今日では1日何百万件ものトランザクションを処理しています。CICSはソフトウェア史上最も重要な製品の1つとして数えられており、IBM史上最も成功した製品の一つです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 世界をつなぐ暗号化技術

    世界をつなぐ暗号化技術

    電子データへの依存が高まるにつれて、企業や政府はデータをいかに安全に保護するかという重大なセキュリティー上の課題に直面しました。この問題を解決すべく、IBMはData Encryption Standard(DES, データ暗号化標準)という暗号化アルゴリズムを開発しました。DESは1977年に正式な連邦情報処理規格として米国規格基準局と国家安全保障局によって承認されました。DESは機密情報保護の国際規格として瞬く間に普及し、20年以上もの間、世界中でデータの保護に活用されました。DESの普及によって、IBMのThought Leadershipやデータ・マネージメントにおける包括的な取り組み方は広く世界に広まりました。
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  • ファンの期待に応えるイノベーティブなテクノロジー

    ファンの期待に応えるイノベーティブなテクノロジー

    ウィンブルドン選手権を世界一スマートなプロフェッショナル・テニス大会にするべく、IBMは1990年からオール・イングランド・テニスクラブと協力して、大会の臨場感を世界中の大勢のファンに届けてきました。最近では、IBM Seer拡張現実アプリケーションを使い、より、臨場感のある多角的な情報を提供しています。ウィンブルドン・プロジェクトは、プロスポーツリーグから音楽や映画の製作会社まで、幅広いお客様企業が革新的なコンテンツ配信を実現し、新しいビジネス・モデルを確立できるように支援している、IBMメディア・アンド・エンターテインメント部門の取り組みの一つです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • IBMの創立

    IBMの創立

    国際的なビジネスマンだったチャールズ・フリントは1911年にHollerith’s Tabulating Machine社を、オハイオ州の食肉スライサーや秤のメーカーであったComputing Scale Company of America社と、商用時計のメーカーであったInternational Time Recording社の2社と合併しました。この新しい合弁会社はComputing-Tabulating-Recording(C-T-R)社と名づけられ、IBMの前身となりました。フリントは異業種企業の集合体のようなC-T-R社をまとめる強力なリーダーとして、1914年にトーマス・ワトソン Sr.をゼネラル・マネージャーに迎えました。その10年後の1924年、3,384名の社員を抱え、創設時の年間売り上げのおよそ13倍にあたる1,100万ドルの収益を上げられるようになったC-T-R社は、International Business Machines(IBM)に社名を変更しました。
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  • グローバル・ボランティア・ネットワーク

    グローバル・ボランティア・ネットワーク

    IBMオンデマンド・コミュニティーは、IBM社員と退職者がボランティア活動への参加を宣言するためのオンライン・システムとして、2003年に開発されました。このシステムは、そのシステム管理基盤やグローバルなスケールでの展開および知見に基づいたサービス提供など、IBMらしいユニークなアプローチに基づいています。社員および退職者、個々人の持つ強みやスキルをプログラムやリソース、ソフトウェア、追跡ソリューションなどと結びつけて、ボランティア活動の主催者や非営利団体を支援しています。IBMはオンデマンド・コミュニティー・システムを通じて、過去5年間で1,000万時間以上ものボランティア活動が行われました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • Smarter Planet

    Smarter Planet

    2008年、IBMは世界中の企業、政府、市民社会の先見的なリーダーがスマートなシステムの可能性を認識し、経済成長や短期的効率化、持続可能な社会発展・成長などの実現を支援するためのイニシアティブとしてSmarter Planetを提唱しました。Smarter Planetは、交通、教育、エネルギー、食物、水などと言った、ビジネスや人々の日々の生活を支えている仕組みを向上させるための幅広いソリューションの提供を通じて、未来の世界をより機能化(Instrumented)し、相互に結びつけ(Interconnected)、インテリジェント(Intelligent)にするためにIBMが仕掛けた「壮大な賭け」なのです。
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  • グローバルに統合された企業

    グローバルに統合された企業

    2006年に発行された雑誌「フォーリン・アフェアーズ・レポート」5月/6月号に掲載されたエッセーで、また、IBMの会長・社長 兼 CEOであるサミュエル・パルミサーノが同年インド・バンガロールで行なった講演会で、IBMはグローバルに統合された企業を目指すというビジョンを発表しました。グローバルに統合された企業とは、親会社の小型版のような子会社を世界各国に配置する多国籍企業に代わる新しい企業形態であり、世界中のあらゆる場所から事業や機能を提供し、適切なコストで世界中どこにいてもIBMのスキルやサポートを受けることができる、真にグローバルな企業です。この企業モデルは従来の多国籍型企業モデルよりも俊敏で無駄が少なく、国境を越えたビジネス展開を可能にします。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • オンライン・オフィス・ネットワーク

    オンライン・オフィス・ネットワーク

    IBM PROFS(Professional Office System)は1981年に発売されたメール、ドキュメント作成・管理、スケジュール、表計算に対応し、データベースなどとも連携が可能なコミュニケーション・システムで、当時のオフィス環境の自動化に対応したものです。このPROFSはメインフレームの仮想システム上に構築されたメニュー形式のユーザーインターフェースでの操作が可能で、近代企業のイントラネットの前身ともいえるテクノロジーで社員同士のコラボレーションを可能にしました。IBMはコラボレーションの重要性を理解していたので、この試みはPROFS以降にも引き継がれ、世界最大のイントラネットであるw3の開発につながっていきます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • パーソナル・バンキングの自動化

    パーソナル・バンキングの自動化

    銀行業務の1つである小切手処理業務は、1934年にIBMが発表したIBM 801 銀行プルーフ・マシンによって大幅に改善されました。新型のプルーフ・マシンであったIBM 801は、小切手を集計、分類および承認し、総額を記録することができました。このイノベーション以来、IBMは世界中の銀行業務を改革し、自動化したソリューションを現地の企業のニーズや動向に応じてカスタマイズし、金融取引業務の利便性と効率性を向上させました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 社会保障法

