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IBM 100年の軌跡
 

「THINK(考えよ)」という文化

強力な個性と価値を追求するアプローチで知られるトーマス・ワトソンSr.は、進歩的な信念を抱いて、強い影響力を持ち、グローバルで世界に誇れる企業文化へと育つ種をまきました。一方、その息子であるトーマス・ワトソンJr.は、ワトソンSr.が擁護し、他の社員が貢献を重ねたIBMの多くの慣行や信念をその後体系化することになります。礎石となるモットーをはじめとするIBM文化の創立時のビジョンは、才気煥発で先進的な考えを持つワトソン特有のものでした。

  • トーマス・ ワトソン Sr. 

    トーマス・ ワトソン Sr.
    「ワトソンは、複雑なことが単純に見えるようにすることを常に好み、さまざまな行動をあの5字の1語に取り込むことが大好きだった」ケビン・メイニー(Kevin Maney)、「The Maverick and His Machine(貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア—IBMを発明した男)」

    ニューヨーク州イサカ近郊の田舎で質素な少年時代を過ごした後、トーマス・J・ワトソンは販売の仕事を始めました。当初、ワトソンは訪問販売の自営業に就きますが、その後、オハイオ州デートンにあるNCR社で営業部長を務め、10数年の在職期間中に重役の地位にまで昇格しました。NCR社を離れたワトソンは、C-T-R社の統括マネージャーになり、1914年5月、同社を導くために幼い子供たちを連れてニューヨーク市へ引っ越しました。10年後、ワトソンはC-T-R社をInternational Business Machines(IBM) に社名を変更することになります。IBMの創立者兼会長として、ワトソンは、事業の象徴となる強力な会計機ビジネスを構築しました。IBM特有の経営スタイルを打ち立て、その企業文化を創造したことで高い評価を得たワトソンは、米国で最も著名な実業家にもなりました。大変な人気を呼んだワトソン考案の「THINK」のモットーは、セールスマン兼マーケッターとしての生涯にわたる彼の成功を揺るぎないものにしました。ワトソンは、急激な成長をIBMにもたらしました。ワトソンが亡くなった1956年、IBMは9億ドル近い年商を誇っており、これは、1914年にワトソンがC-T-R社の責任者になったときの年商の100倍に相当しました。

  • トーマス・ ワトソン Jr. 

    トーマス・ ワトソン Jr.

    IBM創立者のトーマス・J・ワトソンSr.の第一子であるワトソンJr.は、父親の出張や工場見学に付き添うことで、子どものころにIBMの事業と文化を教え込まれました。1937年にブラウン大学を卒業したワトソンJr.は、営業販売員としてIBMに入社し、父親の志を継いで出世の階段を上っていき、1956年にIBMの最高経営責任者になりました。ワトソンJr.は、リーダーとしてコンピューター時代の到来に備え、父親が成し遂げた以上の成長をIBMにもたらすために、IBMの活動を電子計算機に方向転換しました。ワトソンSr.ほど強い個性の持ち主ではなく年も若かったワトソンJr.は、父親が始めた文化的な慣行の多くを方針や制度として体系化しました。例えば、1962年、ワトソンJr.は「個人の尊重」、「最善の顧客サービス」、「完全性の追求」をIBMの基本的信条として導入しました。これらの着想は、現在のIBMの価値に踏襲されています。ワトソンJr.は会長兼CEOとして1971年までIBMを主導し、その後は駐ソ連米国大使を務めました。1987年、Fortune誌は、IBM株主のためにワトソンJr.が生み出した価値に対して「歴史上最も偉大な資本主義者」と彼を評しました。

  • リー・ オルウェル 

    リー・オルウェルはトーマス・ワトソンSr.の長年の友人であり、NCR社ではワトソンの同僚でもありました。ワトソンが「THINK」のスローガンを作った1911年の有名な営業会議の後、最初の「THINK」プレートを作ってNCR社の営業部の壁に貼る役割をワトソンが命じたのがオルウェルでした。このわずか3年後、ワトソンは「THINK」のスローガンを携えてC-T-R社へ移ることになります。それから数十年後、オルウェルは、1935年6月号のTHINK誌上でこのスローガンの起源について詳しく語ることになります。