太刀川 英輔
NOSIGNER株式会社代表
慶應義塾大学大学院SDM特別招聘准教授
鈴木 至
日本アイ・ビー・エム株式会社
理事 グローバル・ビジネス・サービス事業
AIコンピテンシーセンター
2019年6月に行われた「Think Summit 2019」の2日目、トークセッション「生物の進化からAIの知を探る ビシネスが変わるアイデアの源泉」が開催された。ゲスト登壇者は、イノベーションを起こす思考プロセスを研究し、「進化思考」を提唱するNOSIGNER株式会社代表・太刀川英輔氏。そして、その「進化思考」をAIで再現しようと活動する日本IBM・鈴木至氏だ。
ビジネスシーンで耳にするようになって久しい「デザイン思考」。デザイナーが自身のデザイン業務で用いている思考方法をプロセス化し、課題解決やイノベーション実現を図ろうとするメソッドで、さまざまな企業の新規事業プロジェクト、アイデア創出イベントなどで活用されている。本セッションはその応用編と言うべきもの。「イノベーションと生物の進化は本質的に近い」と考えるメソッド、進化思考を読み解きながら、その思考プロセスをAIに再現させるための方法を、デザイナーの太刀川氏とIT専門家の鈴木氏が議論した。
「生物の進化×AI」でイノベーション創出に新たな道筋を
2019年6月18~21日、東京・天王洲にあるイベント施設・寺田倉庫(Warehouse TERRADA)において、日本IBM主催の「Think Summit」が開催された。「真のCognitive Enterpriseになるための、すべてが明らかに。」を全体のテーマとして、各業界の動向やDXの先進的なケースを国内外の事例を交えて紹介するとともに、最先端のテクノロジーに関するセミナーやハンズオンセッションを展開した。4日間で3,212人が来場し、大盛況のうちに幕を下ろした。
サミット2日目となる19日に開かれたのは、トークセッション「生物の進化からAIの知を探る ビシネスが変わるアイデアの源泉」。
日本IBM株式会社 理事 グローバル・ビジネス・サービス事業 AIコンピテンシーセンターの鈴木至氏がスピーカーとして登壇。同氏がこれまで経験してきたコンサルティング事例は100を超え、AIのビジネス活用の分野において深い知見を持つ。
太刀川氏は慶應義塾大学大学院理工学研究科在学中の2006年、デザインファームとしてNOSIGNER株式会社を創業。以来「デザインで社会を良くする」、「世の中にイノベーターを増やす」という大きな目的の実現のため、「ソーシャルデザイン・イノベーション」の実現を目指し、総合的なデザイン戦略を手がけてきた。
本日のセッションのテーマについて、鈴木氏は「太刀川さんのようなデザイナーが日頃考えている思考プロセスを、AIで再現できないだろうか--。それが現在我々日本IBMの取り組むチャレンジで、キーワードは『進化思考×AI』です」と語る。
イノベーションを生み出すメソッドとして、ビジネスにおいて注目されるデザイン思考、その先に進化思考を位置付ける。その思考プロセスはどのようなものか。そしてAIによって再現が可能なのか。イノベーション創出の新たなステージを、デザイナーとAIの専門家の視点で読み解いていく。
イノベーションは生物進化の模倣?デザイン的思考法のプロセスとは
セッションは、太刀川氏が提唱する「進化思考」に関する概要の説明からスタートした。
「そもそもデザイン(Design)の語源は、記号やかたちを表すサイン(Sign)です。皆さんが今座っているイスにしても、『こんな関係を生みたいから、今のイスのかたちになった』というプロセスがあります。デザインとは、『かたちを通して美しい関係をつくること』と考えてみると、生物も、『世の中に適応すべく、そのかたちになるよう進化してきた』。そしてイノベーションも同様に、『人間が本能的に持っている進化したい欲求、ないしは進化のマネから生まれる』のではないでしょうか」(太刀川氏)
太刀川氏は進化思考のメソッドにおいて、「変異」と「関係」をキーワードとして挙げる。
生物の進化のプロセスは、種を次世代に残すべく自身を変化させ、生存に有利な特徴を持った個体が生き残り、それ以外の個体は生存競争によって淘汰されるというパターンの繰り返しとなる。自身を変化させることを「変異化」、生存競争を他者や環境など外界との「関係性」と言い換えたとき、イノベーションを創出する進化思考にも同様の図式が当てはまる。
進化思考において、「変異」とはとにかく多くのアイデアを出していくプロセス。「関係」を理解することは、そのアイデアを発信していく社会の環境を把握するプロセスとなる。優れた発想はこの「変異」と「関係」の往復の中で生まれるという。
「ゴルフに例えてみましょう。課題解決に向けてイノベーションを起こすにあたり、既存のモノやサービスをベースに考えていくと思います。これらがボールになります。イノベーションをカップインとして、初めからカップが見えているケースはほとんどありません。つまり暗闇でゴルフをしている状況です。進化思考における『変異』とは、球をたくさん打つことで、『関係』とは、ゴルフコースをライトで照らすことです。何発も球を打っていれば、やがてカップインするかもしれませんが、あらかじめライトで照らしておけば、球がどのくらい外れているのか認識しやすく、変異化の成功率が上がる点が大きなポイントです」
