片山 博之
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
Healthcare & Life science
日本IBMでは、これまで提供してきたコンサルティング・サービスの実績に基づき、「先進ITで描く2025年のヘルスケア・ライフサイエンス産業の展望」をシリーズでお届けしています。今回は第3回として、未来のヘルスケア・ライフサイエンス産業のあるべき姿実現に向けたアーキテクチャーについて紹介します。
はじめに、ヘルスケア・ライフサイエンス産業のあるべき姿を振り返っておきます。第1回のブログでは以下が挙げられております。
- 患者データが蓄積され、全方位的に連携することで患者一人ひとりに最適化された医療サービスを受けることができる
- 患者データ連携に基づいたAI/ロボットの活用により、患者一人ひとりに合った医療の提供が可能となり、また医療従事者の業務負担を軽減する
- 遠隔診療やメタバースを用いたバーチャル病院により時間や場所に囚われずに医療サービスを受けることができる
- 患者のリアルワールドデータに基づいた創薬・医薬品開発により、患者状態にあった医薬品を見つけだすなど、少量多品種の製薬生産を実現することができるようになる
あるべき姿の実現における壁
これらのあるべき姿は一朝一夕には実現できず、乗り越えないといけない壁が存在します。ここでは想定される7つの壁を紹介します。
- リアルとバーチャルで分断された患者目線での利便性
- 患者デジタルツインを実現する健康・医療データの分散
- 臨床における医療AIの信頼獲得
- 医療施設ごとに異なるデータ仕様と施設に閉じたAI開発
- 研究成果物の臨床現場への展開
- 健康・医療に関する個人情報の取り扱いの難しさ
- 産学で連携したビジネス創造のためのスキーム不足
バーチャル空間に複製された患者デジタルツインを起点として、バーチャルの世界でも医療サービスを利用できるようになると、リアルとバーチャルを跨った患者・消費者のトータル・エクスペリエンスを向上する必要があります。
1人の患者の健康データ・医療データは病院・公共・民間などで分散して存在しています。患者デジタルツインの実現にはこれらのデータを連携・統合して利用できる必要があります。
臨床で利用される医療AIは、説明可能性・公平性・頑健性を有して信頼できるものである必要があります。
医療施設毎にコードが異なっている等、医療施設毎にデータ仕様がバラバラになっている状況により、複数施設を跨ったAI開発が難しい現状があります。
医療AIが施設に閉じた開発になりがちなのが現状ですが、どの施設でも比較的類似のニーズがあることも想定されるため、一度開発した医療AIを公開でき、臨床現場への迅速な導入を可能とする医療デジタルサービス基盤の構築が、医療AIの展開においては重要です。
個人情報や患者同意情報を扱う場合には、厳密な運用管理が必要になると同時に、多方面からのアクセスに耐えうるセキュリティーの実装が必要となります。
医療・健康データ標準化に基づく新たなサービスの開発と、産学で継続的に拡張するためのビジネス・モデルの確立が必要となります。
あるべき姿の実現に向けたアーキテクチャー
IBMはこれらの壁を乗り越え、ヘルスケア・ライフサイエンス産業におけるあるべき姿を実現するためのアーキテクチャー(図1)を提唱しています。これはIBMが公開している、「先進ITで描く2025年の世界」として、業界共通の枠を超えた共創や新たな体験の実現を加速するための業界共通の次世代ITアーキテクチャーをベースとしています。
このアーキテクチャーは6つの層で構成されています。ここでは各層について説明します。
- フロントサービス
- デジタルサービス
- ビジネスサービス
- 外部連携
- データサービス/AIサービス
- IoT&エッジ、クラウドネイティブ・プラットフォーム/オートノミック・セキュリティー
患者デジタルツインやメタバース(仮想空間/AR/VR技術)、医療AI・ロボット等の先端テクノロジーを活用し、個別化医療・健康増進を産業横断で実現する医療サービスをリアルとバーチャル双方で提供します。IBMではメタバースを用いた医療サービスの構築に取り組んでおり、バーチャル・ホスピタルを起点とした新たなサービスの開発・提供を目指しております。
順天堂大学とIBM、メタバースを用いた医療サービス構築に向けての共同研究を開始
患者一人ひとりに向けた医療サービスを実現するために、疾患の早期スクリーニングや重症化予測、医薬品の有害事象検知等、AIやブロックチェーンによるヘルスケア・デジタル資産をデジタルサービスとして提供することが可能です。医療サービス拡充の観点では、SNSやメタバースでの活動データ、バイタル・ライフログでの日常の健康・医療データ、および環境要因としての気象データ等と連携することもあります。
セキュリティーの観点では、特に患者一人ひとりに医療サービスを提供する場合、利用者が本人そのものであることの確実な検証が必要となるため、サービスの利用者のみが知っている情報で認証し、利用者の権限に応じてデジタルサービスへのアクセスを制御する統合認証・認可機能が必要です。また、デジタルサービスをWeb APIで提供する場合、ある時間内におけるアクセス回数の制限をかけるような流量制御の仕組みや、ユースケースによってはクライアント証明書の導入が重要となってきます。
