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善意を拡げるリスクと覚悟

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最近はまたソーシャルメディア上のデマ、ガセ、やらせにスポットがあたる機会が増えていますね。

例えば、食べログからスタートし最近では流行り言葉のようになっている「ステマ(ステルス・マーケティング)」や、facebook上で(私を含めて)結構たくさんの人が取り上げていた「中学生の失踪事件」などなど。

ここしばらく、しょっちゅう社内外の仲間との会話に登場してきます。

ところで、デマとガセの違いがどんなものか私はよく分からないのですが、ここでは「誤った情報」ということにして話を進めます。

こうした情報が出回ると、私の周りでは「ソーシャルメディア上で得た情報は裏を取って(情報ソースを確認して)からじゃないと”いいね!”や”RT”をするべきじゃない」「きちんと調べないままデマをを共有した人は加害者だ」ということを言われる人が多いです。

 

でも、なんだか私はそこに引っかかりを感じてしまうのです…

 

■ 情報の裏が取れる人ってつまりマスメディアに近い人たちでは? そうであれば、ソーシャルメデイアは結局マスメディアにお墨付きを貰ってその上で動いているものなの?

■ ソーシャルへのシフトが進んだのは、正確性に重きを置き過ぎたことへの反動もあったのでは?

■ 感情やスピードより正確性を上位に置くのって、常に正しいことだろうか?

 

だって、情報ソースが確認できない情報ってたくさんありますよね。そして、マスメディアや公的な機関が取り上げない話ってたくさんありますよね。

誤解してほしくないのですが、マスメディア批判をしているわけではまったくありません。

そうではなく、ソーシャルとマスの関係性がどちらかに依存するような形で捉えられていることに違和感を感じているんです。

 

そして、正確性を重んじることがソーシャルメディアの発展にもつながることだということももちろん承知していますが、同時に緊急性を要するものにまで正確性を求めすぎ、善意を殺してしまうようなことがあってはならないとも思うのです。

善意が善意とつながっていくことでより早くより良いアクションにつながっていくこと、これこそがソーシャルメディアの一番すばらしいところじゃないんでしょうか。

 

「情報の裏が…」「情報ソースが…」と言っているうちに間に合わなくなったり、時間のロスが決定的にネガティブな要因となってしまうケースもあることを僕たちは知っていますよね。

もちろん、デマの拡散の片棒を担ぐ形になり誰かを傷つけてしまうこともあると思います。

でも、善意を殺すことの恐ろしさと常に比較し「望んでいなくても自分が加害者になる」こともあるという事を覚悟し、受け入れていくしかないんではないでしょうか。

振り込め詐欺的なものが無くなるどころかますます増えているように、こうしたソーシャル上のデマやガセもまだまだ減ることは無いのかもしれません。

私とつながっている人たちには、すごく残念だけど私がそうしたガセやデマを拡散してしまうことが起こるだろうことをお伝えしておきます。

 

善意がつながる社会が広がりますように。

Happy Collaboration!

コラボレーション・エナジャイザー

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