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史上初の「緩まないねじ」が世界を救う――小学校“自主”休学の天才発明家・道脇裕の「常識をネジろう!」

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人類にとって2000年以上も昔の紀元前から解決できなかった超難問、「緩まないねじ」を画期的な発明によって実現した天才日本人がいる。株式会社NejiLaw(ネジロウ)代表取締役社長の道脇 裕氏である。その発明の原理は19歳の時、わずか数秒で考えたという。
道脇氏が開発した「緩まないねじ(L/Rネジ)」がどれほど頑強かを物語る有名なエピソードに、米国航空宇宙規格(NAS)にのっとった耐久試験をあっさりクリアしただけでなく、逆に試験装置の方を壊してしまったということがある。その評判は瞬く間に世の中に知られることとなり、数々の賞を総なめにした。
道脇氏は小学校を5年で“自主”休学した。理由は「今の教育システムに疑問を感じる」だった。それ以来、まともに学校には行っていない。子どもの頃は大学教授の母親の研究室で実験に明け暮れ、長じては新聞配達や漁師、とび職などの職を転々としながら独学で20,000件以上もの発明を生み出すという、実に型破りな人生を送ってきた。
L/Rネジは、プラントや橋梁、送電鉄塔、建築物、飛行機や自動車等から腕時計、メガネやインプラントに至るまで幅広く応用できる。老朽化や災害などでねじの緩みが原因となる事故を無くすことができ、日本のみならず世界の危機を救う画期的ツールになる可能性を秘めている。道脇氏は更に、L/Rネジを応力センサーとして用いて締結作業の適切性判断や締結状態の常時監視、構造物の異常検知を可能とし、健全性を見える化する「スマートネジ」も開発した。
普段は、まともな食事時間を確保することも難しく、気付けば夜中になっていることも少なくない。それでもなんとか日に1食は軽食だけでも摂るようにしているという。脳を動かすのに不足する糖分は、常にペットボトルのレモンティーで補給するという道脇氏に、L/Rネジの事業展開や日本の教育のあり方、今後の抱負などについて伺った。

「緩まないネジ(L/Rネジ)」とは
緩まないネジ(L/Rネジ)
ボルトに組み付けた2種のナットを機械構造的に結合。互いにぶつかり合う、または引き合うことでロックされる。
出典:NejiLaw HP

 

道脇 裕
道脇 裕
(みちわき・ひろし)

株式会社NejiLaw 代表取締役社長
1977年群馬県生まれ。 小学校5年の時に自主休学して、大学教授であった母親の大学研究室で多くの実験を行う。その後、新聞配達やチラシポスティング、漁師やとび職等々さまざまな仕事を経験しながら、物心が付いた頃から日常化していた「発明」を続ける。10代の終わりに、学校教育の本質的重要性に気付き、大学受験資格検定(大検)を受検し、見事合格。続いて米国・コロラド州の大学にも留学するも、5日でドロップアウト。2009年、“緩まないネジ”を社会に送り出すために株式会社NejiLawを創立。 同年、2009年度 日本MITエンタープライズフォーラム(現日本MITベンチャーフォーラム)のビジネスプラン・コンテストでMost Attractive Award(最優秀賞)などの賞を受賞。 東京都ベンチャー技術大賞・2011大賞=東京都知事賞、GOOD DESIGN AWARD金賞=経産大臣賞、日本イノベーター大賞優秀賞ほかを受賞。次代を創る100人、世界に誇るべきニッポンの100人、日本を動かすベンチャー100にそれぞれ選出される。経産省より戦略的基盤技術高度化支援事業を受託。2014年に官民ファンドである産業革新機構等の第三者割当増資による出資を受け、現在に至る。

きっかけは、夜中。運転中に車のタイヤが外れてしまった

――「緩まないねじ(L/Rネジ)」の発明は、どのようにして生まれたのでしょうか。

道脇 19歳のある日、真夜中に古い愛車、簡単に言えばオンボロの車を運転していた時のことです。突然ハンドルを取られて車がズズズッと路肩に引きずられ、その瞬間、黒いものが猛スピードで走行中の愛車を追い抜き去って行くのが、視界に入りました。数百メートル先まで転がって行ったもの、それはなんと、走行中の僕の車から外れたタイヤだったのです。
タイヤは車体側のハブという部品に埋め込まれた5本のボルトで固定されていましたが、そのうちの1本が折れ、残りの4本はナットが緩んで外れてしまっていました。
それは、「ねじって本当に緩むんだ・・・」と深く体感した瞬間でした。もし人通りの多い日中だったら、人身事故につながっていたかもしれません。

