中山 透
日本アイ・ビー・エム株式会社
テクノロジー事業本部
クライアント・エンジニアリング事業部
Senior Client Engineering Manager
IT業界の営業として20年間、日本の自動車企業を担当。2016年からはデジタル・トランスフォーメーション(DX)の提案に注力し、共同研究プログラムの推進等を経て2021年、IBM Client Engineeringの発足から製造業を担当。
藤井 涼平
日本アイ・ビー・エム株式会社
テクノロジー事業本部
クライアント・エンジニアリング事業部
AI Engineer
新卒入社した大手計測・制御機器メーカーにてソフトウェア・エンジニアとして新製品開発に従事。その後、データサイエンスを主とする部門に異動。2021年8月に日本IBMに入社。
生成AIの業務への適用が広く検討されるなか、製造業でもさまざまな検討・試行が進められています。IBMには、お客様とともに新しいサービスやビジネスを共創していく「IBM Client Engineering(以下、クライアント・エンジニアリング)」という組織があり、IBMの生成AI「watsonx」を使った多数のパイロット・プロジェクトが進行中です。
製造業では生成AIをどのように活用しようとしているのでしょうか。パイロット・プロジェクトに見るユースケースの傾向をはじめ、成功事例、試行事例をクライアント・エンジニアリングの2人のメンバーが紹介します。
生成AIのパイロット案件はグローバルで800を超える
ーーまずクライアント・エンジニアリングという組織とお二人の担当業務について教えてください。
中山 クライアント・エンジニアリングは、IBMのハイブリッドクラウドやAI技術による施策の検討、その施策がお客様のビジネス価値につながるかどうかの検証等をお客様とともに行うチームです。これまでグローバルで50カ国、1,000を超えるお客様と生成AI以外のプロジェクトも含む5,000超のプロジェクトを実施、生成AI「watsonx」のパイロットの取り組みは800を超えています。
私は20年間、IT業界の営業としてR&Dから生産、販売、品質、サービス、管理など全域でのシステム導入の提案や契約を経験してきました。2021年にクライアント・エンジニアリングの組織が発足してからは、製造業のお客様を担当しています。
藤井 同じくクライアント・エンジニアリングのチームに所属し、AIエンジニアとして活動しています。最近はOpenAI社のChatGPTが爆発的な広がりを見せたこともあり、より信頼度の高い生成AIを用いた新規ビジネスやサービスをスタートできないかというお問い合わせをいただく機会が増えました。そうした声に応えていくために、IBM内でも生成AIに特化した「AI Engineer」というスペシャリスト・チームが組織され、私もその一員となりました。
生成AIパイロット・プロジェクトの「6つのカテゴリー」
ーー最近の製造業の生成AIパイロット・プロジェクトの傾向について教えてください。
中山 IBMではwatsonxを用いたユースケース・プロジェクトを、100を超える製造業のお客様で実施してきました。それらの傾向について分析したところ、大きく6つのカテゴリーに分かれました。
- RAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)を用いた社内文書との連携
- 非構造化データから構造化のための情報抽出
- お客様問い合わせの自動応答
- 購買、人事などの管理系の業務
- ITにかかわる業務
- AIのガバナンス
ーーどのような分類なのか、もう少し詳しく教えてください。
中山 最初の3つは製造業固有のユースケースです。
「RAGを用いた社内文書との連携」は、生成AIに信頼性の高い外部情報の検索技術を組み合わせることで回答の精度を向上させる、RAGという技術を用いた取り組みです。製造業では、技術文書やお客様に関連する文書、設計文書といった知見がセキュリティーで保護されるべき領域も多く、サイロ化しているケースも多々あります。インフラ面での対応も必要なことから、時間をかけて取り組むケースもあります。
「非構造化データから構造化のための情報抽出」は、データはあっても上手く活用できていないという課題に対応したユースケースです。大規模設備の保全など、対応品質で大きなコスト・インパクトのあるような領域での知見の活用から適用が始まっています。
「お客様問い合わせの自動応答」については、既存のコールセンター業務の拡張として検討が進んでいます。RAGの導入や、チャットボットを拡張し、より自然な応答を可能にしたいというニーズがあります。
藤井 その他の3つは、全業界共通のユースケースです。
「購買、人事などの管理系の業務」は、FAQや社内ヘルプデスクの補完、拡張として検討が進んでいます。既存のマニュアルや規定がドキュメント化されているため、比較的取り組みやすい領域です。
