サイコロジー

人にやさしくありたいなら自分にも(セルフコンパッション

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「大切な友だちにしないようなことは、自分にもしないほうがいいよ。

本当に落ち込んでいたり、悩んでいるする友だちには、さらに追い討ちをかけるようなことはしないよね? それは、そのほうが大切な友だちにとっていいことだと思うからだよね。

そうしたら、自分も同じだよ。どうしてそんなに自分にだけは厳しくする必要があるの?」

—  先日、「失敗した自分を許せなくて、自己嫌悪に陥りがちです。なかなか立ち直れなかったり、浮き沈みが激しかったりでツラくて…どうしたらいいのかなって…?」ってコメント/質問をある大学で授業をした際にいただき、それに対してそう答えました。

彼女の目を見て話していたら、少し楽な気持ちになってもらえたことが感じられたから、きっと言葉が届いたんだと思う。よかった。

 

 

みなさんは「セルフコンパッション」って言葉を聞いたことがあるでしょうか?

self – 自身への
compassion – 思いやり、共感

なので、「自分に対する優しさ」というのが1番シンプルな表現かなって思います。

Wikipediaには英語ページがあり、学術的な記載やマインドフルネスとの関連などの説明が多く書かれています。

でも、その辺りは今回書きたいことと離れているので、今回は取り上げません。

 

これまでも「セルフコンパッション」について対話の場などで話したことはあるのですが、案外思っている以上に「そうか…そうですよね」って言ってもらえることが多い気がします。

今回、改めて私が思うセルフコンパッションと、それが大切な理由を書いてみます。

 

■ 大切なのはしあわせであること

先に書いた、質問をくれた大学生のような「自分に厳しい」人が、私の周りには多い気がします。

責任感が強い人とか、達成感に重きを置いている人とか、人に対する共感が強い人とか。そんな人ほど自分自身に対して厳しくあり過ぎて、状況にかかわらず自身を律しようとし、それが上手くいかなくてますます自分を責めてしまう…っていう負の循環に苦しめられていることが多い気がします。

よく分かります。…こう見えても、それって数年前までの私自身のことだったから。

 

自分がコントロールしてる感覚を持てることに強くこだわってしまったり、理想形や想定した形に少しでも近づけようと無理に引っ張ろうとしたり…。

今でもそんな自分を感じることが少なくありませんが、「あ、おれの完璧主義なところがまた顔を出してるな」とか、「コントロールしないっていうコントロールもいいものだって、おれは学んだはずだよね」って早めに気づき、早めに自分に声かけすることで、深く落ち込んだりやたらと傷ついたりせずに済むようになった気がします。

 

そういう風にできるようになったことの中心にあるのが、自分の最大の目的が「しあわせであること」を普段から意識するようにしていることで、それを実現する方法として、傷ついたりショックを受けたり、あるいは攻撃的になり過ぎたり苛立ちを強く感じたりしたときに、セルフコンパッションを意識することじゃないかな、と。

周りがしあわせだと周囲にもそれが伝播することは、ここ数十年の心理学や衛生学の研究で広く知られるようになってきました。

私は自分自身がしあわせであるために、周りの人にもしあわせでいて欲しいと思っています。それが自分の幸福感に大きな影響を与えること個人的実感としても感じているから。だから、周囲の人たちにしあわせになってもらうお手伝いをしたいとも思っています。

そしてそのために必要な考え方やスキルが、セルフコンパッションだと思うのです。

 

最初に書いた通り、大切な人とコミュニケーションするときのように、自分自身ともコミュニケーションをするというのがセルフコンパッションです。悲しんでいる自分や辛さを感じている自分を自覚して受容し、「きついんだね。大変だね」って肩を抱いてあげることです。

「自分を甘やかせ」とか「辛い目を避けるようにしろ」っていうことではないですよ。傷ついたりショックを受けている自分に対して「やっぱり自分はダメだ」とか「どうしていつもこうなんだ」って、キツくあたるべきじゃないって思いませんか?

