ソーシャルライフ

無理心中と地球温暖化

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年の瀬に不穏なタイトルですいません。でも今回書きたかったのはズバリそのことなんです。

地球温暖化に対するスタンスと、無理心中を選びがちな日本人的メンタリティーって、関係しているんじゃないだろうか?

自分でも「少し突飛な仮説かな?」と思っています。

 

「結論: そんなことはない。誤り。なぜなら〜〜」と誰かが解いてくれるとよいのですが(待ってます)。

ともあれ「ふーん、まあおもしろい着眼点ではあるね」と言ってもらえれば、それだけで十分かも。

それくらい乱暴な仮説ですが、少しだけでも興味を持ってもらえたなら、もうしばらくお付き合いください。

 

・ 解けない問題を解こうとするのは苦手だ(人類全般)

・ 目標が少数であれば頑張れるが、沢山あるとやる気が削がれる(人類全般)

・ 期限が決まっていれば頑張れるが、無期限、あるいは不明だと諦めがち(人類全般)

・ 全員一緒に不幸になるなら、自分も一緒に不幸になっていい(日本人に多そう)

・ 破滅するときは一家みんなで破滅しないと、残された者が不幸(日本人に多そう)

・ 失敗作を作ってしまったら、自らと共にそれを処分すべし(日本人に多そう)

 

ここに挙げた6つは、私が思う「僕らの特性」です。

「僕ら」には2種類あって、1つは「人類全般」でもう1つは「日本人」です。あ、そうそう。そういえば「ダメな論説の特徴」は、分類や主語がでかすぎることらしいですよ。

なおこの分け方は、「そういう傾向が多そうな気がする」というだけで統計的なデータソースなどは参照していないし探してもいません。でも、感覚的には大ハズレってことはないんじゃないかなという気がしています。

 

…まだ誰か、付き合ってくれているかな?

6つをもう少し細かく振り返ってみます。

 

・ 解けない問題を解こうとするのは苦手だ(人類全般)

「解けない問題」とは、絶対的な解がない問題ということ。いくつかの「ミッション・インポシブル」をどうにかこうにか解いても、必ずしもそれで問題が解決することが約束されていない問題です。

気温上昇を1.5度以内に抑えるために、やらなきゃいけないことが沢山リストアップされています。でも、それを全部クリアしたとしても、地球崩壊を逃れられるか、現在の生活を維持できるかはまったく分からないんですよね。

 

・ 目標が少数であれば頑張れるが、沢山あるとやる気が削がれる(人類全般)

目標が沢山あると、どれに注力すればいいのか分からなくなるし、そんなに沢山のことを同時に頑張れる人は世界を見渡してもさほど多くないでしょう。

自分ごととして考えて見るとこんな感じかと: 甘いものも油ものも控えなきゃいけない。毎日運動して筋トレもしなくちゃいけない。タバコは辞めてアルコールも控えなきゃダメ。肉と魚は控えてオーガニック野菜中心にしなきゃダメ。…これを全部同時に、まじめに厳密にやらなきゃいけないって言われたら…。やりきれる人は少ないですよね。

エネルギー、食、教育、水、移動、プラスチック、森、ウェルフェア、まちづくり、フェアトレード、民主主義、経済成長…。忘れ物はありませんか?

 

・ 期限が決まっていれば頑張れるが、無期限、あるいは不明だと諦めがち(人類全般)

「半年間なら頑張れる」「3年の期間限定ならしょうがない」「ひとまず次のチェックポイントまではやってみよう」 — こんな風に期間が定まっていると、人って前向きになれたり、やれやれしょうがないって受け入れたりしやすいですよね。

でもどうやら、気候危機に終わりは無さそうです。少なくとも、温暖化を問題じゃなくする具体的な手段や方法を見つけた人も、何年頑張れば報われるかという期間に目処をつけた人も、世界のどこにもいなそうです。

 

・ 全員一緒に不幸になるなら、自分も一緒に不幸になっていい(日本人に多そう)