「ITにかかわる業務」については、レガシー・システムの維持、刷新などの課題は大きく、そうした課題解決に期待も大きい領域です。コード生成やテスト・データ・プログラム生成などを生成AIが担うユースケースで、今後、徐々に増えていくことが考えられます。
そして、「AIのガバナンス」は、生成AIとは切っても切り離せないAIの倫理性を高める取り組みです。ガイドライン策定などは順次進んでいるものの、システム的な対応はまだこれからという状況かと思います。
開発工数を約50%削減した事例も
ーー製造業固有の3つのユースケースについて、適用領域と効果、事例も含めてご紹介ください。
中山 まず「RAGを用いた社内文書との連携」に関しては、開発や設備保全が主な対象業務に挙げられます。大きな計算リソースを用いたソフトウェア開発や生産設備など、ビジネス活動に必須のインフラについては、製品や設備のマニュアル、技術文書、過去のトラブルにおけるレポート、日報など、数多くドキュメントが保管されています。
参照すべきドキュメントと参照箇所を検索意図に応じて特定して業務効率を高めるため、RAGという技術が使われることが増えています。過去の知見はあるものの、大量過ぎて参照できていない、活用できていない。熟練者へのノウハウの属人化が進み、若手技術者が育たないといった課題、ニーズに対応します。
導入効果としては、たとえば設備停止時間を削減することによって、生産が安定し、生産台数や設備の生産性が上がる、計算資源が節約される、業務効率が向上する、若手技術者への研修トレーニング・コストが削減されるといった効果が見込まれます。
ーー2つめの「非構造化データから構造化のための情報抽出」は、どのような業務に適しているのですか。
藤井 鮮度の高い情報収集と判断がキーとなる業務や、大量のテキストを読み、影響するものを仕分けている業務などが考えられます。たとえば、市場や需要の予測や生産に影響を起こすようなリスク分析など、業務へのインパクトが大きく作業量が膨大な業務です。応用領域としては品質管理、営業管理、設備保全、知財管理なども、この非構造化データから構造化のための情報抽出のユースケースでのテーマとなっています。RAGなども導入し、構造化されていない大量のファイル、データ、ニュース記事や日報、品質レポートなどを読み解き、業務の判断に必要な材料を示します(下図参照)。
ーー具体的な事例はありますか。
藤井 代表的な例として、本田技研工業株式会社(Honda社)での取り組みがあります。同社では、電動化とインテリジェント化によって製品価値を高めていくために、リソースの効率的な活用が求められていました。スピードの速い今日の世界で、進化する顧客ニーズを理解し、タイムリーに製品に反映することが欠かせないためです。熟練技術者の知識を若手技術者に伝えるために、衝突安全車両開発の検討プロセスに「Advanced Expert System(A-ES)」というシステムが導入されました。これにより、開発や企画業務の工数は削減されましたが、モデリングには時間がかかり、広範なビジネスの展開には課題が残っていました。
そこでIBMは、社内に散在するPowerPoint資料から、生成AIを用いて熟練技術者たちの貴重な知識を抽出し、データベース化することを提案しました。大規模なマルチモーダル・モデル(LMM)を活用してグラフや図のコンテンツをテキストに変換し、知識の再利用を改善しました。その結果、ドキュメントのモデリング時間は67%短縮、開発や企画業務の工数は30~50%削減される効果が見込まれています。このアプローチによってドキュメントの活用領域が拡大し、業務効率が向上することが期待されています。
ーー「お客様問い合わせの自動応答」のユースケースについてもご紹介ください。
中山 対象として考えられるのは、主に販売やサービスの領域です。お客様が顧客からの問い合わせに応答する場合、すでにチャットボットやFAQ、製品マニュアルなどは整備されていても、情報が散在しているために、「人」の対応が必要なケースがあります。また、顧客側にとっても「聞いたほうが早い」といった理由から、ヘルプデスクの業務負荷が上がっているという実情もあります。
そこで、チャットボットがより自然な応答で、製品マニュアルの参照先を案内するというように、「生成AIの活用により、人手を介さずにお客様の自己解決率向上を目指す」取り組みが行われています。導入効果としては、ユーザー満足度の向上、サービス継続率の向上、問い合わせ対応人員の削減、業務効率の向上などが見込まれます。
生成AIの活用スピードを阻害する「3つの壁」とは
ーー成功例を聞くと業務効率化への期待が高まりますが、そう簡単にいかないケースもあると思います。これまでの経験上、お客様の生成AI活用を阻む要因にはどのようなことが考えられますか?