後日、「緩まないねじを実現することは、不可能である」と耳にした僕の脳は、いつものように「不可能が証明されたのか?不可能を証明することは可能を証明することより難しい。不可能が証明されていないのであれば、不可能とは言えないだろう。では可能にする構造を考えて、反証しよう」と動き始めたのでした。
その数秒後、僕の脳はそれを可能とする原理と構造を考え出していました。ボルトの構造と同時にナットの構造を考え、緩まないネジの原型は、この時でき上がったのです。

道脇裕氏

ベンチャー・キャピタルの出資を断って資金ゼロで起業

――まさに「常識をネジろう」という発想ですね。ところで、道脇さんはこれまでに20,000件以上の発明をされていて、大半が未発表だと聞きます。その中から事業化にL/Rネジを選んだのは、どのような経緯があったのでしょうか。

道脇 僕にとって発明は日常であってどちらかというと反射現象に近いかも知れません。それは、いわば思考のクセのようなものです。そしてそれは、本質的な問題や課題を感じ取り、原因や要因を見いだし、メカニズムや原理を突き止め、解決策を考え出すという思考の流れが常に循環しているような。それに付随して、1つの発明をしている間に別の発明が次々と、まるで河の流れのように出てくるのです。

そんなある日、有名企業の顧問をされていた親しい人から「どんな発明も道脇さんの頭の中にあるだけでは、世の中の役には立たないので、形にして世に出しましょう」と促されました。その後、数年間にわたってことあるごとにお声がけいただき、いつの間にか周囲には10人を超える僕の応援団ができていました。

そこで、目ぼしい発明を200件ほど書き出し、実現性や事業性、費用等について、皆で検討することになりました。その結果、「事業化するなら、これからの世の中に大きな貢献ができ、投資も比較的少なく実現性の高そうな緩むことのない(L/R)ネジがいい」となったのです。
ただ、その時リストに書いたのは「緩まないネジ」というタイトルと概要だけで、図面も見本もありません。原理を説明しても、誰もが「構造をイメージできない」というのです。そこで、紙粘土でL/Rネジの形状を造ってみたのですが、ますます首をかしげるばかりでした。それでも「道脇さんが言うのだから間違いないだろう」と皆信じてくれました。

頭の中での考案から11年後の2007年、紙粘土製ではあるものの初の試作品を製作し、その翌年には特許出願を行い、09年にその開発と事業化のための会社を創業しました。創業したものの、当時は資金“ゼロ”の会社でした。オフィスも無く、机や椅子さえ無い小さな小さな会社の会議は、いつも喫茶店や駅の待合室、支援者の会社の空き会議室を使わせてもらうといった状態でした。
創業のきっかけとなったのは、ちょうどその頃に出会ったある教授の勧めで2009年度の日本MITエンタープライズフォーラム(現日本MITベンチャーフォーラム)のビジネスプランコンテストに応募することになったことでした。応募するからには個人よりも法人の方がよいとの結論から株式会社NejiLawを設立したのです。
こうしてビジネスプランコンテストに出場することになり、その結果として、おかげさまでMost Attractive Award(最優秀賞)などの賞をいただくことができました。余談ではありますが、例年副賞があった当ビジネスプランコンテストでは、前年に起きたリーマンショックのあおりでこの年、副賞はつきませんでした。
コンテスト後、複数のベンチャー・キャピタルから出資の声をかけていただきました。ですが、すべてお断りをすることにしました。資金難にあえいでいた時だったので、胃から手が伸び出るほどだったのですが、道に迷わず、流されず、どんなに苦しくても甘えることなく、信じる道を小さくとも一歩一歩自力で歩んで行こう。たとえ時間はかかっても、独立独歩で着実に進んで行こうと決意していました。
ですから資金面では創業当時から大変苦労しました。