「自分だけが不幸になるのは絶対いや!! でも周りのみんなと一緒なら…あれ? そもそもみんなが同じくらい不幸なら、それって不幸じゃないってことじゃない?」そんな風に思う人はかなり多いのではないでしょうか。特に、日本や東アジアにはそういう傾向がありそうな気がします。

周りと比べられて「あの人は不幸な人」って思われるのは耐えられない! — そういう「比較」意識が強いからかな? 「集団的利己主義」とでも呼べそうな概念が当てはまりそう(そんな言葉あるのかな?)。

昔、「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんて標語(?)があったけど、あれは「みんなと一緒なら車も止まる」だったのだろうか。それとも「全員が轢かれるなら自分も轢かれて構わない」だったのだろうか。

 

・ 破滅するときは一家みんなで破滅しないと、残された者が不幸(日本人に多そう)

「小さな子だけを残してしまったら、きっといじめられたり蔑まれたりして不幸な目にあう」「不自由を抱えたこの人だけになってしまったら、きっと幸せな人生を過ごせない」 — タイトルの「無理心中」の発想です。また、上に書いた「全員一緒なら不幸」とも地続きですね。

日本人に多いというか、低福祉国家に多そう。いやそんなことないな。低福祉でも地域などの共同体意識が強いところなら、互いに支え合って暮らすことに希望を見出せそう。

こんな声が自分の中からも聞こえます。「地球が、あるいは日常生活が破滅的なものとなるなら、そんな世界に残していくのはむしろ罪なことなんじゃないの?」

 

・ 失敗作を作ってしまったら、すべてを処分すべし(日本人に多そう)

これも「無理心中」の別バージョンなのかな、と思います。「ちがーう! ガッシャーン!!」みたいな。失敗作は葬りたい。ゼロかイチか。

たとえば、プラスチックごみを減らす活動をしようと思って、マイボトルとマイストローを持ち歩く生活をスタートしてみる。そうしたら「知ってる? マイストローって使うたびに洗ってたら、水の消費量ってかなりなもんなんだよ」みたいなこと言われて。

もうね、そうすると「ガッシャーン!!」ってボトルもストローも、みたいな。いっそのこと「毎日コンビニでペットボトル飲料買ってストローも必ず付けてもらうわっ!」みたいな。「いっそ早く1.5度でも2度でも上がってしまえ!!」みたいな。

とてもネガティブな考え方ばかりを並べてしまったけど、でも、みんなの中にも少しくらい「うん。分かる」ってところはありませんか? 虚無感に陥ることが怖くて、最初から目を背けちゃう。あるいはふとすべてを投げ出したくなる。

「何言ってるんだ。これは全部お前のことじゃないのか?!」 — はい、そうです。おれの中に、少しずつですがどれもあります。ついつい白黒付けたがっちゃう資質の強い、日本人で人類です。

 

ただ、こうしてリストアップしたのは「だからもう成り行きに任せよう」とか「頑張ったところで無駄だよ」みたいなことが言いたいからではまったくありません。

そうではなくて、こういう考え方を無いものとしたり否定したりするのではなく、「あー分かる、あるある」って認めるところから、「じゃあどうすればいいだろう」って考えた方が、解決につながりやすいんじゃないだろうかという気がするからです。

そういうダークサイドがぼくらの根底にあることを踏まえてアクション・デザインをしないと、「経済 ≧ 環境」という枠組みをベースにした捉え方に、再び飲み込まれてしまいそうだから。

 

おれは、意思により未来が変わることを信じています。意思がアクションを変えるし、自分のアクションが誰かの意思やアクションも変えることがあるし、そうすれば変わるのはおれの未来だけじゃ無いって思っています。

どうせ何かを考えるなら、どうせアクションを取るなら、よりよい未来につながる方を。

おれの未来は全体の未来の一部であり、全体の未来はおれの未来の一部です。

 

参考: TED Countdown  #JoinTheCountdown

参考: SDGsを「ツールとして使う」 環境立国デンマークの取り組み方

Happy Collaboration!

 

コラボレーション・エナジャイザー

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