中山 パイロット事例から感じた「壁」は、大きく3つあります。まず、「ビジネス価値の壁」です。生成AI適用業務はあらゆる業務領域に存在しますので、「どこから着手すべきか」について、自部門だけでなく、部門外のステークホルダーとの間で意思統一に時間がかかってしまうという問題があります。
2つめは「スキルの壁」です。生成AIの技術は、日々新しい機能や技術、手法が出てくるため、キャッチアップしていくのはなかなか大変です。また、「生成AIを自分たちの業務にどう落とし込めば効果につながるのかがわからない」という課題もあります。
そして、3つめが「環境準備の壁」です。まず試して効果を確かめたいと思っても、環境準備にお金がかかる、また生成AIのセキュリティー対応はどこまで配慮すればよいかわからないという課題もあります。
壁を越える「IBMクライアント・エンジニアリング」のアプローチ
ーー壁を乗り越えるにはどのようにすればよいのでしょうか。
中山 IBMのクライアント・エンジニアリングでは、「生成AIパイロット・アプローチ」と呼ばれるアプローチを提案しています。生成AI活用のユースケース特定から始まり、コンセプトの検証、価値検証を経て、後続の提案を行います。2~6時間のセッションでユースケースを特定し、7~30日でアジャイルにパイロット検証することをご支援します。
藤井 ユースケースの特定においては、取り組む価値がありそうなユースケースを検討し、お客様の関連部門との認識合わせを支援します。たとえば認識合わせのために、グラフィック・レコーディングを用いたワークショップや、業務領域ごとの生成AIのヒート・マップを用いたディスカッションを行います。ヒート・マップでは、どのユースケースが取り組む価値がありそうか、生成AIの効果が出やすいかを踏まえ、難易度やインパクトの大きさなども検討しながら何に取り組んでいくべきかをお客様とディスカッションしていきます。
そして、実際にユースケースのコンセプトの検証や価値検証に移っていきます。IBMには、生成AI活用によるビジネス価値と実務上の指標改善の関連付けをするバリュー・ツリーなどのグローバルのテンプレートがあります。たとえば、前述の生成AIを用いた問い合わせ対応業務においては、どういう指標が生成AIによって改善されるかという指標のサンプルがあります。指標の検討をお手伝いしつつ、ユーザー・エクスペリエンス(UX)のプロトタイプやパイロット環境など、初期検証を行える環境を提供します。
中山 価値があることが検証できた場合は、さらなるビジネス適用に向けた提案を行います。パイロット検証に用いたプログラムコードなどのアセットを用いて、後続の本格検証や本番導入をスムーズに進められるように支援するほか、インフラ面やセキュリティー面での支援も行います。
こうしたアプローチにより、ビジネス適用まで見据えた生成AI活用の検討、検証をIBMは支援してまいります。生成AIのビジネス活用を成功に導きたいお客様は、まずは我々クライアント・エンジニアリングにお気軽にご相談ください。