医療サービスによっては医療機関・製薬企業・アカデミア・他プラットフォーム横断でのデータ標準化/連携が必要となり、HL7 FHIR(IBM外のWebサイトへ)に代表される国際標準規格でデータ交換を行うことで、多様な実装が存在する場合でも連携が容易になります。IBMでは複数の医療機関においてHL7 FHIRに準拠したシステム整備に取り組んでおります。
「ヘルスケアサービス向けデジタルサービス・プラットフォーム」を共同で検討 ハイブリッドクラウド環境上でのヘルスケア業界共通サービスでデジタル変革を目指す
次世代型スマート・ホスピタル構想の実現に向け、ヘルスケアサービス向けデジタルサービスの情報基盤の構築を開始
医療・ライフサイエンスの業務で生成されたデータをリアルまたは準リアルで抽出し、目的に応じて匿名化を含む利活用可能な形に変換し、デジタルサービスに連携します。また、フロントサービスで発生した個人の健康データを業務で活用することも想定され、デジタルサービスとの相互連携が行われます。
SNSやメタバースでのバーチャル活動データ、バイタル・ライフログの日常の健康・医療データ、および環境要因としての気象データ等と連携し、医療サービスを拡充します。
臨床現場や患者から発生する、健康・医療データの収集/蓄積や、医療AIモデルの共創基盤等、AIやデータ管理におけるヘルスケアエコシステム全体の基盤機能を提供します。
健康・医療データの収集/蓄積においては、対象のデータによって使用する技術が変わってきます。例えば、患者の同意情報のように改ざんを防ぎたいデータを扱う場合はブロックチェーンが有効な技術となります。また、医療AIで医療データを使用する場合は分析用に整理されたデータウェアハウス/データレイクを中心としたデータ基盤の導入を検討します。データ基盤が持つデータには、ビジネスサービスから連携される医療・ライフサイエンスの業務で生成されたデータが含まれ、目的に応じて匿名化を含む利活用可能な形に変換して保持します。データウェアハウス/データレイクに関連して、最近では医療データ分析向けの標準データ・モデルとしてOHDSI OMOP CDMの活用が検討されつつあります。下記ブログでOHDSI OMOP CDMを紹介しておりますのでご参考になさってください。
また、医療AIモデルの共創においては、複数の施設や企業でデータを共有せずにAIの精度を上げていくことができる技術として連合学習があります。詳細は下記ブログで紹介しておりますのでこちらもご参考になさってください。
先進ITで描く2025年の展望|医療AIが変える患者体験の未来
上記以外にも、主に運用面の要件によって必要となる可能性がある技術として以下があります。
エッジ(センサーや現場の機器、利用者、ウェアラブル・デバイス等)でデータを取得したり、その分析を行うことで、バーチャルに現実世界を再現したり、現場での状況判断や意思決定を支援します。
分散クラウド/分散データベース
分散クラウドは、クラウド・オンプレミスなどの異なる環境を統一的に管理でき、アプリケーションの構築や実行を迅速に行います。IBMではIBM Cloud Satelliteという製品を提供しています。分散データベースは、地理的な分散によらずデータベースの性能・可用性を高めることができ、最近ではトランザクション処理などのミッション・クリティカルな領域への適用例が拡大している技術です。実装例としては、Google SpannerやTiDBがあります。
DevSecOps
ソフトウェア開発ライフサイクルの全てのフェーズにおいてセキュリティーに関する運用管理を自動化していく取り組みです。
クラウドネイティブ・オンプレミス
オンプレミスを中心とした基幹系システム開発においてもコンテナや、Kubernetesに代表されるコンテナ・オーケストレーター等のクラウドネイティブ技術を活用し、クラウド並みのビジネス・スピードと生産性を実現します。
AIOps
学習モデルの作成から回答精度の維持/メンテナンスの一連の作業、またデータを利用できる状態に維持/メンテナンスする作業を自動化・効率化します。
オートノミック・セキュリティー
トータル・エクスペリエンスを損なわず、リスクに応じた自律的な認証を提供したり、IoTやエッジ機器が自動認証されたりすることで改竄やセキュリティー侵害を防ぎます。
おわりに
今回はヘルスケア・ライフサイエンス産業のあるべき姿実現に向けて立ちはだかる壁と、それを乗り越えあるべき姿の実現に向けたアーキテクチャーを紹介しました。また、アーキテクチャーに合わせて、一例としてIBMの医療AI/アプリ開発と基盤構築のケイパビリティによる実例もご紹介しました。IBMはリアルとデジタルが一体化する世界の訪れとそれに伴う変革や壁に対応するための解決策をテクノロジーと共に提供し、今後もあるべき姿の実現に向けて積極的に取り組んでまいります。本テーマにご興味・ご関心を持たれましたら、是非ともご連絡ください。