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IBM 100年の軌跡
 

アポロ計画

 

1969年7月、2名の宇宙飛行士が初めて月面に着陸しました。これは人類史上最も優れたエンジニアリングの功績とされています。

IBMの社員4,000人(その大半がフェデラル・システム (Federal Systems) 部門に所属)が、アポロ計画を実行して地球まで安全に誘導するコンピューターを開発し、多くの複雑なソフトウェア・プログラムを書きました。
アラバマ州ハンツビルのジョージ・マーシャル宇宙飛行センターで働くIBMのエンジニアと技術者が、巨大なサターン・ロケットに組み込まれる誘導用の飛行制御装置を作りました。フロリダ州ケープケネディ(2011年現在のケープ・カナべラル)では、最終的なシステム・テストを実施し、40トンのペイロードを搭載した3,000トンのロケットの打ち上げに貢献しました。また、テキサス州ヒューストンのNASA有人宇宙飛行センター(2011年現在のジョンソン宇宙センター)では、NASAのフライト・ディレクターの傍らにあるコンソールの前に座り、宇宙船を地球周回軌道から月周回軌道へ乗せて、再び地球周回軌道に戻すために必要な分析を分刻みで行いました。
ワシントンD.C.近くのゴダード宇宙飛行センターでは、さらに多くのIBM社員が、宇宙船を追跡し、交信するために、リレー・ステーションと宇宙船の世界ネットワークを開発しました。ニューヨーク州オウェゴやその他の拠点のIBM社員は、小型集積回路を開発、構築して、IBM システム/360メインフレーム相当のコンピューターを冷蔵庫サイズからスーツケース・サイズへと縮小し、しかも宇宙へ飛び出しても大丈夫なほど頑丈にしました。
1969年7月20日、宇宙飛行士ニール・アームストロング(Neil Armstrong)とバズ・オルドリン(Buzz Aldrin)がアポロの月着陸船を司令・機械船から切り離し、月面へ降り立とうとしたとき、フライト・ディレクターを務めていたのがジーン・クランツ(Gene Kranz)でした。「決行、中止の決定を行う際に使ったシステム情報はIBMが開発したもので、(当日の)最終的な決行、中止の決定は、NASAのミッション・コントロール・センターにいるIBMのエンジニアが操作していたコンピューターから受け取りました。IBMとIBMの提供するシステムがなければ、月には着陸できなかったでしょう。」
IBMは、1940年代から30年間にわたって宇宙飛行に必要なスキルを取得し、ツールを開発してきました。米海軍は初期のIBM電気機械計算機を利用して、大砲の砲弾の弾道軌道を計算しました。1950年代後半には、米海軍研究試験所が小型衛星の打ち上げに必要な軌道計算を行うためにIBM 650コンピューターを採用しました。その間、IBMはSAGE(半自動式防空管制組織、詳しくはこちらの 進歩の象徴(US)をお読みください)と呼ばれる早期警報用レーダー防衛システムを構築し、爆撃機と米戦略空軍の大陸間弾道ミサイル(ICBM)タイタン・ロケット用の頑丈な小型コンピューターの開発を始めました。
マーキュリー計画とジェミニ計画によってNASAが宇宙飛行士を地球周回軌道に乗せ始めた頃には、IBMは60ポンド (約27キログラム)の宇宙誘導コンピューターを構築していました。このコンピューターは革新的な三次元の多層プリント回路基板を用いてコンポーネントを相互接続し、大幅な軽量化と配線の簡素化を実現したのです。
ウェルナー・フォン・ブラウン(Wernher Von Braun)博士のサターン・ロケット開発チームが誘導システムを探していると聞いたIBMのエンジニアたちは、タイタン・ロケット・コンピューターの一つを、宇宙船打ち上げを視野に入れて修正しました。これをステーション・ワゴンの後部に乗せてニューヨーク州オウェゴからアラバマ州ハンツビルのマーシャル宇宙飛行センターまで運んで接続し、1年間故障なく稼働させました。NASAは、これを見て満足し、サターン用の基幹誘導システムの入札に参加しないかとIBMに声をかけました。
NASAは平均故障間隔25,000時間、部品密度(トランジスタ、回路、半導体の数)45,000/立方フィートが保証されているシステムを求めていました。IBMは平均故障間隔40,000時間と部品密度250,000/立方フィートの案を提出しました。その結果、IBMが契約を獲得し、サターンの27の飛行制御装置を開発しました。各装置は長さ360フィートのロケットにおける高さ3フィートのセクションとして、第3段の最上部に配置されました。
IUと呼ばれるこれらの装置は期待に応えました。初期のサターンI型の飛行で、ロケットの8つのエンジンのうちの1つが故障し、計画が危ぶまれた際、IUは他の7つのエンジンを整備することで推進力の変化を補正し、この飛行を救いました。アポロ12号では、サターンV型ロケットが2回雷に打たれ、一時的にミッション・コントロールと宇宙飛行士の司令・機械船の飛行計器との交信が不能となりました。しかしIUは機能し続け、ロケットの飛行は順調に維持されました。
目に見えないところでは、IBMの数多くのプログラマーとシステム・アナリストたちが働いていました。宇宙探査機を打ち上げ、240,000マイル先の動く標的に静かに着陸させ、太平洋上の回収艦から数マイル以内の場所に戻って来させるため、彼らは率先して天体力学理論を単調な数字へと置き換える作業を行ったのです。
マーシャル宇宙飛行センターとケープ・ケネディのIBMプログラマーたちは、サターン・ロケットを月周回軌道へと打ち上げるIUを構築し、プログラムを書くことに貢献しました。ゴダードのチームが書いたプログラムによって、宇宙船を追跡し交信を行う4つの船と17の局からなる世界規模の追跡ネットワークが構築されました。
ヒューストンのミッション・センターでは、大勢のエンジニアとプログラマーたちがNASAのリアルタイム複合計算機システムにある5台のIBM システム/360 モデル75コンピューターを使って仕事をしていました。計画の速度、飛行経路角、インパクトの時間と位置に関するあらゆるデータは継続的にモニタリングされ、計算されました。アポロ11号の再突入軌道—地球に安全に帰還するためには、6度という狭い角度で突入しなければなりませんでした—については、この計画を通じて計算と再計算が400回ほど行われました。
アームストロング、オルドリン、司令船のパイロット、マイケル・コリンズ (Michael Collins)を乗せたアポロ11号は7月24日に太平洋上の回収艦から15マイル離れたところに着水しました。1975年にこのプログラムが終了するまでに、アポロは月に6回着陸し、12名の宇宙飛行士が月面を歩行しました。人類が他の天体を訪れたのは歴史上、このときだけです。
アポロ11号が太平洋に着水したまさにその日、IBM フェデラル・システムズ部門の長であったボブ・エバンス(Bob Evans)は、社員に宛てて手紙を書きました。「確かにアームストロング、オルドリン、コリンズをはじめとするすべての宇宙飛行士は、最も勇敢で高い技量を持つ人物として評価されなければなりません。しかし、月面を歩いた彼らはより多くのメンバーによるチームの一員だったということを忘れてはなりません… そのチームの4,000人のメンバーがIBMのフェデラル・システムズ部門の社員であったことを私は大変誇りに思っています。」