道脇裕氏

試験装置を壊してしまった「緩まないネジ」

――NejiLawのネジは緩まないあまり、ねじの緩み試験で逆に試験装置を壊してしまったそうですね。

道脇 そうなのです。世界で最も厳しいとされる米国航空宇宙規格(NAS)にのっとった振動試験機で、L/Rネジの緩み耐久試験を実施した時のことです。その試験では、17分間緩まなかったら合格とされています。それが17分たっても全然緩む様子が見えない。しばらくそのままにして、どこまで耐えられるか試すことになりました。ちょうど3時間くらい経過した頃、試験室から聞こえてくる音が何だかおかしい。いよいよ限界点が来て緩んでしまったかと急いで試験室に飛び込むと、ネジが床に散らばっていたのです。「あれ、ネジが増えている?」と思ったら、なんとそのネジは試験装置側のねじだったのです。L/Rネジが緩んだのではなく、試験装置の方が先に壊れて試験装置を構成しているねじが飛び出して散乱してしまっていたものだったのです。緩まないネジの実力を確信した出来事でした。

――その後次々と賞を受賞され、「L/Rネジ」は広く知られるようになりました。

道脇 資金不足を何とか解消しようと、できる限りの賞に挑戦しました。いくら技術に自信を持っていても、資金が無くては何もできません。世に広めるためには権威ある賞などによる信用も必要です。そして、2011年2月には新技術開発財団の助成に採択され、8月に川崎起業家オーディションの大賞を受賞しました。10月には東京都ベンチャー技術大賞も受賞しました。同年11月には「GOOD DESIGN賞」の金賞を受賞し、2012年、経産省の戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン事業)にも採択され、いよいよ量産技術の開発がスタートしたのです。

道脇裕知財全集
「道脇裕知財全集」。20,000件を超す発明のうち、特許を取っているものはほんの一部。何しろ発明は少なくとも1時間に1つ、毎日ダース単位で浮かぶ。特許を取得する手間も資金も追いつかない。メモを取ることさえ追いつかない。

一人一人の独創性を伸ばすことが本当の教育

――ところで、道脇さんは小学校を自主休学されています。お母様は大学教授、お父様は某大手化学メーカーの研究所所長、役員という家庭と聞きますが、なぜ休学に至ったのか、お聞かせいただけますか。

道脇 個人の能力や興味対象は千差万別で、それに対する万能の処方箋は無いと思っています。あるとすれば、社会全体が愛情を持って子どもに接すること、見守ることが大切なのではないかと。親が子どもに、先生が生徒に、近所の人が子どもたちに接するとき、大切なのはやはり愛情です。それと教育内容や方法は、時代を読みながら時代に合わせて行く必要があると思っています。

小学校に入ると、学校とはどんなところかとわくわくしましたが、入学して程なく授業は自分に合わないと感じました。先生が授業で説明してくれることは教科書にほとんど書かれていて、その内容は1週間もあれば授業中に全科目の通年分を理解できてしまう。するとその後の1年間近くの時間は一体どう過ごせばよいのであろうかと思いました。
1年生の時から教科書やノート、筆記用具はすべて学校に置きっ放しにして帰っていたので、いつも忘れ物はゼロ。ランドセルに入っているのは探検用の懐中電灯やロープなどでした。それらの7つ道具的な物は、下校時に遠回りしたり、下水道を通ったり、毎日違う道無き道を進んで探検しながら帰宅していたので、その探検に必須アイテムでした。

小学校に入学した初学年は、学校というところがどういうところか解らずに通っていたわけです。その状況は、2年生に進級すれば変わるかも知れないと通い続け、3年生、4年生になっても何等変わらない状況が続きました。結局、僕は小学校に通うべき理由を知らずして丸々4年間通っていたわけです。当時は、偏差値偏重が極度に進んだ末期の時代背景がありました。正解が決まっている問題を模範解答に忠実に、そしていかに早く正確にこなせるかが問われ、それができる子どもが優等生で、将来の企業戦士として有望視されていました。世の中はアメリカに追いつき追い越せの時代でもありましたが、教育の効果が出る20~30年後は今とは違う社会になるはずです。アメリカに並ぶようになった日本は、アメリカを真似るのではなく、自分で課題を見つけ解決策を考えて実行することが重要な社会になるのに、そういう教育になっていない。これでは、本当の能力は伸びない上、そのような状況に移行した際に社会を支えられる人材がいなくなってしまうだろうと感じたのでした。