    社会保障法

    世界大恐慌の渦中、フランクリン・D・ルーズベルトは社会保障法に署名しました。そのペン1本の所作が引き金となって、アメリカ全土では大規模な情報問題が発生し、政府は国内の労働者全員の給与を把握するための会計機の早急な導入を迫られました。当時、そのような大規模なデータ処理基盤を提供できる企業はIBMだけでした。そこでIBMは400台以上のパンチ・カード式会計機を提供し、およそ2,600万人分の労働者の記録を作成しました。
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  • DNAトランジスター

    DNAトランジスター

    IBMのDNAトランジスターは、高度なテクノロジーを採用しながら安価にヒトゲノムを解析することを可能とした技術です。2009年に発表したこの画期的なテクノロジーは近い将来、遺伝情報を基にしたより詳しい患者情報の把握やオーダーメイド医療などを実現し、医療の質やクオリティ・オブ・ライフを大幅に向上させることができると期待されています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 企業理念に基づく環境リーダーシップの追求

    企業理念に基づく環境リーダーシップの追求

    IBMが初めての環境保護プログラムを導入したのは、トーマス・ワトソンJr.が環境保護に対するグローバルでのコミットメントをIBM環境ポリシーとして明文化した1971年のことでした。このポリシーの中でIBMは製品を製造する過程で発生した廃棄物の処理のみならず、製品開発の各過程の環境汚染についても考慮することを誓いました。これは数十年後に制定された、「汚染防止法」の礎となりました。今日、さまざまな業務に従事している何千人ものIBM社員が、IBMの環境保護プログラムや環境保護要件の推進および徹底に積極的に取り組んでいます。1990年代後半、IBMはグローバル企業としては初めて、全世界の拠点を対象としたISO14001:環境マネジメントシステム規格の統合認証を取得しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • コンピューター・サイエンスの誕生

    コンピューター・サイエンスの誕生

    第二次世界大戦の終盤、コロンビア大学のワトソン・サイエンティフィック・コンピューティング研究所では、学問と企業の研究開発資源を融合させ、さまざまなイノベーションを創出しました。1945年の設立から1年後、ワトソン・サイエンティフィック・コンピューティング研究所は世界初のコンピューター・サイエンスの基礎カリキュラムを完成させました。受講生の多くは、その後、電子データ処理分野の先駆者として活躍しました。
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  • アポロ計画

    アポロ計画

    トーマス・J・ワトソン Sr. はNASAが設立される何十年も前の1930年代に、コロンビア大学にAstronomical Computing Bureau(天文計算局)を設立し、IBMの宇宙探査参加への布石を敷きました。歴史上最も優れた科学的功績だといわれている月面着陸は、計画の採算性を検討する前にその実現可能性を模索するIBMの情熱が成功に導いた科学的功績の1つだと言えます。IBMは過去に行なわれたすべての有人宇宙計画に参加し、1969年にアポロ11号が果たした月面着陸ミッションをはじめ、マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ・サターンなどのミッションに使用されたシステムの開発を担いました。また、ジェミニ計画やスカイラブ計画をはじめ、アメリカとソビエト合同で実施したアポロ・ソユーズ計画の宇宙管制システム開発にも尽力しました。
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  • フラクタル幾何学

    フラクタル幾何学

    IBMの研究者ブノワ・マンデルブロは、数学的な性質を利用して自然界に存在する、入り組んだ、非ユークリッド幾何学的に不規則な形状を表現する概念であり、後に「フラクタル幾何学」と命名された発見について記した最初の論文を1967年に発表しました。当初は激しい論争を引き起こしたものの、フラクタル幾何学は科学、産業、数学および芸術に大きく貢献しました。人間を取り巻く環境や現実を斬新な見方で捉えることを可能にしたフラクタル幾何学は、自然世界と人類に関する数々の画期的な発見をもたらしました。
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  • シリコンゲルマニウム・チップ

    シリコンゲルマニウム・チップ

    1994年、IBM研究所はシリコンゲルマニウム(SiGe)から低コストの半導体チップを製造する技術の特許を取得しました。シリコンゲルマニウムは、当時使用されていた他の素材よりも調達が容易で、集積回路の速度と汎用性にも優れていました。それまではすべてシリコンで製造されていたチップの基層にゲルマニウムを使用することで、動作周波数、電流量、ノイズ、処理性能を大幅に向上させることに成功しました。より安価かつ小型で電力効率のよいシリコンゲルマニウム・チップの登場によって無線通信業界は大きく躍進し、レーダーから宇宙探査にまで幅広く利用されるようになりました。今日の次世代モバイル端末やスマート・テクノロジーは、シリコンゲルマニウム・テクノロジーの恩恵を受けています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 磁気テープ式ストレージ

    磁気テープ式ストレージ

    1940年代後半、IBMの技術者は、ビング・クロスビーが磁気テープにラジオ番組を録音して放送していたことに着目し、パンチ・カードに続くデータ記録媒体として磁気テープの研究を開始しました。IBMの仕様に従って3Mがテープを開発し、IBMは素早く起動および停止でき、毎秒100~200インチものテープを動かすことができるリールを開発しました。IBMの技術者はさらに、真空コラムを使って起動や停止を繰り返した際に弛んだテープを巻き取る仕組みを考案しました。1952年に、IBMは世界初の磁気テープ記録媒体「IBM 726」を発表しました。
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  • サービス・サイエンスという概念の提唱

    サービス・サイエンスという概念の提唱

    1940年代にコンピューター科学という学問分野の開拓に協力したIBMは、変化の激しい世界で次々と訪れる局面において科学を活用するための取り組みを進めています。Service Science, Management and Engineering (SSME)という概念は、世界経済が製造からサービスに移行している中、このシフトが特定の企業やビジネス・社会に対してどのように影響を及ぼすかをより深く理解するための学問です。2003年以降、IBMは54カ国450の大学をはじめ、政府や業界リーダーらと共同でSSMEのカリキュラムを開発してきました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 機械翻訳技術の開拓