「企業のイノベーション活動にそのまま当てはめると、新規事業に対して『とにかくやってみればいい』、『やってみてたとえ失敗したとしてもそれは仕方がない』というスタンスがとれればいいが、実際の企業経営においては、いつ当たるかも分からないアイデア出しに時間もコストもかけていられない。だからこそゴールにたどり着く精度を上げるプロセスを組み込んだ進化思考のメソッドが必要となるのです。」
進化思考により、アイデアをコンセプト化し、デザインへと磨き上げる
まず、関係性を理解して、テーマとしている課題の解決に極めて近い「アイデア」を選定する。続いて、選定されたアイデアから、共通する上位の概念を抽出。その概念を元に、課題解決に向けて「社会をこう変えていきたい」という人間の主観的な「想い(will)」を発見する。この主観的な想いをまとめ上げることで「コンセプト」になる。最後のステップとして、テーマを叶えられる最小の形のモノやサービスへ、コンセプトを元にアイデアが磨き上げられて「デザイン」となっていく。
次々とアイデアを生み出すことは、決められた法則に従って実行されるアルゴリズム的や機械的なものと捉えられる。アルゴリズム的に導き出された答えは客観的で正しいと考えがちだが、実はそれそのものは価値を持たない。人間の主観による「社会をこう変えていきたい」という「想い(will)」と結びつくことで、アイデアに価値が生まれるのである。
ここで太刀川氏は、進化思考ワークショップで用いる視座についても紹介した。視座とは、アイデアを創出するに当たり、既存のモノ(サービスを含む)を観察する際に使用するフレームと言える技法で、「関係」と「変異」のそれぞれに設定されている。
まずは「関係性理解」に関する視座から。
〈「関係」を見る4つの視座〉
解剖…”モノ”の内部を解剖し理解する。「こんな”モノ”をつくることができる」ということがわかる。リバースエンジニアリングにも近い技法
生態系…”モノ”の周辺にある関係を理解する。「他者のためになっているかどうか」がわかる。一般的な企業のマーケティングやステークホルダーの理解に近い
系統樹…”モノ”の過去を探り、どうしてそうなったのかを理解する。「昔から人はこういうことを望んできた」ということがわかる
未来洞察…系統樹に基づきながら、”モノ”の未来の変化を読み取る。「こうなりたいという姿からの逆算」ができる
「『解剖』と『生態系』はそのモノ自体の内部と、周囲のモノとの位置関係を理解することから“空間軸的理解”、『系統樹』と『未来洞察』がそのモノを中心として過去からの変化の過程と、未来に向けてこれからの変化を予測するという“時間軸的理解”と言えます。こうすることで、モノに関わる全てを網羅的に考えることができます。進化思考ワークショップでは、これら4つの視座を通じ、アイデアによって実現される関係者たちの『こうありたい』という願いや意思である“willの種”を見つけます」(太刀川氏)
続いて、変異の視座。
〈「変異(試み)」のパターン〉
欠失…”モノ”からムダなものをなくしてみる
融合…”モノ”を別のものを組み合わせてみる
代入…”モノ”を何かに代えてみる
同化・擬態…”モノ”を何かに似せたり、かたちを変えたりしてみる
転移…”モノ”を使う場所を変えてみる
変形…”モノ”のかたちや大きさを変えてみる
集合…”モノ”をたくさん組み合わせてみる
「変異化はとても数学的で、いずれの技法もアルゴリズムに近いかもしれません。しかし、アルゴリズムと対極にありそうな『関係』のプロセスで見出した“willの種”と変異化の結果を突き合わせていくことで、本当にそのwillを叶えるための変異を見つけられます。単なる変異ではなく、さまざまなwillと紐付いた変異により、アイデアの精度が高まるのです」(太刀川氏)
進化思考をAIで再現するために鍵を握る、データセットの重要性
ここで再び鈴木氏にマイクが渡された。いよいよ、デザイン的思考プロセスのAIでの再現へと話が進む。
多くのアイデアを戦わせ、生き残ったものを選定していく、という進化思考のプロセス。アイデアを競わせる目的でAIを使用する場合、複数のネットワークで構成され、テーマに沿ってアウトプットと正否の判断を繰り返す「敵対的生成ネットワーク」といった、方法論的な側面に目が行きがちである。
しかし、本当に重要な要素は「データセット」である、と鈴木氏は語る。AIが何かしらの答えを導き出すにあたり、正確なデータを読み込ませないことには正確な答えは得られない。前述の「関係性の理解」と同様に、ゴールへの方向性をナビゲートする必要がある。進化思考のプロセスによって生まれた「will」をデータセットとすることで、AIでの活用が進んでいくことになるという。
「おさらいになりますが、自社の製品・サービスなど、何かしらの“変えたい対象”があったとき、進化思考では『解剖』『生態系』『系統樹』『未来洞察』の視座を用いて既存の関係性理解に努めます。次に、変異の視座を通して、いくつものアイデアが生まれてきます。『関係⇄変異』を繰り返すプロセスの中で、『未来を想像したとき、生存可能なアイデアか否か』を考えれば、いくつかのアイデアは淘汰されるでしょう。淘汰されずに生き残ったアイデアには共通した価値があり、それがコンセプトになります。そのコンセプトにGOサインが出れば、いよいよ1つの形になる。ここがデザインにあたります。この工程を経ることでαがAへと進化します」(鈴木氏)