人にやさしくありたいなら、自分にもやさしくあろうってことです。共感を必要としている大切な人がいたら、それが自分であってもやさしく寄り添おうって。

 

■ セルフコンパッションがもたらすもの

上に書いたように、セルフコンパッションは自己嫌悪や浮き沈みの激しさから身を守るための手段であり、そして「やさしさや共感を示せる人でいたい」という、ありたい自分に近づくための方法です。

そしてもう一つ、私は大きな役目があると私は思っています。それは、自分の持っている最大の資源を、もしもの時にも活かせるようにしておくこと。

…って書くとちょっと大げさな感じもするかな? 言いたいことは「自分が自分を大切にしないと、最後の最後に誰が救ってくれるのですか?」ってことです。

 

あなたは最悪の失敗をこれからやらかしてしまうかもしれない。あり得ないようなミスですべてを台無しにしてしまうかも。人として恥ずかしいことを犯してしまうかもしれない。

そしてすべての人に、愛想をつかされ、投げ出されるかもしれない…。それでも、1人だけでもそんなあなたに共感を寄せてくれる人がいたら、もう1回やり直せそうな気がしませんか? 失敗を取り戻したり、ミスをなかったことにはできないだろうけれど、そこからまた始めようって。

 

そんな1人が、自分自身であればいい。

今はたった1人でも、そうやってまだ歩き始めれば、どこかから自分に共感を示してくれたり、優しさを伝えてくれる人が出てくるかもしれない。

自分自身を憎んだり嫌いにならないこと。そのためにも、自分を必要以上に貶めたりしないこと。自分が加害者になって自分を被害者にしてしまうのは、とっても悲しいことだと思うんです。

今と未来、そしてもしものときに。セルフコンパッションが自分を応援してくれます。

 

■ 友だちは他人ですか?

ここからはオマケ。今回のことを書きながら頭に浮かんでいたことを。

「他人」って誰なのかな? 「身内」って誰なのかな? ってこと。

 

「他人」の定義っていろいろあって、1番狭いと思われるのが「自分以外のすべて」で、次が「身内以外」って人が多いと思います(そして「じゃあ、あなたにとっての身内ってどんな定義?」という質問が頭に浮かびますが、話が広がりすぎるのでそれはまたいつか)。それから「友人以外」「友人知人以外」「知らない人」「他人などいない!」みたいなグラデーションになるのかな。

おもしろいのは、同じ人でも、状況や事象によっては「他人」の定義が案外コロコロ変わること。相手に期待することの大きさや重さによって、同じ相手が他人になったりならなかったり。

「やっぱり他人はあてにできない。本当に頼りになるのは家族だけ。」って言ってる人が、別のときには「やっぱり親子とはいえ他人だし…」って言ってたり。

 

「さすがにそれは他人には頼めません」って言ってる人に「じゃあ誰になら頼めるの?」って確認すると、そのときのその人の「他人感」が見えて、そうなのかぁってなることがあります。

 

 

最後に。とあるところで見つけたセルフコンパッション能力を高めるための「問いかけ」を3つ。

 

<受け入れること>
I am tolerant of my defaults and imperfections.

私は自分の欠点や不十分さを認め、それらをやさしく受け入れるようにしている。

 

<一般化すること>
When I am in difficulty and it seems to me that everything is going downhill, I think that everyone has such experiences.

私は自分が困難な状況の真っ只中にいて、物事が悪い方向に向かっているように感じるとき、それを誰もが経験するものに過ぎないと考える。

 

<距離を置くこと>
When I am depressed, I try to approach my feelings by being inquisitive and open.

私は自分が落ち込んでいるとき、自分の感情に好奇心を持ちその感情をオープンにすることで対処しようとしている。

 

「しあわせに暮らしたい」ってあなたが思ってて、でもそのためにしているはずのことがなんだがしっくりこないとか、持続しないって人は、ぜひ一度セルフコンパッション、自分に対するやさしさにはついて考えてみてください。

 

Happy Collaboration!

 

コラボレーション・エナジャイザー

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