    機械翻訳技術の開拓

    IBM初の翻訳システムは1931年に国際連盟での利用に向けて開発されました。このシステムはファイリーンとフィンレーが1927年に取得した特許を基にしたもので、音声を同時通訳し、低出力のラジオとヘッドホンを介して届けることができます。聴取者は自分の母国語にチャンネルを合わせることで通訳された音声を聞くことができます。IBMはその後も自動通訳機の開発を続け、1959年には難解な言語であるロシア語から英語への通訳や、1959年には英語から点字への翻訳、1963年には中国語から英語への自動通訳システムを開発しました。また2006年には、英語とアラビア語の双方向通訳ソフトウェアを開発し、英語を母国語とする軍関係者とイラク軍および一般人との円滑なコミュニケーションを実現しました。
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  • IBMワールド・トレード社の設立

    IBMワールド・トレード社の設立

    IBMの社長兼CEOであったトーマス・J・ワトソン Sr.は、国際関係に深い興味を持ち続けていました。彼の在任中に、IBMはアジア、南米、アフリカなどに積極的に事業を拡大し、真の多国籍企業となりました。1949年にワトソンはIBMの100%出資子会社であるIBMワールド・トレード社を設立し、拡大した事業の管理を任せました。その際、彼は各国のビジネス環境特有の事情や文化に詳しい現地の人材を採用しました。そして彼らを通じてIBM独特の複雑な企業運営や人材管理を教育していきました。ワトソンは「World Peace Through World Trade(国際貿易を通じた世界平和)」という、公正で倫理的なビジネスを世界中で展開するという彼のコミットメントをIBMワールド・トレード社のスローガンに掲げました。
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  • IGF 金融技術改革

    IGF 金融技術改革

    IBMグローバル・ファイナンシング(IGF)は、包括的な融資を提供することで世界中の大手企業がビジネスの成長に欠かせないe-ビジネス・ソリューションを導入できるように支援しています。創立以来、IGFはあらゆる規模の企業にIBM製品だけでなく他社のハードウェア、ソフトウェアおよびサービスの中から個々の企業の技術やお客様のニーズに最適なソリューションを導入するための融資やコンサルティングの提供を通じて、世界最大手のIT金融会社へと成長を遂げました。今日、IGFは世界50カ国以上の成長企業のお客様を支援しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • スマートなヘルスケア・マネージメント

    スマートなヘルスケア・マネージメント

    中国南部のグァンドン病院は伝統的な漢方医療と現代西洋医学を組み合わせた治療法で知られ、毎日1万人以上の患者さんの治療にあたっています。IBMはこの病院に、患者さん主体の医療を目指して開発した電子カルテ・システムを導入し、どこにいても患者さんの診療データを閲覧できるようにしました。電子カルテは、大幅なコスト削減や診断ミスの防止に効果があるテクノロジーとして注目を集めています。IBMは医療業界のさまざまなステークホルダーと協力して、医療の発展に欠かせないカルテの電子化を進めています。また病院だけでなく、Google社やContinua Health Alliance (NPO) などとも連携して、貴重な医療情報を含む健康状態を個人で記録できるような仕組みの実現に向けた取り組みを進めています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • ペタフロップスの壁を突破

    ペタフロップスの壁を突破

    2008年にIBMがロスアラモス国立研究所にて「ロードランナー・プロジェクト」向けに開発したコンピューターが、世界で初めてペタフロップス(1秒間に1000兆回の計算を行なう)の壁を打ち破ったコンピューターとなりました。2つの異なるプロセッサーを搭載した世界初の「ハイブリッド」スーパーコンピューターとして開発されたこの「ロードランナー」は、その後継機よりもエネルギー効率が2倍優れており、同等の演算能力をおよそ半分の電力消費で実現することができます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • e-ビジネス

    e-ビジネス

    インターネット・バブル中に設立された新興企業が消費者にe-コマースをもたらした時、大企業はどう対応してよいか分からずに傍観していました。1990年代後半、IBMはe-コマースの勢いとその可能性に注目し、e-コマースの強みをメインフレームやトランザクション、ネットワークに取り入れる「e-ビジネス」という戦略を提案しました。これがインターネット時代のアメリカ企業にとってターニング・ポイントとなり、シリコンバレーの新興企業だけでなく大企業も、ウェブを活用したコラボレーションやビジネスの可能性に目を向けるようになりました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 石油供給の最適化

    石油供給の最適化

    IBMは長年にわたり新しい技術をエネルギー会社に提供して、石油の発見・採掘・処理・利用をサポートしてきました。3次元地質モデルを利用して石油の埋蔵場所を特定したり、センサー・テクノロジーを応用して石油の流れを追跡したり、最適な安全性を備えた道具を提供したりと、IBMは石油業界がより安全で持続可能性が高く、またより生産性の高い産業であり続けられるように最前線で支援しています。たとえば、マラカイボのMene Grande Oil CompanyがC. A. Watson de Maquinas Commerciales (IBMのベネズエラでの社名) という新興企業から初めてIBM製品を導入した1938年以来、IBMはベネズエラの企業と密接に連携してきました。ベネズエラで初めて石油が発見された時から、IBMはベネズエラで業界のニーズに応じて柔軟に対応できるテクノロジーやインフラストラクチャーを提供してきました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 高温超伝導体

    高温超伝導体

    超超伝導体は電気を効率よく通す導体であり、通常の物体よりも強い磁気性質を持っています。しかし超伝導体は摂氏マイナス237度という、専門の研究室でしか実現できないほどの低温でないとその真価を発揮できないのです。1986年、ゲオルク・ベドノルツとアレックス・ミューラーがペロブスカイトを使用した実験をIBM研究所で行なっていたところ、過去の計測データよりもはるかに高温で超伝導を起こすことを発見しました。この発見によって超伝導体はさまざまな用途に利用されるようになりました。例えば、超伝導体によってより安価なMRIマシンを短期間で作れるようになり、世界中の病院に導入されるようになりました。また高速鉄道も超伝導体技術を利用しています。この発見の功績が認められ、ベドノルツとミューラーは1987年にノーベル賞を受賞しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • スマートな交通管理

