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IBM 100年の軌跡
 

International Business Machinesの誕生

いつも思慮深い決定を下すワトソン Sr.は、当時経営が苦しかった会社の社名をInternational Business Machinesに変更することについて、いろいろな選択肢を検討し、信頼できる多くのアドバイザーの意見を求めたようです。しかし最終的には彼が一人で決断を下しました。数十年後、彼の息子がチームを組んでIBMブランドのビジュアル面を統一しました。

  • トーマス・ ワトソン Sr.(Thomas Watson Sr.) 

    トーマス・ワトソン Sr.
    「どんなビジネスでも、これが世界最高のビジネスだと信じなければ成功することはできません。」–トーマス・ワトソン Sr.

    ニューヨーク州イサカ近くの田舎で地味な子供時代を過ごしたThomas John Watson(トーマス・ジョン・ワトソン)はまず販売の仕事から始めました。最初は訪問販売で自営業を営んでいましたが、後にオハイオ州デイトンのNational Cash Register(NCR)社で働くようになりました。ここで10数年間をすごし、セールス・マネージャーを務めた後、幹部クラスへ昇格しました。NCR社の次に、Computing-Tabulating-Recording(C-T-R)社のゼネラル・マネージャーとなり、1914年5月に家族を連れてニューヨーク市に移り住んでC-T-R社の指揮をとりました。10年後、彼はC-T-R社をInternational Business Machinesという社名に変更しました。IBMを創立した会長として、ワトソンは強力なタビュレーティング・マシン事業を構築し、これは順調に成長しました。IBM独自の経営スタイルを確立し、企業文化を築くことで高い評価を得たワトソンは、米国で最も著名なビジネスマンにもなりました。1911年に作った「THINK(考えよ)」というモットーが非常に有名になり、セールスマン兼マーケターとしての生涯変わらない成功を予感させました。ワトソンによってIBMは急成長を遂げました。1956年に彼が亡くなったとき、IBMの年間売上高は9億ドル近くになっており、これはワトソンが1914年にC-T-R社の責任者となったときの同社の年間売上高の100倍に達していました。

  • ポール・ ランド(Paul Rand) 

    ポール・ランド
    「商標は、活力や効果というなかなか伝わりにくいものをうまく表現してくれるはずです。」–ポール・ランド、「Seven Designers Look At Trademark Design(7人のデザイナーの見た商標デザイン)」1952年

    米国のグラフィック・デザイナー、ポール・ランド(本名ペレス・ローゼンバウム“Peretz Rosenbaum”)—はPratt Institute、Parsons School for Design、Art Students Leagueで学びました。1930年代に新聞や雑誌にグラフィックスを提供する会社でパート・タイムのストック・イメージ・クリエーターとしてデザインの仕事を始めましたが、すぐにページ・デザインのクリエイティブ・ワークで国際的な注目を集めるようになりました。Esquire-Coronet誌フランチャイズ、そして後にはWeintraub広告代理店のアート・ディレクターとして、ランドはトレードマークとなった独自のスタイルを築き上げていき、米国一流のグラフィック・アーティストとしての名声を確立しました。ワトソン Jr.による全社的なコーポレート・デザイン・プログラムの一環として、ランドは長きにわたり使われているIBMの画期的な8本バーのロゴとその前身のロゴを作りました。さらに、1990年代前半までIBMのために人目を引くパッケージとマーケティング資料を開発しました。