大切なのは、個々の子どもの持っている独創性を伸ばすこと、そしてその独創性を昇華させる裏付けとなる盤石な基礎を構築させることです。このまま中高大学と進んでも、今は独創性を持っていても遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、自分も量産型みたいに画一的な人間になってしまうだろうと、僕はおそれを抱いたのでした。そのような未来社会のギャップ、つまり独創的で問題解決型でさまざまなモノゴトを共有できる人が多く必要な社会であるが、反面そのような人はほとんど存在しないというギャップは、僕1人の問題なだけではなく、日本全体にとっての甚大な損失でもあるので、1人でもその量産型ラインから降りるしかない――これが5年生当時の僕の解決策だったのです。
そこで、「自分は、勉強が嫌いではない。むしろ好きな方だ。それでも今はそれをするときではない。他にもっとすることがある。だけれども自分はいつか必ず学問の道に戻ってくる。その日が来るまで見守っていて欲しい」。親と学校にそういう考え方を説明して、自主休学しました。親は僕の性格をよく知っているので、僕の意思を尊重してくれました。そして、その後10年近くもの間、見守り続け、待ち続けてくれました。

道脇裕氏
道脇氏は、発明の内容を各担当者たちに、いつでもどこでも説明して共有するため、身近な壁という壁はすべてホワイトボードにしていますと笑う。

社会常識の欠如を痛感。結局、学問に戻ってきた

――小学校は義務教育ですが、その面での支障は無かったのですか。

道脇 その辺りにつきましてはよく誤解されるのですが、義務教育というのは、「子どもは学校に行って教育を受けなければならない」という子の義務ではなく、「国や親が子どもに教育を施さなければならない」という社会や親の義務なのです。明治維新の後、政府は学校をつくりましたが、多くの子どもたちは野良仕事や親の手伝い、でっち奉公などで、登校できない状況があったわけです。そこで先生たちが各家庭に、「子どもに教育を受けさせるのは親(政府)の義務です」と説得して回ったわけです。それが義務教育の始まりなのです。

学校に行かなくなった頃は、大学で物理や科学の教鞭をとっていた母親の研究室に入り浸って、喜々としてあれこれ実験をしていました。そこには実験道具はいくらでもありました。回路設計や電子工作みたいなことをしたいと思えば、装置も器具類も書籍もそろっている。僕は夢中でいろいろな物を作ったり分解したりしました。特殊な電極で電気分解をして酸性水と塩基性水とを分離したり、有機物を熱分解させて炭化水素を発生させたり、塩酸や硫酸などの劇薬を使った実験をしたり、好奇心旺盛な少年にとって、そこは格好の遊び場だったのです。
またあるときは1日中、公園のベンチで、バス停で乗り降りする人たちを眺めたりしていたこともありました。スーツのビジネスマン風の人、中年の女性、作業着の人、学生服を着た人などみんな疲れた顔をして、それでもせかせかと満員のバスに乗る姿を観察しながら、社会とは一体どういうものなのだろうと思索にふけっていたのです。
その頃には、新聞配達、チラシのポスティングの仕事を、商店街を回って受注したりするなど働くとはどういうことなのかを考え、実行するということもしていました。その後は、漁師見習い、とび職、内装リフォームなど、さまざまな仕事をして10代の終盤近くまでを過ごしました。実際に稼いでみないと、社会の仕組みが分からないと思い、いろいろな仕事を経験したのでした。

しかしある日、友達と話していて、自分に知識や社会常識が全く無いことに気が付きました。本も新聞も全く読まなかった上、人の話を聞いてもニュースを見ても理解できず、世の中とのギャップを痛感しました。自分はバカなのだと。

