ソーシャルライフ

ロラン島の森の幼稚園と過激なまでの平等主義

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〈幸せな働きかたと生きかたそしてデザインの秘密に迫る〉というテーマを持って行った、デンマークの旅から帰ってきました。

テーマにドンピシャな体験に満ち溢れた、刺激的な時間を過ごすことができました。

 

過激なまでの平等主義

一人じゃ学びも限定的

クリエイティビティーもポジティブさも後天性

信用と付加価値と共創

文化のデザインとは未来のデザイン。未来のデザインとは文化のデザイン

まだまだ自分の中でうまく言語化できないところも少なくないのですが、こんな言葉が頭を渦巻いています。

何回か反芻しながら消化していく時間が必要なのかもしれませんが、これらの言葉を自分の血肉にして身体に循環させるには、自分の言葉で書くことが必要な気も強くしています。この気持ちを忘れないように。迷ったときに戻ってこれるように。

 

そんなわけで、書き始めたら違うことが気になり出したり別のテーマが見えてきたりすると思いますが、そのときはそのとき。

今はひとまず<書き始めたい><書いておかなきゃ>という気持ちに逆らわず考え過ぎず、書いてみます。

 

過激なまでの平等主義(デモクラシー)

デンマークの首都コペンハーゲンからロラン島へと向かう車窓から見える景色は、かなり単調だった。

道路脇には冬の枯れて白茶けた草地がただひたすら広がり、ときどき林や小さな湿地が目に入ってくる。空は雲がびっしりと覆っていて、「私はここだよ」と言うかのように太陽がときおり顔を出す。

地面の色も、湿地や空気の色も、どこかみな少し白いベールがかかっているような感じだ。

 

似たような景色を1時間ほど見続けたところで、もう一つ何だか違和感を感じていた理由に思い当たった。

たまに目につくのは鳥たちだけで、馬や牛、羊なんかがたくさんいそうな広い草地がこんなにあるのに、動物の姿が目につかないのだ。

道路沿いにときどき立っている〈鹿飛び出し注意〉の看板に、<本当に飛び出してくることなんてあるのかな?>なんて疑いの気持ちが湧いてきていた。

 

走り始めて80分くらい過ぎたろうか。水辺がじょじょに増えてきて、大きな橋で海峡を渡った。

どうやら、ロラン島に入ったようだ。鳥たちの群れが目について増えてきた。そして草地に馬がいるのも目にした。

空気も地面の色も、少し濃くなったような気がする。そして、少しづつ自分の中にもエネルギーが増えてくるのを感じた。

 

 

小さな町を抜け、車はこじんまりとした森の手前にある藁葺きの建物前で停まりました。

そこで私たちを待っていてくれたのが、今回ロラン島でのツアーのコーディネートと通訳を引き受けていただいたニールセン北村朋子さんです。

挨拶とちょっとした雑談の後、ニールセンさんが、我々のロラン島での最初の訪問地であるここ森の幼稚園のことをいろいろ教えてくれました。

 

 

子どもたちの様子を見ればみるほど、いろんな質問に答えてもらえばもらうほど、森の幼稚園が私の想像のはるか上をいく場所だということを実感させられました。

まず一番の驚きは、子どもたちは森の中にある幼稚園の園舎で主な時間を過ごすのかと思っていたのですが、雨でも風でも建物に入ることはほとんどなく、朝から夕方まで日がな一日を外で(森の中で)過ごすのだということ。

そして次の驚きは、子どもたちの自由度合いが<嘘でしょう!?>と声をあげずにはいられないレベルのものだったことです。

 

こっちで何人かの3〜4歳児がでっかいノミとトンカチで木を削っているかと思えば、こっちでは木の切れっぱしを作業台に叩きつけたり上空に放り投げたりして遊んでる。

ノミもトンカチも普通に大人が使うものと変わらない本物です。放り投げられる木も、当たりどころが悪かったら大きなコブや切り傷ができてしまいそう。

別の方に目をやれば、手が滑ってしまったら数メートルは体が吹っ飛んでいくだろうという激しい勢いで先生にブランコを漕いでもらっている子どもがいて、そこから少し離れたところには1人なにかをじっくりと考えている様子の子も。

こっちに近づいてきて一生懸命デンマーク語で話しかけてくる子もいれば、まったく私たちを意に介さない子たちも。

 

共通してるのは、どの子に対しても先生は何も指図はしていないこと。

聞かれたり頼まれたりすれば、手伝ったり助けたりするけれど、基本的には子どもたちはただひたすら自分がしたいことをし続けている。

自由に。文字通り自由に。

 

「幼稚園児がノミを持って作業してたり、かなり危なっかしく見えますけど、注意したり止めさせたりしないんですね。何か大きな事故につながりそうで、見ててちょっと怖いです…。」

あまりの自由っぷりにそう感想を伝えると、ニールセンさんが教えてくれました。

 

ここでは、本当にダメなこととして禁じられていることは3つだけなんです。

先生の声の届く場所にいること。名前を呼ばれたらやってくること。敷地から出ないこと。

 

この3つさえ守っていれば、あとは何をしても自由なんです。

なぜなら〈ダメ〉を極力少なくしたいから。ダメがたくさんあっても覚えきれないし、本当にだめがなんなのかを忘れてしまうから。

そしてダメなことがたくさんあると、〈これはダメじゃないのか?〉と気になってしまい、遊ぶことにも好きなことにも集中できなくなってしまうから。

 

ニールセンさんが言葉を続けます。

 

だから、遊び方もまったく自由です。

他の子と一緒に遊ばず1人でいてもいいし、みんなと違う遊び方をしてもまったく問題ないんです。むしろ、そのための場所ですから。

先生がああしたらこうしたらなんてことは言わないし、ケンカをしたって止めもしません。子どもたちが、自分たちでどうすればみんなが心地よく過ごせるかを考えて、いろんな試行錯誤をすればいいんです。

 

危険なこともただ止めたり注意したりするんじゃなくて、それがどんなことになり得るか、じゃあどうすればいいかを自分たちで考え、必要なら年上の子や先生にアドバイスを求めたり、みんなで一緒に考える。

先生たちに決められたことを守るのではなく、自分たちで考え、自分たちで決める。

だって先生と子どもは平等で、別に先生の方が偉いわけじゃないですからね。おとなと子どもが平等で、別におとなの方が偉いわけじゃないように。

 

 

森の幼稚園は、おとなと子どもが本当に平等な場でした。

そして、私たちはこのあと、いろんなところでデンマーク流の徹底的な平等主義に触れることになるのでした。

 

続きはまた。

Happy Collaboration!

 

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