    スマートな交通管理

    スウェーデンのストックホルム市は交通渋滞に頭を抱えていました。車の利用を控えるように促すために、IBMは通勤ラッシュ時に市内の幹線道路を利用するドライバーから税金を徴収するための道路課金システムを開発しました。このシステムは2007年に市の中心部から24平方キロメートル範囲内に導入されました。そのうち18箇所は遮断機の代わりにカメラを設置し、また複数の支払い方法を選択できるようにしました。この結果交通量は大幅に減少し、エコカーや公共交通手段の利用が増え、市民の生活の質も向上しました。IBMはこのストックホルムのプロジェクトで得た知見を「スマートな」アプローチとして活用し、ブリズベン、シンガポール、ロンドンなどの都市が長年頭を抱えていた問題の解決を支援しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • ディープ・サンダー

    ディープ・サンダー

    IBMの研究者であったロイド・トレイニッシュは、アルゴリズム、コンピューター・モデリング、視覚化技術などを組み合わせて、非常に限定された地域の短時間天気を予測する、超局所的気象予報機能を開発しました。彼が開発したシステムは1996年のアトランタ・オリンピックで初めて使用されました。天気のパターンを理解・予測することで、企業や政府機関は資源をより有効に活用し、コスト削減や悪天候による影響を最小限に抑えることで、建物や財産、そして人命を守ることができます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • WebSphere

    WebSphere

    インターネット・バブルの絶頂期目前のある日、IBMソフトウェア・グループの長、スティーブ・ミルズは彼が率いるチームのトップ・メンバー3人を自分のオフィスに呼び、IBMの代表的なエンタープライズ・ソフトウェア・ツールを「ウェブ化」できないか検討を始めました。その結果、1998年前半にWebSphereアプリケーション・サーバーが発売されることになりました。WebSphereチームは当初、HTTP、Servlet、Java Server Pagesに対応したウェブ・アプリケーションを短期間で開発、提供することに専念していました。しかし、お客様のニーズや予想される市場の変化に対応するために、WebSphereの対応アプリケーションは瞬く間にトランザクション・アプリケーションなどにまで広がりました。今日では、WebSphere製品やサービスは、複数のコンピューター・プラットフォームにまたがって電子アプリケーションを導入、運用、統合するためのソリューションとして世界中の企業に導入されています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 感染症の監視

    感染症の監視

    1976年に世界保健機関は、ジュネーブの国連電算センターに導入したIBM システム/370を使用して、天然痘の流行や発生を正確に予測し、限られた人的リソースと資源を最も緊急に対応する必要のある地域に送り込むことができました。このシステムは人口統計学データ用システムの国際標準モデルとなりました。それ以来、IBMはさまざまな感染症の流行について研究を続けてきました。IBMは疾病対策センターと協力して、「豚インフルエンザ」と呼ばれるH1N1ウイルスの流行をモデル化し、鳥インフルエンザやデング熱などの人々の健康を脅かす感染症を監視できる時空間的疫学モデラーを開発しました。
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  • CIOの登場

    CIOの登場

    コンピューターが現代ビジネスの成功に欠かせない要素であると明確に認識されるようになったのは、1950年代から1960年代、特にIBMのシステム/ 360が発表された1964年のことでした。しかし1つ問題がありました。コンピューターやデータセンターを手に入れ、開発し、管理するための知識やスキルを企業が持っていなかったのです。そこでIBMは世界中の企業がデータ・プロセッシングのノウハウを学ぶための支援を行いました。マネジメント・インフォメーション・システムは世界中に広がり、同時に最高情報責任者(CIO)という新しい役職が登場しました。
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  • IBM 603

    IBM 603

    IBM 603は世界で最初に作られた電子計算機であったと同時に、電子演算回路を組み込んだ、世界初の商用製品でした。 IBMにとってこの製品の開発は、機械的演算から電子演算への大きな転機となりました。IBM 603は、エレクトロニクスの発展に注目し続けていたIBMが、1944年に発表された全長15メートルの計算機ASCCよりも高速に演算できる「スーパー電子計算機」の開発を目指してプロジェクトの一環として開発されました。その結果、初期に開発されたどの電気機械式計算機よりも高速に乗算を行なうことができる真空管式の小型計算機の開発に成功しました。IBM 603の開発によって、計算を瞬時に行なうことができるようになったのです。
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  • ワールド・コミュニティー・グリッド

    ワールド・コミュニティー・グリッド

    情報の処理能力は世界中で急速に増加していますが、地球規模での課題も同様に増加してきています。2004年に発表されたIBMワールド・コミュニティー・グリッドは、広範なネットワーキング・テクノロジーとクラウドソーシングを活用して、スーパーコンピューターと同等の処理能力を提供し、医療分野や社会などの早急に解決する必要のある課題の解決を支援しています。ワールド・コミュニティー・グリッドでは、何千人もの個人所有のPCのアイドリング時の処理能力を集め、予算が限られたプロジェクトに提供し、科学や公共サービスの発展に貢献しています。この取り組みは、人財とテクノロジー資源を統合して研究に活かすことで人類の進歩に貢献するというIBMのコミットメントを体現したものです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 平等な職場環境の実現

    平等な職場環境の実現

    1954年のブラウン対教育委員会裁判での連邦最高裁判決の1年前、そして1964年の公民権法制定の11年も前に、トーマス・ワトソン Jr.は「我が社は人種、肌の色、宗教にかかわらず、与えられた職務を全うするために必要な人格、能力および経験を有する人物を採用する」という方針を社員に周知しました。IBMは昔から、専門性や人格以外の特性については採用基準に含めていません。IBMが導入しているダイバーシティー(多様性)の取り組みはこの考え方に則ったものであり、職場の変革に一役買いました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • IBM 700シリーズ

    IBM 700シリーズ

    1950年代は、データ処理業界の巨人として君臨していたIBMにとって苦難の時代でした。ソビエト連邦の一歩先を行くために、米国政府は14の団体を支援し電子コンピューターの開発に力を入れました。IBMは社の未来とプライドを賭け、1951年にIBM初の商用コンピューター701を開発しました。このコンピューターは世界を驚かせました。タイム誌は「複雑な方程式を素早く解いて新製品の開発や既存製品の改善、ベストな解決策の発見などを可能にし、新たな可能性を広げる」と称賛しました。当時IBMの社長であったトーマス・ワトソン Jr.は、701なくしてIBMのエレクトロニクス業界での成功はなかったと語りました。
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  • スマートな水管理