では、バカを克服するにはどうしたらいいか。知識が無いから知識が必要なのではないか。知識をつけるにはどうしたらよいだろうか。そうだ本と新聞を読もう。本を読むには、漢字を知る必要がある。では漢字の勉強をしよう。旧い言い回しも知っておく必要がある。それでは古文も漢文も必要だ。新聞には、経済や社会のことが書かれている。すると、経済とは何かを知る必要がある。社会もだ。社会には歴史や文化が関係している。日本の歴史も世界の歴史も必要だ。それに地球の歴史、宇宙の歴史もある。文化とは何かも知る必要がある。それから経済には数字や計算が付き物だ。それでは計算ができないといけないから算数も学習しておこう。その延長に数学があるから数学も勉強したい。数学を知っておけば、経済だけではなく、あらゆる本質に通じているに違いない。技術にも関係している。技術といえば、その基礎は物理学や化学、工学が関係している。するとそれらも学ぶ必要がある。それから人とコミュニケーションをはかるには人の心も理解できなければならない。そうだ心理学も必要だ。というようにバカを克服するのに必要なことを考えては書き連ね、書いては考えてと進めていったら、漢字から宗教、哲学、神学に至るまで何十項目になりました。こうしてできたバカ克服プログラムを眺めていたその時、「そうか、これはまさに小学校から大学にかけて学ぶ教育カリキュラムそのものではないか」と気が付いたのです。と同時に、このことが、僕が学問の道に戻るきっかけとなったのです。

そこで、まずはバカ克服のマイルストーンとして、大学受験資格検定(大検)を受検することを決意しました。ですが、試験まではあと3カ月しかない時期でした。
それからの3カ月間というもの、昼夜を問わない徹底した独学による自習に没頭し、平均学習可能猶予期間8日間という詰め詰め工程の中、大検は無事全11科目合格することができました。
その後、数年来の知己で予備校の校長をされていた人の勧めで、米国コロラド州の大学に留学しました。それは、その人が留学費と生活費、渡航費に至るまでを与えてくれたことによって実現したものでした。ところが、またしても僕は学校に通わなくなってしまったのです。通ったのはわずか5日間でした。やはり学校という枠が僕には合わなかったようです。その後は、現地でしかできないことを目一杯しようと、大学の先生や研究者、作家と仲良くなって、豊かな日々を過ごしました。帰国後、いの一番にそのパトロンのところに真っ先に報告に行くと、「で裕は、どれくらい学校には通ったの?」と訊かれ、「5日間で辞めてしまいました」とこたえると、彼は大きく頷きにっこりしながら「さすが、裕。そんな感じだろうと思ってはいたんだけど、5日間とはすごい。それでこそ裕だ。」と笑うのでした。

帰国後の何年間かは家に閉じこもり、数学の研究、特に自然数の構造と性質についての研究に没頭しました。
先人のアプローチや考え方を一切学ばず、完全に独自に「素数分布構造」を解明したり、「離散と連続を連結する解析的剰余式」を導出したりと、ほとんど家から出ることもなく、インスタントラーメンと納豆を食として、寝る際には敷き布団の下でわずかばかり寝るというスタイルで何年もの間、数学と戯れていました。
またそのずっと後には、かのアインシュタインも悩んだといわれる、「ゼロ除算」(例えば1÷0)に関する論文も著しました。ゼロで割ることはできないというのが数学史上の常識ですが、その問題に答えを出し、世界の数学者の評価を受けているところです。
小学5年生の時の“自主”休学で親を説得した際、僕はこう約束しました。「何年かかるか分からないけれど、自分は必ず学問の道に戻って来る。心配せずに温かく見守ってほしい」。時間はかかりましたが、その通りになりましたね。

道脇裕氏
食事は基本的に1日に1食となることが多い。他にはレモンティーを10本ほど。
液体から摂取するその糖分が、即効的に脳の活動を効率よく促進させるという。

第二次ネジ革命、マルチセンシング機能を備えたIoT「スマートネジ」を開発

――現状での商品化の事例はどのようなものがあるのでしょうか。また今後のビジネスの方向性についてお聞かせください。

道脇 商品化の1例としましては、カシオ計算機株式会社の腕時計「G-SHOCK」があります。時計本体とバンドをつなぐ部分にL/Rネジをご採用いただいております。搭載モデルが剛体である腕時計本体とゴム製のバンドという構成であることから、普通のねじでは、いくら締めても適切な締結状態が得られず緩んでしまいますが、それをL/Rネジで解決しました。

