サイコロジー

多様性という名のオブラート

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ここ数年、「多様性が大切」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。特にここ1,2年は顕著な気がします。
私自身も多様性が間違いなく大切だと思っていますし、多様性がもたらす多数のアドバンテージについては、何もわざわざココに挙げる必要すらないくらいですよね。
(参考までに、以前、多様性関連でこんなエントリーを書いています。)
というわけで「多様性が大切」ということ自体になんの異議・異論もないのですが、ときどき、なんとも言えない違和感を感じることがあるのです。
その「違和感」がなんなのか、どこから来るのか。これまできちんと考えたことがなかったのですが、ここ数日で体験したいくつかの出来事と、Twitter上での何人かの方たちとのやり取りを通じてなんとなく分かってきたような気がしています。
違和感は「都合の良い”多様性”が溢れている」ように感じられるためのようです。
…と、これじゃ何のことだか分からないですよね。もう少し具体的に書きます。
自分自身の環境や周辺を捉え、多様性の真っ只中にいる人が使う「多様性」と、外部から評論家的な視線で語られる「多様性」に違いがあるのではないか? という気がするのです。
…うーん、これじゃますます分かりづらいですね。
もっとストレートに言うと「多様性はすばらしい」という発言が、上っ面だけを見た、他人事として発せられていることが多い気がしてならないのです。
多様性って、そもそも一歩引いた位置から全体を見た時に感じられるもので、実際にその場、その中にいる人間にとっては、異質や異端との関わり合いであったり遭遇だったりだと思うのです。
そして多くの場合、そこで起こることは「寛容」や「受容」という「多様性」が語られる際に出てくるものではなく、黙殺や陰口であることの方がずっと多い気がしてなりません。
  • 多様性こそ最大の環境適応
  • 多様性はイノベーションを産み出しやすい環境
ほんと、その通りだと思います。
でも、実際には多様性の真っ只中にいても、それを認識していないのか認めたくないのか、「そういうものなのだから(グズグズ言うな)」という押し付けをあちこちで目にするのが日常です。
…って、これじゃただの愚痴にしかなってないや…
言いたかったのは、異質や異端を認識している人はそれを無理に引っ込める必要はないということです。
慣習や踏襲が疑問に思えたら、それを突き詰めてみませんか。
「多様性はすばらしい」という世の中なのですから、それを発揮しないのはある意味「できる貢献」をしてないようなものじゃないでしょうか。
異質や異端はおそらく誰の中にもあるんだと思います。おそらく、長らく抑え込んでいたうちに忘れてしまっただけで。
思い出せないのに無理やり異端児になる必要はないと思いますが、「異質性は捨てさるべき」や「異端児でいては叩かれる」という発想が自分でも気づいていないうちに染み付いていないか? は、ときどきチェックしたほうが良いですよね。
なんだか良く分からない文章になっているかもしれませんが、今回のエントリーは「自分の中の異質を抑えているんじゃないか? それは自分のためにも周りのためにもならないぞ!」という自戒でした。
さあ、本当の多様性社会に向かってドンドン異質性を発揮するぞ~! 異端児バンザ~イ!
Happy Collaboration!

コラボレーション・エナジャイザー

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