    スマートな水管理

    2009年、IBMとアイルランド海洋研究所はSmartBayに関するパイロットとなる情報システムを完成させました。このシステムはガルウェイ湾に張り巡らせたセンサーやコンピューター・テクノロジーを使用して沿岸の状態に関する情報を収集・配布し、ガルウェイ湾やその周辺海域の波や海洋生態系、汚染レベルの状態を監視・分析しています。このシステムの導入によって手作業でのデータ収集が自動化され、研究者は汚染などの重要な問題に迅速に対応できるようになりました。このプロジェクトは汚染や水害を最小限に抑えつつ漁獲量を確保したい周辺都市の模範例となっています。世界でも波が荒いことで知られるガルウェイ湾を研究することによって、IBMの研究者は波力エネルギーを利用するための貴重な知見を得られると考えています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 予測分析を活用した防犯対策

    予測分析を活用した防犯対策

    IBMは何十年もの間米国の地方自治体や警察署に協働し、法令順守や安全の確保を支援するテクノロジーを提供していきました。1963年、IBMはニューヨーク市警に協力して、指紋照合の所要時間を数時間から数分にまで短縮することに成功しました。今日、ニューヨーク、シカゴ、メンフィスをはじめとする世界中の都市は、データと予測分析を活用してスマートに犯罪と戦い続けています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • セレクトリック・タイプライター

    セレクトリック・タイプライター

    1961年にIBMがセレクトリック・タイプライターを発表したことで、タイプライター業界は一変しました。この革新的なタイプライターが発表されるまで、タイプライターのタイプ・バーは絡まりやすく、能率低下につながっていました。従来の形状とは異なるゴルフ・ボールの形をしたタイプ・ヘッドを採用することで小型化の実現に成功しました。また、銀色の「ゴルフ・ボール」形の部品によってバーが絡まることもなく、これによってタイプ・スピードと生産性は大幅に向上しました。セレクトリック・タイプライターは史上最も成功した電子タイプライターとなり、25年もの間、高性能オフィス・タイプライター市場を席巻しました。
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  • グローバル・イノベーション・ジャム

    グローバル・イノベーション・ジャム

    IBMが2006年に開催したイノベーション・ジャムは、それまでで最も大規模なオンライン・ブレーンストーミング・セッションとなりました。セッションには15万人以上のIBM社員と、世界104カ国67社ものお客様や関係者が参加しました。このイノベーション・ジャムによってIBMは電子カルテ・システムから無店舗バンキングまで、幅広い分野の事業を新たに10件立ち上げました。イノベーション・ジャムを通じて生まれてきた革新的なサービスや製品に対して、IBMは総額1億ドルを投資することを約束しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • Linux

    Linux

    Linuxをサポートしたことで、IBMサーバー、システムおよびソリューションはオープンソース・イノベーションの力で躍進を遂げました。2000年、IBMはLinuxに10億ドルを投資すると発表し、Linuxコミュニティー内部からオペレーティング・システムを進化させ、全IBMシステムのLinuxへの移行と、既存のIBMハードウェアおよびソフトウェアのLinux対応化を進めました。この施策は世界中のCEOやCIOの注目を集め、お客様のコスト削減や柔軟性向上に貢献し、オープンソース・イノベーションを一気に広めるきっかけとなりました。Linuxは現在世界中で最も急成長しているオペレーティング・システムです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 「THINK(考えよ)」という文化

    「THINK(考えよ)」という文化

    NCR社での営業会議の席で、トーマス・ワトソンSr.は自社の社員に向かって「もっと考えろ!」と怒鳴ったと言われています。彼は「THINK(考えよ)」と書いた紙をアシスタントに手渡し、その言葉が入った楯を作って配るようにと命じました。1914年、ワトソンは「THINK」というスローガンを携えて当時設立間もなかったC-T-R社に入社しました。1920年代にC-T-RからIBMに社名変更した時点では、THINKはあらゆるところに掲示されるようになっており、次第にIBMの象徴として広く認知されるようになっていきました。「THINK」を合言葉に、ワトソンは社員一人ひとりの自由な思想と情熱のこもった業務を遂行する企業文化を創りあげ、世界中の社員を力づけました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • International Business Machinesの誕生

    International Business Machinesの誕生

    1920年代のComputer-Tabulating-Recording(C-T-R) 社は大規模でも、国際的な企業でもなく、しかし、壮大な構想を抱いた急成長中の小さなテクノロジー会社でした。その構想の1つがグローバル企業への成長でしたが、当時の企業でそれを目指していたのはほんの一握りでした。ワトソン Sr. は海外に幹部を送り込んで海外支社を設立し、現地の人間に経営を任せました。これは本国の社員に海外支社の経営を任せる企業が圧倒的多数であった当時では非常に珍しい手法でした。General Electric社やGeneral Motors社などの「ビッグネーム」企業に感化されたワトソンは、グローバルな展望を表す意味を込めて、社名をC-T-RからInternational Business Machines, IBMに変更しました。現在ではIBMは世界170カ国以上でビジネスを展開しています。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • アクセシビリティを考慮した職場環境の実現

    アクセシビリティを考慮した職場環境の実現

    1941年、IBMは本人自身が目が不自由であった心理学者マイケル・スパ博士の協力を得て、2年間で181人の障がい者を雇用しました。スパ博士は「適切な仕事に就いていればハンディーキャップを克服できる」というモットーの下、その後もIBMと協力して視覚障がい者のニーズに合った製品の開発に携わりました。スパ博士の例は、アメリカ障がい者法(ADA)が施行される76年も前にあたる1914年に最初の障がい者を雇用したIBMの先進的な雇用形態のほんの一例にすぎません。IBMは、ホーム・ページ・ビルダー、点字プリンター、音声認識技術などのアクセシビリティ向上を実現するテクノロジーをいくつも開発してきました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • グッド・デザイン=グッド・ビジネス