ネジ単体だけでなく、ボルトやナットを含めた接合部材の応用開発も進めています。詳しくは言えませんがその1つには、IoTとしての「スマートネジ」があります。これはL/Rネジ自体をセンサーにしたもので、ネジ型センサーともセンサー型ネジとも言えます。
スマートネジに極微弱な電圧をかけて電位の変化を調べると、ネジにかかる応力の状態や異常を検知できます。普通のねじで止めた場合、電位に異常値が出ても、その原因がねじの緩みによるものなのか、周辺の応力状態の変化によるものなのか、区別がつきません。さらに緩みが進行してしまえば、応力自体を検知できなくなってしまいます。
しかし、スマートネジであれば、原因としてネジの緩みは初めから除くことができるので、周辺応力状態の変化を反映しているものとして正確に応力測定ができます。このアイデアは、19歳の時のタイヤ事故でL/Rネジを発案した翌日に考え出しました。緩まないねじが実現できるなら、精確な応力検知ネジを実現することができると。

道脇裕氏

経験豊富な作業員や技能者、技術者の引退や減少を、スマートネジが補う

――応力を測れるスマートネジは、プラントや建築物など応用範囲が広そうですね。

道脇 はい、その通りです。例えば、ある種の社会インフラ的なプラントは全国にあり、時に深刻な事故が起きています。それでもこれまでは、立上げの時代から携わっていた現場力の極めて高い経験豊富な多くの作業員の方々によって、正常な運転状態が守られているわけです。ところが今後の社会では、経験豊富な担い手が高齢化してどんどん引退され、その担い手は、人数としても減少した経験の浅い人に替わっていくというのが実情です。今後の社会の中で、大きな事故などが起こらないように操業を長期的に持続させることは、容易ではないでしょう。ひとたび大きな事故が起これば、経営に大きな打撃になるだけではなく、その生産を頼りにしている社会も大きな損失を被ることになります。「ヒヤリ・ハット」までを含めると、大小を問わずトラブルの原因の多くはねじ回りにあるとされています。
各種のプラントでは、大小さまざまなねじが膨大な数使用されています。重要な設備の要所を留めるねじには、非常に高度な締結技能が要求されます。締め忘れや締結状態に重大な変化を与える急激な温度変化などのリスクがあっても、外見では異常の有無を確認できません。

道脇裕氏

――プラントの他に想定される応用例を挙げていただけますか。

道脇 例えば鉄塔は、国内に約24万基ありますが、鉄塔1基あたりには万本単位のねじが使用されているといわれています。つまり24億本以上のねじが鉄塔に使われていることになります。その管理は数人1組で現場を回って鉄塔に登り、ねじ1本1本、サビや塩害や鳥害の有無を目視確認したり、打音検査をしたりして緩みなども確認されています。
高所でしかも高電圧。雨天や落雷などを考慮するとその危険性はさらに増してしまうと思われます。それを人海戦術でやっていることになるわけですが、今後は人口減少でこの種のインフラの維持管理も人手不足が深刻化してしまうことから、これまでの保守管理の方法のままでは持続性が危ぶまれます。
そこで、そのようなところに役立つモノをつくろうと開発したのが、スマートネジなのです。高速道路やトンネル、橋、鉄道、高層建築、航空機や自動車などのねじが緩めば、大惨事につながりかねません。また、ねじの緩みのみならず、被締結部材等の構造体の応力状態を知ることができれば、適切な運用、保守管理ができ、事故も未然に防げます。
世界的に自然災害の大規模化が進行する中、日本では特に地震、台風、竜巻、大雨、火山噴火などの天災が巨大化し、しかも頻発しているだけでなく、同時発生まで起きています。
今年9月の台風15号の前後には地震、竜巻、噴火も起きました。国の安全基準は災害ごとに別々に作られており、同時発生は想定されていません。連続的に発生する心配もあり、何万戸もの建物やインフラの被害を1つ1つ点検することは極めて困難です。困難というよりも、実質的にほとんど不可能な状態になってしまいます。人手は足りず、外見だけでは正確な判断ができません。