鈴木氏は、太刀川氏のワークショップで一連のプロセスを自身が体験した気づきとして、次のように述べる。
「進化思考ベースとしながら、デザインとテクノロジーの相関について考えたとき、先ほどのプロセスを実行する上でのデータセットの重要性を強く感じました。すなわち『社会をどう変えたいか』を示す“will”をデータセットとして設定する——関係性理解のなかで生まれたその人の願い、想い、あるいは意思の大きさ・強さに正比例して、その後の進化が上手に進んでいくのです」(鈴木氏)
鈴木氏はさらに続ける。
「進化とAIの組み合わせといえば、進化計算や遺伝的アルゴリズム、あるいは敵対的生成ネットワーク等々、専門的な領域をイメージしがちです。しかし、ビジネスの意思決定の現場を見た時に、これらのようなテクノロジーに加えて、進化途中のデータセットが絶対に必要になります。進化思考プロセスは、太刀川さんの頭のなかのプロセスが可視化されている点で、とても可能性があると感じます。さらに言わせていただくと、データセットとプロセスの可視化が達成できているからこそ、そこにAIを組み合わせる価値があると私は考えます」(鈴木氏)
関係性の正確な理解がビジネスをゴールに導く
最後に、鈴木氏と太刀川氏は「進化思考とAI」をテーマに議論を繰り広げた。
鈴木
willのデータセットさえ整備できれば、比較的容易にAIを活用できます。まずはデータセットを整備する仕組みが必要であり、進化思考メソッドの4つの視座の関係性理解とWillの結びつきをアルゴリズムで可視化した「Generative Will」という手法の開発をしていきたいと思っています。
ところが、このWillは進化思考のワークショップを通じて浮かび上がってくる(=明確化されていく)ものなので、データの観点では、都度データ化されたWill を、ある時は収斂・精緻化したり、またある時は入れ替えたりしながら進める必要が出てきます。
そのため、今はワークショップ後に捨てられがちな「付箋・ホワイトボードのデジタル化」でデータを集め始めたところです。また、まだプロトタイプの段階ですが360°カメラやAIスピーカーを駆使して、誰がどんな発言をしたのか、ワーク中の音声を録音・テキスト化するソリューションも開発中で、これもデータセットの整備に役立っていくと思っています。ただ、willのデータセットを体系化して整備する仕組みは新しい領域です。現実的には、スタートラインに立った段階であり、これから本格的に取り組んでいくことになります。
太刀川 とはいえ、鈴木さんがおっしゃるとおり、関係性理解でwillを見出しておかないと、ゴルフの球を、延々と打ち続けることになります。本当のゴールはどこなのか。何を達成することが目標なのか。
willをきちんと把握しておくことは、アイデアをビジネス化していくにあたり、どこが破綻しているかを理解することにもつながるため、“ムダ打ち”も減ります。
鈴木 太刀川さんは、AIについて、率直にどのようにお考えですか?
太刀川 AIは、「空気を読んでくれない」、「こちらのことを察してくれない」といったイメージを持たれがちです。AIを「怖いもの」、「異物」だと感じる人もいるし、「AIが人にとって替わる」といったネガティブなイメージも残っています。AIについてネガティブなイメージを持つ人たちは、AIの判断軸から「人の気持ち」が漏れてしまうことを懸念しているわけです。
しかし、進化思考プロセスの「関係」における『解剖』『生態系』『系統樹』『未来洞察』の視座で、自分よりも深く洞察してくれるAIがあるとしたらどうでしょうか?つまり、プロジェクトの周囲にいる人、さらには過去にいた人を含めて、全員の願い・想い・意思を取りこぼさないようにしてくれるAIがいてくれたら、それは最高ですよね。それは、もはや“AI”が“愛”を持つということじゃないでしょうか。今後、AIの応用を考えるならば、「このアイデアは良いものか」、「このトライアルは正しいか」といったことに対するケイパビリティ(組織的能力)を測る時点で、一部でも関係性のアルゴリズムが構築される余地があるのではないか。鈴木さんとは、そうした仕組みをつくっていけたらいいなと思っています。
鈴木 今、世の中はデジタル化に向けて着実に動き出しています。これからいっそう、世の中の評価がデジタルのデータとして出力されていくでしょう。データセットをもとに、アルゴリズムやAIと組み合わされることで、これまで経験と勘に頼ってきた意思決定が、テクノロジーで行えるようになると思います。また、皆さんは日頃から様々なアイデアを考えています。これは、実は進化思考の一部を実践していることになります。これまでの多くの知見を、データセットとAIで活用して思考を組み合わせることで、精度が高くイノベーションにつながるアイデアの創出について考えていきましょう。本日はどうもありがとうございました。