    グッド・デザイン=グッド・ビジネス

    1956年、トーマス・ワトソンJr.は建築家兼工業デザイナーであったエリオット・ノイスをIBM初のコンサルタント・デザイン・ディレクターに任命し、コーポレート・デザイン・プログラムの推進を依頼しました。彼はIBMのアーキテクチャー、グラフィック、工業デザイン、インテリア、展示会および美術品の調達などの、デザインの啓蒙活動に携わりました。ノイスはIBM製ディクテーション・マシンからニューヨークのマディソン・アベニュー590番地のショールームのデザインまで、IBMの製品からIBMブランドまでのあらゆるデザインを手がけ、体系化しました。高度なテクノロジーを活用して人々の生活やビジネスを豊かにするというIBMの真の使命は、製品の外観から機能性に至るまで表現されています。
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  • IBM PC:パーソナル・コンピューターの発展

    IBM PC:パーソナル・コンピューターの発展

    1981年8月12日、ニューヨーク市ウォルドルフ=アストリア・ホテルのボールルームで開かれた記者会見の場において、フィリップ・ドン・エストリッジによって、販売価格が1,565ドルのIBMパーソナル・コンピューター(IBM 5150)が発表されました。IBM 5150が発売される20年前まで、IBM製コンピューターには900万ドルの値が付けられたものもあり、運用には空調完備で4分の1エーカーもの広さの設置面積と60人のスタッフが必要でした。IBM PCはその動作スピードだけでなく、一般家庭にも導入可能な価格を実現したコンピューターです。IBM PCは世界中のビジネスを変革し、その1年後にはタイムズ紙に「Person of the Year」として賞されました。
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  • Blue Gene (ブルー・ジーン)

    Blue Gene (ブルー・ジーン)

    1990年代にIBMが1億ドルを投資し、5年を費やしたブルー・ジーン開発プロジェクトは、スケーラブル並列処理を気象予測や石油探査、複雑な製造工程などの実用的な用途に活用することを目的としたプロジェクトでした。IBMの技術者は「最小限の労力で最大限の成果を得る」べく、飛躍的な演算速度向上と効率化と同時に、小型化の実現を図る手段を模索しました。ローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発された初代Blue Geneは、以前は不可能であったタンパク質の折り畳みや遺伝子の発達過程の観察を可能にし、生物学者の研究の発展に貢献しました。開発の進展と共にテクノロジーも進化し、 Blue Gene シリーズはスーパーコンピューターの経済的意味合いにも変革をもたらしました。
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  • FORTRAN

    FORTRAN

    1957年にIBMのプログラマーであったジョン・バッカス率いるチームが高度なプログラミング言語FORTRAN (FORmula TRANslator)を発明するまで、初期のコンピューターは難解かつ各コンピューター固有の「機械言語」でプログラミングをしなければなりませんでした。優秀な人間のプログラマーのように、効率的にバッカスが発明したコードを機械言語に変換できるFORTRANコンパイラーがあれば、 FORTRANプログラムは、どのシステム上ででも実行することができました。FORTRANの発明によって数学者や科学者などのプログラマー以外の人間もコードが書けるようになり、それを他のシステムに流用できるようになりました。FORTRANはハードウェアの制約からソフトウェアを解放する重要な第一歩となりました。
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  • 人類全体の家系図の解明

    人類全体の家系図の解明

    自分は一体誰なのだろう?どこから来たのだろう?といった疑問に答えるために、ナショナル・ジオグラフィック社は2005年にジェノグラフィック・プロジェクトを立ち上げました。IBMとジェノグラフィック・プロジェクトは世界中から人間のDNAを収集し、人類の進化の分岐点を示す遺伝マーカーを分析するという試みです。祖先のルーツを探ることで、研究者は人類の進化の軌跡をより詳しく知ることができます。IBMのアナリティクス・テクノロジーを活用して、今日までに40万件以上のサンプルの解析を行いました。このプロジェクトを通じてIBMは遺伝的多様性に関する膨大な量の知見を獲得することができ、遺伝情報差別禁止法を世界で初めて取り入れた企業となりました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • Sabre

    Sabre

    ジェット機の登場によって飛躍的に増加した旅行客に対応するために、IBMとアメリカン航空は6年の歳月を費やして予約システムを開発し、顧客管理・記録および集客に活用しました。システムは大成功し、その後同様のシステムがパンアメリカン航空とデルタ航空に導入されました。Sabreシステムは航空券予約だけでなく、収益管理や貨物、価格設定、スケジューリングおよび業務などにも多大な影響を及ぼしました。またSabreの最大の功績は、ATMからオンライン・ショッピングまであらゆるリアル・タイム・オンライン・トランザクションの基盤となったオンライン・トランザクション・プロセッシング(OLTP)への道を切り開いたことです。
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  • コーポレート・サービス・コー

    コーポレート・サービス・コー

    2008年に開始されたIBMコーポレート・サービス・コー(Corporate Service Corps, CSC)プログラムはIBM社員向けのリーダー育成プログラムであると当時に、社員の知識を新興市場のコミュニティーや組織に提供するためのプログラムでもあります。今日までに1,000人以上のIBM社員がCSCプログラムに参加し、派遣先地域での経済発展、起業、交通および教育から、公共サービス、医療、災害復興支援といった問題にいたるまで、その解決に取り組んできました。コーポレート・サービス・コーの支援先は、今日までで世界20カ国以上にものぼります。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • IBM パンチ・カード

    IBM パンチ・カード

    角ばった長方形のカードに穴が開いたパンチ・カードは、会計機誕生当初からデータの記録、保存媒体として利用されてきました。1920年代までにIBMがデータ処理業界を席巻するようになると、IBM製マシン専用であったパンチ・カードは世界的な業界標準となりました。 1928年にIBMはカードのデザインを刷新し、より多くのデータを記録できるようにしました。1950年代から1970年頃にかけて、 IBMのパンチ・カードは情報を保存、活用するための主な手段として企業や政府機関によって使われ、本に次いで最も耐久性があり、広く普及したデータ格納媒体となりました。
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  • 民間企業初の純粋に研究を目的とした科学研究所設立