2016年の熊本地震では、震度7が2回襲いました。1回目の震度7に耐えた大学の学生寮に居た学生が、2回目の震度7で被害に遭われるという痛ましい事故もありました。もしスマートネジが使われていれば、一見安全でも、内部は力学的に危険だと警告することができたのではないかと思うのです。
こうした情報があれば、警察や消防隊、自衛隊はもっと安全に、もっと効率的に救援活動を展開することができると思うのです。
日本の人口は、2060年には今より4000万人少ない8670万人になると言われています。つまり今後は平均して毎年100万人ずつ減る計算です。作業員も保守管理要員も技能者も技術者も減るので、老朽化したインフラや住宅の維持はますます困難になります。

では、どうやって現代社会の瓦解を防げばよいか。人口減少に合わせて、誰でも使えるテクノロジーをつくり、あまねく普及させることが求められます。
そこで、スマートネジを使えば、締めている作業最中からデータが取れるので、規則通りに締めたかどうかが「見える化」され、経験が浅い人でも正しく作業できます。また応力データを時間の経過に伴って取得し続けることで、プラントや建造物や乗物などの内部の隠れた異常をキャッチして、事故を予防することができるようになります。

L/Rネジ用の「N規格」体系を着々と整備

――道脇さんはL/Rネジを「N規格」として体系化すると述べておられます。進捗状況はいかがですか。

道脇 ISOで最初に規格が採用されたのは、ねじです。ねじはオスとメスを組み合わせて使います。ねじ山の高さやピッチが少しでも違うと互いに適合しないことになって使えませんが、規格に従っていれば、誰がどこで製造したねじでもオスとメスがぴたりと合い、強度も保証されます。
L/Rネジは、従来のねじに極めて似ていますが、構造はもとより機械的特性などにも違いがあります。そのことからL/Rネジとしては、現在日本で広く使われている「M規格」とは別の体系が必要になります。それがN規格です。ちなみにNは、新しい(New)、次なる時代の(Next)、ニッポン発の(from Nippon)、ネジの法則体系(Neji’s Law)というコンセプトから、新たな規格体系をN規格と名付け、社名をNejiLawとしたものです。
すでにN1(ネジの外径が1ミリの呼び径)からN300まででき上がっていて、それに合わせるメッキ仕様や特殊ネジの専用規格も整えています。

L/Rネジ以外にも発明を製品化したものはいくつもあり、その一部を当社のショールームで展示しています。例えば、東日本大震災で福島第1原発が被害を受けたのを見て、何とかしたいと開発した「放射線防護システムウォール」は、水の壁を簡易に造って放射線による被爆を防ぐための物です。また高速道路用の交通騒音消音デバイスである「ブライトライン」という、首都高速道路で採用されている物もあります。

道脇裕氏

旧態依然とした体質のままでは取り残される

――最後に、日本は近年、国際競争力の低下が指摘されています。新しいアイデアを次々と実用化されている立場から、現状をどのように見ておられますか。また処方箋があれば、お聞かせください。

道脇 世の中は相互に作用しながら刻々と遷り変わっていくわけで、旧態依然としたやり方や体質、構造のままでは、海外を含め周りの社会から取り残されてしまいます。
先進国は、例外無く高齢化して人口が減少しており、人口構造にも深刻な変化が顕れています。先進国が先進国になる過程で建設してきたインフラは、老朽化が加速し、いまや大きなリスクへと変貌しつつあります。これらを適切な形態で維持管理し、発展させていくことが求められます。しかも先ほどもお話ししたように、近年は確実に自然災害のレベルが著しく増大しています。これら自然災害レベルの凶暴化、インフラや住設の老朽化、人口減少・少子高齢化が重なり、深刻化すると、社会は維持できなくなってしまいます。「今、何が問題か」が判っているので、あらゆる方面からあらゆる取り組みをし、国民が総力を挙げて実行していくことが極めて重要で、それこそが社会を維持してゆくことができる唯一の道だと感じます。
今ほど、すべての人々が、目の前にある危機に真摯に取り組む姿勢が求められる時代はないのではないでしょうか。

TEXT:木代泰之、PHOTO:倉橋 正

※日本IBM社外からの寄稿や発言内容は、必ずしも同社の見解を表明しているわけではありません。

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