    民間企業初の純粋に研究を目的とした科学研究所設立

    「THINK」はIBMの創業者トーマス・ワトソン Sr. の根幹にあった考えでした。彼は、1944年に、民間企業としては初となる、純粋に研究を目的としたワトソン科学計算研究所をコロンビア大学に設立しました。以前は経理にのみ使われていたコンピューターが、研究所では選りすぐりの科学者たちによって原子核分裂や月の軌道の研究などに使われました。大学内にIBMの施設を創ることによって、新しいさまざまな分野のことを考える研究家を次々と世に送り出すことができました。現在では世界8ヵ所にIBM研究所が設立されており、各国の政府や大学の研究所と共同で研究を進めています。このような新しい「共同研究」モデルによって算を有効に利用できるだけでなく、世界有数の知性に触れることができるようになります。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • DRAM

    DRAM

    1960年代半ばに、 IBMの研究者ボブ・デナードは世界で初めて1つのトランジスターで構成されたメモリーを開発し、「ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー」またはDRAMと名付けました。DRAMの開発によってメインフレームに一時メモリーを組み込み、ディスク・ドライブに保存したデータのバッファーとして使用できるようになりました。使用中の情報をメモリー・チップに保持することで、別の情報が必要になった場合にのみディスク・ドライブにアクセスして取得することができます。これによって保存した情報へのアクセス・スピードが飛躍的に向上し、快適に使用できるようになりました。DRAMは安価で小型かつ大容量でありながら消費電力の少ないコンピューター・メモリーの普及に貢献しました。
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  • 自動採点機

    自動採点機

    1937年に発表されたIBM 805 自動採点機によって、IBMは学力測定システムのパイオニアとなりました。このマシンは手動で解答用紙を採点する場合と比べて、大幅な時間短縮と精度向上を実現しました。「○を鉛筆で塗りつぶしてください」というおなじみのフレーズは、この画期的なマークシート読み込み技術によって世界中に広まりまったのです。この発明は第二次世界大戦の直前から活用されるようになり、米国政府が機械を使って大勢の就職希望者の受け入れに対応できるようなったのです。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 走査型トンネル顕微鏡

    走査型トンネル顕微鏡

    走査型トンネル顕微鏡(STM, Scanning Tunneling Microscope)は、固形物表面の原子操作を可能にした革命的なテクノロジーです。STMを発明したIBMチューリッヒ研究所のゲルト・ビーニッヒとハインリッヒ・ローラーは、1986年にノーベル物理学賞を受賞しました。STMは「ナノ・スケール」という概念をもたらし、ナノテクノロジーの発展に貢献しました。STMの発見は1990年代のフラーレンの発見に大きく寄与し、カーボン・ナノチューブの開発を可能にしました。ノーベル賞委員会によれば、STMの発見は「まったく新しい物質構造研究」の門戸を開いた、ということです。
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  • システム/360

    システム/360

    IBM システム/360ほどテクノロジーや世界の仕組み、あるいはシステム・メーカーに大きな影響を与えた製品は、歴史的に見ても数えられるほどしか存在しません。システム/360は異なるプロダクト・ラインの製品や他社製のコンピューターの併用を可能にした世界初の汎用コンピューターで、情報科学という当時はまだ新しかった分野に転機をもたらしました。システム/360の発売以後、テクノロジー・プロバイダーは「コンピューター」を使用して特定のタスクを自動化するのではなく、「コンピューター・システム」を使用して複雑なプロセスの管理を行うようになりました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 世界の鉄道運行最適化

    世界の鉄道運行最適化

    IBMの最初のイタリアのお客様である、イタリア国有の鉄道会社フェッロヴィーエ・デッロ・スタート(イタリア国鉄)は1928年に管理プロセスの自動化をIBMに依頼しました。未使用部品の在庫管理を徹底することで大幅に無駄を削減し、統計に基づいた交通分析を行って電車の運行スケジュールや車両の割り当ての効率化に成功しました。イタリア国鉄は、IBMの大規模・大容量データ・マネージメント・テクノロジーを早期に導入し活用した企業の1つです。IBMは、インド、オランダ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、チリ、中国、コロンビア、キューバ、フランス、グアテマラ、ハンガリー、メキシコ、ポーランドおよびユーゴスラビアの鉄道整備にも貢献しました。
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  • Watsonと名付けられたコンピューター・システム

    Watsonと名付けられたコンピューター・システム

    IBMが開発したコンピューターWatson(ワトソン)は、最先端の質問応答テクノロジーで自然言語を処理し理解できる最新のコンピューターです。膨大な量の解析処理を並行に実行し、言葉の裏に隠された真の意味を理解して関連性のある情報を探し出し、正確な回答とその確信度を生成することができます。2011年2月、Watsonは米国のテレビ・クイズ番組「Jeopardy!(ジョパディ!)」で人間に勝利し、歴史的快挙を達成しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • インターネット時代の幕開け

    インターネット時代の幕開け

    1987年、IBMは全米科学財団とビジネス・パートナーであったMCI社およびMeritと共同で、米国内の大学とスーパーコンピューター・センター6ヶ所を結ぶ、高速の国立科学財団ネットワーク(NSFNET)を開発しました。NSFNETはインターネットの通信速度を飛躍的に向上させ(バックボーンの帯域幅を毎秒56キロビットから毎秒1.5メガビット、そして最終的には毎秒45メガビットに向上)、インターネットの信頼性と普及を促進しました。1995年にインターネット・インフラストラクチャーの管理が通信キャリアおよび民間のインターネット・サービス・プロバイダーに移管された際のインターネット人口は、93カ国におよそ5,000万人でした。
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  • RAMAC

    RAMAC

    世界初のハードディスク・ドライブは家庭用冷蔵庫を横に2つ並べた位の大きさで、24枚のディスクを毎分1,200回転させ、毎秒100,000ビットの速度を実現しました。IBM RAMAC (Random Access Method of Accounting and Control)と名づけられたそのハードディスク・ドライブによって、急速にデータを結合/照合し、情報を1ビットずつランダムに読み込み/変更するなど、企業はデータの新しい活用手段を手に入れました。RAMACはIBM製磁気テープ装置と同時に1956年に発売され、データ・ストレージ産業を飛躍的に発展させました。
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  • エキシマ・レーザー手術

    エキシマ・レーザー手術

    1981年、IBMの科学者ランガスワミー・スリニヴァサン、ジェームズ・ウィン、サミュエル・ブラムの3人は、新たに発明されたエキシマ・レーザーが周囲の組織を破壊することなく微細に、そして瞬時に、生体組織を切開できることを発見しました。この発見はレーシックやPRKなどの角膜屈折矯正手術の実現につながり、痛みを伴わずに角膜の形状を変えて視力を回復させることができるレーシック手術は、世界中の何百万人という人々のクオリティ・オブ・ライフ向上に貢献しました。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • 磁気テープ技術

    磁気テープ技術

    1969年、CIAからIDカードの制作を依頼されていたIBMの技術者フォレスト・パリーはある問題を抱えていました。磁気テープとプラスチックをうまく接着することができなかったのです。自宅に帰り、ちょうどアイロンをかけていた妻に相談したところ、アイロンで磁気テープを接着してみてはどうかと提案されました。そこで試してみたところ、うまく接着させることができたのです。磁気テープが小売業界の店頭端末とデータネットワークに導入されたことでクレジット・カードの普及が世界的に加速し、商業の様相は一変しました。
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  • 初の給与制導入

    初の給与制導入

    トーマス・ワトソンSr.は社員が誇りをもって仕事ができるように常に配慮していました。1934年、彼は当時一般的であった出来高賃金制度に反旗を翻し、時給制を導入しました。その後も時給制を採用し続けたIBMは、1958年に産業界としては初めて国内の全時給制正社員を給与制に切り替えました。この給与制の導入により、国内の全社員に平等な報酬制度が適用され、公平で経済的に安定した職場環境を実現しました。
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  • 食糧供給の最適化

    食糧供給の最適化

    1988年、IBMはデンマーク政府と協力して国内の畜牛のデータベースを作成しました。このNational Cattle Databaseには、国内120万頭のウシの産出量、繁殖能力、家畜に関する詳細な記録、病歴、乳房の大きさや形などの幅広い情報が収録・管理されています。このデータベースによって農場主は1頭1頭のウシについて繁殖や産出量を最適化できるようになり、これによってデンマーク政府は農産物の輸出に欠かせないトレーサビリティーを徹底できるようになりました。IBMは現在も世界中の政府、農業、漁業を支援して、生産量の最大化や安全性および品質の確保などを可能にする、スマートな食品流通の実現に取り組んでいます。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • フロッピー・ディスク

    フロッピー・ディスク

    フロッピー・ディスクを開発したIBMの技術者たちは、フロッピー・ディスクがこれほどまでに一般消費者に浸透するとは夢にも思っていませんでした。フロッピー・ディスクはもともと、IBMのシステム/370メインフレームのデータをより効率的に管理するために開発されました。しかし、サイズが小さく、限りなく増えていくデータ量に対応が可能なこのフロッピー・ディスクは、すぐに小規模なシステムにも使われるようになりました。使い勝手、耐久性、柔軟性に優れていたフロッピー・ディスクは瞬く間に世間に広まり、当時普及し始めていたパーソナル・コンピューターの理想的な記憶媒体として一世を風靡しました。
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  • 半自動式防空管制組織(SAGE)

    半自動式防空管制組織(SAGE)

    冷戦の渦中、IBMはアメリカ政府から防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE)の開発を受注しました。システムの配備は1963年に完了し、床面積1エーカー(約1,224坪)の同システムが北米27箇所に設置されました。SAGEはリアルタイムでのマン・マシン・インタラクションを実現した世界初の大型コンピューター・ネットワークで、速度・高度・使用可能兵器などのデータのやり取りに用いられました。SAGEは多くのコンピューター・テクノロジーのベースとしては活用されましたが、幸い大部分の機能は1度も実戦では使用されませんでした。(以上すべて2011年現在の記述)
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  • IBM 1401: メインフレーム

    IBM 1401: メインフレーム

    IBMは1959年に、世界初の大容量のプログラム内蔵型、コア・メモリーおよびトランジスター使用のメインフレーム・コンピューター1401を発売しました。あらゆる業務用アプリケーションに対応できた1401は、1960年代初頭に世界で最も使用されたコンピューター・モデルとなりました。またIBMは1403チェーン式プリンターも発売し、高速大容量出力の時代へと世界をリードしました。1403は1970年代にレーザー・プリンターが登場するまで圧倒的なクオリティーで世界を席巻していました。1401は世界で初めて販売台数10,000を越えたコンピューター・システムです。
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  • UPCバーコード:小売業の変革

    UPCバーコード:小売業の変革

    UPC(Universal Product Code)バーコード・システムは、仕事に追われていたある人物の画期的なひらめきにより開発されました。1973年に発明されたUPCは、産業技術の向上に最も貢献した技術の一つとなりました。国際標準となったこのUPCバーコードは、長年にわたって非常に多く人々の目に触れているデザインの一つで、すっきりとシンプルな情報のマトリックスでありながら、あらゆる用途に合わせてカスタマイズ可能で、必要な情報をすべて埋め込むことができるという、IBMらしいイノベーションの一つです。UPCの開発は、小売業にコスト削減、顧客サービスの向上、正確な在庫管理、豊富なマーケティング・データの収集等の実現をもたらしました。店頭販売時点で情報を管理することにより(POS)、小売業を一変したのです。
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  • 特許とイノベーション

    特許とイノベーション

    1917年に技術者兼発明家であったジェームズ・W・ブライスを迎えたトーマス・ワトソンSr.は、発明への投資を約束しました。ブライス率いるチームは、IBMを知的財産の創造とその保護を行う推進企業として、その地位を確立しました。ワトソンの研究開発への投資は成果を現し始め、1929年までにはIBM製品の9割がその研究開発から生まれてきたもので占められました。ブライスのチームは1940年に真空管を使って加算・減算を行う手段を発明し、これが1950年代にビジネスを大きく変えた完全電子式のコンピューターの原型となりました。イノベーションから知的財産を創出するというスタイルがIBMの歴史を創りあげたのです。
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